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2011/10/22

原発が稼働することで実現する経済は、「豊かさ」とは関係がない

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 私はいままであまり認めたくなかったが、“日本人エイリアン説”というのをわれわれが認めて、国際的にすり合わせをしないといけないのではないかと思いだした。
 日本人というのは、考えるとそら恐ろしい存在だ。
 たとえば、このままいけば日本の一億二千万の民は毎晩キャビアを食べるようになり、クルマも日本中でベンツに乗るようになるかもしれない。私はこれに大いに疑問を感じる。ここで私が日本人に問いたいのは、“いいものはいいんだ”という思想が本当に正しいのかということだ。

徳大寺有恒、梶原一明共著『自動車産業亡国論』(1992年光文社カッパ・ビジネス)より徳大寺氏の発言
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昨日、「コクリコ坂から」を見た。きっかけは友人のくりおねさんの評価が高かったからなのだが、何よりも興味をそそられたのは、舞台が昭和38年の横浜という部分だった。
私は昭和37年生まれで、39年に横浜南部の公団住宅に引っ越している(以後、昭和60年まで横浜市に在住していた)。したがって、この映画の時代の横浜の記憶があるわけではないのだが、しかしそれでもある種の郷愁を感じられるのではないかと思ったのである(ちょうど近所のシネコンでは最終日だった)。

私は映画の感想を堂々と述べられるほどの映画好きではないのであくまで個人的な感想を書くと、「もの凄く良かった!」と深く感動する作品ではなかったけれども、できのいい短編小説の読後感のようなものが残った。ふとした拍子に手にとって目を落としたくなるような……。
画面を見ていると、私にとって記憶に残っているクルマがオート三輪なども含めて走り回っており、山下公園、氷川丸、マリンタワー、ホテルニューグランドといったアイコンは、やはり横浜で育った人間には懐かしい。
映像に出てくる市電が走っていた記憶は私にはないが、逆に横浜の中心部を走っていたトロリーバスが描かれていなかったのはちょっと残念でもあった(トロリーバスという言葉がわからない若い人はググってください)。

シネコンからの帰り道は、川沿いの土手をトボトボ歩きながら、自分の子ども時代に思いをいたしてみた。
昭和30年代後半といえば、これから高度経済成長が始るという時期である。もっとも私の家は豊かではなく、高度成長の恩恵を満足に味わったわけではない。しかし少なくとも今日より明日の方が良くなるという気持ちはあったし、今から考えればずいぶんと不便な世の中ではあったが、だからといって今日のような閉塞感はなかった。
そして、日本は敗戦から奇跡的な経済復興を遂げ、世界でも稀な「豊かな国」になったと言われている。
確かに、若い女性が高級ブランドのバッグを普通に持ち歩いている国というのはそうそうはない。家電製品、クルマ他、あるゆる商品の進歩には瞠目すべきものがあり、ほとんどすべての人がその恩恵を受けている。交通機関や道路網が発達し、A地点からB地点への移動時間は飛躍的に短くなった。
しかし、そういう「豊かさ」の中身を細かく見ていくと、実は少しばかり消費力が向上し、生活における利便性が若干(と言うと語弊がるかもしれないが)向上しただけである。もちろん、それはそれで大事なことだが、それがイコール生活の豊かさにつながるわけではない。
ところが、日本人はそれを真の豊かさと勘違いして、「この生活を続けるためには原子力発電が必要である」という政府や電力会社のセリフを鵜呑みにしてきた。
その結果、どういうことになってしまったか?

くりおねさんも書かれているが、ジブリ映画に出てくる食べ物はとても美味しそうに見える(これは藤沢周平が描く時代小説に出てくる食べ物なども同様だ)。
それは白いご飯であり、ハムエッグであり、焼き魚であり、煮物であり……と要するに、日本人がずっと食べてきた普通の食事である。
ところが、東京電力福島第一原子力発電所の破局事故によって、東日本の広い地域でそういうごく普通の食事を何の心配もなく、美味しく食べることができなくなりつつある。
米も魚も肉も野菜も少なからず放射能によって汚染されてしまったのだ。
もちろん、政府や行政は「基準の数値以下であって安全だ」と主張している。だが、信じられないほどの量の放射能が放出されている海を泳いでいる魚が、その影響を受けないことはあり得ないわけで、これは風評でもなんでもない。
しかも、その影響は現在、生存している国民がすべて死んだ後もずっと続くのである。
それだけ大変なこと、深刻なこと、取り返しがつかないことが、現在も収束することなく進行している。

にもかかわらず、この国の権力者たちは「原発がないと経済が行き詰まる」というセリフを吐き、依然として原発稼働の野心を隠さない。
もとより、これは根拠のない単なる恐喝であるが、百歩譲ってそれが正しいとしても、その経済が実現するのは、やや常軌を逸した消費力の維持と利便性向上の継続のみである。
そのようなもののために、これ以上、原発のリスクを抱える続けることはあり得ないと私は思うのである。


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