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2011/08/30

霞が関の傀儡・野田佳彦の登場は、独裁の危機の裏返し

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 この国が独裁に支配されていると言ったら、反発するひとは多いだろう。軍事政権が成立しているわけではないし、選挙で選ばれた政治家が権力の座にあり、マスコミもまた報道の自由を国家に保障されているではないか、というような反論が出ても、ある意味で当然かもしれない。
 だが、むろん、そうであるからこそ、この「一党独裁と、それ自身でもありそれを支えるものとしての情報帝国主義」という問題意識を、あえて提出しているのである。古典的な形式とは隔たったものであるがゆえに、この独裁は強固なのであり、民衆に革命の、あるいは改善の意欲をも起させない。
 端的に言ってしまえば、これは、民主主義を十全に手段として使うことで成りたった、民主主義を否定する支配の完成、すなわち独裁なのである。
 この、「民主主義を手段として成立した独裁」というはなはだしい逆説をこそ、なによりも認識しなければならない。

岡庭昇著「かくもさまざまな言論操作」より
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野田佳彦が民主党代表に選出され、総理大臣となった。
海江田万里との争いは不毛以外のなにものでもなく、結果、菅直人よりもさらに悪い、おそらく憲政史上最悪の部類に属する総理大臣が誕生したことになる。この野田に比べれば、安倍、麻生、はたまた小泉純一郎でさえもひょっとしてマシだったかもしれないとさえ思う。
では、何がそれほど最悪なのかと言えば――
これほどまでに露骨な霞が関独裁の傀儡はこれまでいなかったという意味で最悪なのである。

今日の政局を見るためには、時計の針を小沢一郎が民主党の代表に就任した2006年の時点に戻す必要がある。
この時点の民主党は前原体制が引っかかった偽メール問題で大揺れに揺れて窮地に追い込まれていた。この危機を救ったのが前原の後任となった小沢一郎である。小沢は直後に行われた千葉の補選に勝ち、以後、着々と党勢を回復させ、2007年の参院選挙では大勝利をもたらし、ねじれ国会という状況を作り上げた。
これに心胆を寒からしめたのが、霞が関の独裁権力である。
おそらく、この独裁権力も当時の自民党に権力維持装置としての耐用年数が訪れつつあることは気づいていただろう。であれば、いざという時のために民主党内にも同様の装置の受け皿を作っておかなければならない。
しかしそれは、小沢ではない。なぜなら小沢は霞が関独裁というこの国の正体を的確に見抜いた上で「国民の生活が第一」の政権を作ることに目標をおいていたからだ。しかも外交的にも対米従属からの独立がその基本にあった。
これは、長らく日本を支配してきた独裁権力にとっては、社会主義や共産主義などとは比べものにならない“危険思想”だったのである。
しかし一方で、さしもの従順な国民の間にも政権交代への機運が醸成されつつあり、次の衆議院選挙では確実に民主党政権が誕生するのは明らかであった。そして、そうなれば小沢一郎が最高権力者の座に就くこともその時点ではまた明らかだった。

そこで起きたのが、政権交代選挙の直前といっていい、2009年3月3日に起きた小沢一郎の秘書である大久保隆規秘書の逮捕である(西松事件)。
以後、検察から流れるリーク情報をマスメディアという洗脳装置が大々的に垂れ流すことで、小沢はついには代表を辞任することになる(そのへんの流れについてはこちらを参照されたい)。
当時、朝日の星浩、毎日の岸井成格(この男はネット上でこの原稿を書いて読者から批判コメントが殺到すると、何の反論もしないままトンズラした)、田勢康弘などを筆頭に、ほとんどすべてのメディアが小沢バッシングという新たな鬼畜米英に邁進したわけだが、ではいまこの大久保秘書の裁判はどうなっているのか? 大久保氏は確かに現在も裁判を闘っているが、その訴因は「西松事件」ではない。なぜなら、「西松事件」というのは公判の途中で、検察側の証人が検察のシナリオを覆す証言をした結果、裁判そのものが成り立たなくなって雲散霧消してしまったからだ。
では、現在、大久保氏は何の裁判を争っているかというと、石川知裕議員が逮捕された、いわゆる「陸山会事件」である。この時、大久保氏も逮捕されて、ここで検察は「西松事件」を捨てて、陸山会事件へと訴因変更をしたのである。
そして、この裁判は9月26日に判決が出る予定だが、検察側の圧倒的不利が予想されている
これだけの経緯があってもなぜ、メディアが検察の捜査や自分たちの報道を検証することなく、「脱小沢」を喚き立てるのか? それが独裁権力の“国策”だからだ。

そこで野田佳彦である。
いまなぜ野田なのか。それは、最初に書いたように、野田が完全なる霞が関傀儡として存在するからだ。
この男はこれからも原発を推進するという。福島ですでに信じがたい破局事故が起きながら、それでも原発を否定しないのはなぜか。
それは、独裁権力が原発を否定しないからである。
では、なぜ霞が関は原発を否定しないのか。それは原発もまた独裁権力の“国策”だからだ。
なにしろここには無数の利権がゴロゴロと転がっており、さらに原発推進の前提として官僚は無謬であるという、本来、あり得ない神話が組織内に横たわっている。もし、ここで原発が間違っていたということになると、それは霞が関の“国策”そのものが間違っていたということになり由々しき責任問題が発生する。そのようなことはあってはならないことで、ゆえにこれからも原発は粛々と推進するのが彼らの立場であり、その際、国民の命と安全、健康など知ったことではない。

しかし、それにしても、なぜここまで霞が関傀儡があからさまに透けて見える野田なのか。
実はここに私は日本を長年にわたって支配してきた霞が関という独裁権力の危機意識を感じるのである。
普通に考えれば数年がかりで小沢という危険思想の持ち主を潰すことができたことは、独裁権力にとって大勝利だろう。
だが、9月26日に判決が出る陸山会事件の行方は彼らが当初思い描いた結末にはならない可能性が高い。そういう判決が出た場合、体制に少なからぬ影響が出ることは間違いないだろう。そのための十分な備えとして野田が必要であったということが一つ。
そしてもう一つ、いまや霞が関の独裁体制を揺るがすのは小沢ばかりではない。その筆頭が福島第一原発の破局事故であり、いつ収束するのかもわからない人類史上、未知の放射能災害である。実はその深刻さを彼らは表向きの言動とは裏腹にそれなりに理解しており、だからこそ自分たちに災いが降りかからないよう、現状でできる最善手として超傀儡の野田が登場させたのではないか? 私はそのように現状を邪推するのである。

※お知らせ
冒頭で引用した岡庭昇著「かくもさまざまな言論操作」は近日、新たに「究極のニヒリズムを越えて――原発社会との対峙」という1章を加えてより電子書籍化されます。
また、これより先に、戦後の日本思想の古典である久野収、鶴見俊輔、藤田省三著「戦後日本の思想」も電子かされます。
詳しい刊行予定は志木電子書籍のサイトをご確認ください。

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2011/08/24

「暴力団関係者との付き合い」と「東京電力関係者との付き合い」に違いはあるのか?

島田紳助が暴力団関係者との交際を理由に芸能界を引退するという。
このようなニュースにいかほどの価値があるのかわからないが、今日あたりのワイドショーはこのネタで持ち切りになるのだろう。
昨晩もすでにバカ騒ぎの兆候は出ているようだが、私みたいなひねくれ者は、このような「発表」の裏には必ず何かの「隠蔽」があるのだろうと邪推するクセがついてしまっているので、そういう面で気を引き締めないといけないナとむしろ思う。

もとより、、、
島田紳助が引退しようが何をしようが、もちろん知ったことではない。だが、このニュースを聞いていくつか非常に引っ掛かったことがある。
そのまず第一は「暴力団関係者と付き合ったから悪い」という図式だ。
もちろん、暴力団というものが総体として社会的に「善」でないことは確かだろう。しかし、ではそこに所属する人すべてが「悪」なのかというと、私には疑問がある。つまり、どんな組織であろうと立派な人間はいるだろうし、ダメでワルな人間もいるだろう。
要は、一人ひとりの個人がどういう行為、行動をしているかが問題であって、「暴力団に属している=悪人である」とアプリオリに決めつけるべきではないというのが私の考え方である。
つまり、この決めつけもまた一つの印象操作なのではないかと思うのだ。
阪神大震災で地元の山口組がそれなりに市民のために頑張ったということは、知られた事実である。これはおそらくは東日本大震災でも同様だろう。もちろん、それだけをして、「だから暴力団は素晴らしい」と言うつもりはない。
しかし、そこで二番目の引っ掛かりとして、では今、島田紳助と暴力団の交際を大々的に報じているマスメディアは「善」の側にいるのか?
あるいは、これまで少なくとも表向きは「超一流企業」だった、しかし今や日本中に、いや世界中に放射能をばら撒いている東京電力は、暴力団に比べて「善」なのか? 
もちろん一概に比較をすることはできないが、現在、東京電力によって撒き散らかされている放射能汚染の影響は日本どころか世界中にまで及んでおり、しかもいつ収束するのかもわからない。結果、百年単位でその影響が続くことは間違いないわけで、まだ見ぬ子孫たちにまで多大な放射能汚染が残る。
一方、暴力団が覚せい剤や麻薬を売って莫大な利益を得ているのはもちろん悪であるが、しかしこの場合、購入する方にもある程度は自発的という部分があるわけで、いわゆる「自己責任バカ」の論理を用いれば、それを買って身を持ち崩すのもまた自己責任であるとは言える。
無論、これはこじつけであるが、ここで私がどうしてもこだわってしまうのは、繰り返しになるが、所属する団体によって個人の善悪が即座に判定されてしまうのかということである。
少なくとも私はそれは違うと思うのだ。
島田紳助がどういう人物と付き合っていたのかは知る由もないが、その具体的な中身がないまま、ただ「暴力団関係者との付き合いが社会的に問題だ」というのなら、ウソとデタラメまみれの原発を推進して国民を不幸のどん底に突き落とした東京電力(の原発)関係者と付き合っていた御用学者、マスメディア、あるいは原発広告に出ていたタレントの方がはるかに大問題であって、即刻、学会なり業界なりを引退するべきだろう。
無論、そのマスメディアや東京電力の中にだって立派な人はいるわけで、その所属団体員全員を悪と決めつけるつもりはないが、上記のような視点がゴッソリと抜け落ちて、「暴力団関係者=悪」という記号を振り回すだけのメディア、しかもその時点で自分たちのことを完全に棚に上げているメディアを私は信用できないのである。

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2011/08/23

田中康夫のにっぽんサイコー!~ 11/08/20 子どもと妊婦 内部被ばくから守れ guest 児玉龍彦氏(東京大学教授)◆BS11


児玉龍彦氏(東大教授)と討論 投稿者 z1afa9fa75

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2011/08/22

新聞購読再開(東京新聞) ~ 横浜市の教科書採択記事について思ったことなど

新聞購読を再開した。今回、購読を申し込んだのは、もちろん東京新聞である。
私は長らく日経を購読していたが、その紙面、なかでも政治面のあまりのひどいさに辟易して、1年半ほど新聞購読を中止していたのだった(会社員となった25年前は朝日だったが、この新聞は数年でやめた)。

さて、東京新聞を購読して、といってもまだ2日しかたっていないが、現時点での感想を述べれば、「腹を立てずに読める」ということに尽きる。思えば日経を読んでいた、とくに最後の数年は、毎日その記事内容を見て腹を立てていたような気がする(ただし、当ブログで何回も書いているように運動面の充実は素晴らしかった)。
とはいえ、それは逆に言えば権力が今、何を考えて、どういう方向へもって行こうとしているのかを知る、非常に簡単な情報源であったことは事実で、ザッと見たところ東京新聞に、それはあまり期待できなさそうだ(笑)。

ちなみに、私の住む地域で東京新聞の配達をするのは朝日の専売所で、第一日目の昨日は誤って配達員の方が朝日新聞を入れてしまった。結果、実に久しぶりに朝日の紙面を見る機会に恵まれたのだが、ちょうど高校野球の決勝についての記事が大々的に展開されており、それは私にとって違和感があった。
もとより高校野球が面白いことに異存はないが(といっても私は最近はまったく見ないが)、しかしそれにしてもなぜ日本人はこれほどまでに高校野球が好きなのか? もちろんそこに特別な魅力があるには違いないが、突き詰めれば長年にわたって朝日新聞以下のメディアが礼賛し続けた結果であり、少し大げさな言葉を使えば、ここでもメディアは国民をたっぷりと洗脳してきたわけだ。その結果、朝日にとって高校野球は社内でもトップクラスの商売ネタになったことは間違いない。

話を東京新聞に戻すと、私が本日、気になった記事は「中学歴史教科書採択/首長の意向次第? 問われる教委」という記事だ。リードは以下のように書かれている。

「横浜市教育委員会は二〇一二年度から市立中学で使用する歴史と公民の教科書に「新しい歴史教科書をつくる会」の育鵬社版を採択した。「戦争を美化している」などの批判から、現場教員らによる評価は決して高くはなかったものの、教育委員の多数決で決まった。政治的中立を求められる教育委員会。教科書採択では首長の影響力が見え隠れする。」

そして記事を見ると、要するにこれは中田宏という前市長が在任期間中に教育委員六人のうち過半数を『つくる会』系の委員にした結果だという。
横浜市出身で、公立の小、中、高と通った私としては、なかなかに感慨深い記事である。
というのも私が横浜で過ごした昭和40年~50年代、なかでも小学生時代の横浜市長は飛鳥田一雄で神奈川県知事は長洲一二という、いわゆる革新市政と県政であった。
今となってはその評価はかなり微妙なものにならざるを得ないが、しかしやはりそれは保守市政や県政とはかなりの部分で異なっており、現に小学校、中学校、高校のすべての卒業式で、体育館の壇上に掲げられていたのは市、あるいは県の旗と校章の旗のみだったし、君が代を歌うという機会はなかった。私が高校を卒業するあたりまで君が代を歌うことができなかったのは、単純に歌詞を知らなかったからである(そうしてこういう人間が出来上がってしまったと言えばそれまでだが)。
当時の神奈川県においては日教組の組織率が高かった。といって日教組が「素晴らしい」などと言うつもりは毛頭ない。むしろ、大方の反日教組の人々とはその理由を異にするとはいえ、日教組がダメだということについては一致するだろう。
しかし、それでも当時はやはり第二次大戦の教訓がそれなりにあって、ゆえに公立学校と言えども国の「指導」を跳ね返すだけの抵抗力があったことは事実として認めなければならない。
しかし、今やその力は神奈川県のみならず、全国の学校で失われ、卒業式で君が代斉唱時に起立しない教師はそれだけで罰せられるという。これをして、世の中が良い方向に向かっているとは、少なくとも私には思えない。
付け加えておけば、私は当ブログでも再三再四表明しているように、今上天皇を敬愛しており、今や君が代については嫌いではないし、スポーツの国際試合で君が代が流れることに違和感はまったくない。
しかし、だからといって各人の思想信条を縛ってまで歌うことを強制するのは、まさに今上天皇が指摘されたごとく反対である(かつて園遊会に招かれた米長邦雄が今上天皇に「日本中の学校において国旗を掲げ国歌を斉唱させることが私の仕事です」と言うと、今上天皇は「強制になるということでないことが望ましいですね」とご返答された)。

話を教科書採択に戻すと、結局、かつてはそれなりに地方自治体として国とは一線を画してきた横浜市(あるいは神奈川県)は、30年以上の歳月をかけて、しかし見事なまでに国に取り戻されたということだろう。そしてこれは、口先だけは「地方分権」を唱える国の欺瞞を見事なまでに証明していると思う。

※長くなってしまったが最後に一つだけ追加。
天木直人のブログによると、昨日、毎日新聞が1面トップで「今度の民主党代表選挙に関して、小沢一郎が8月中旬に、藤井裕久に出馬を打診し固辞されていた」という記事を書いたそうだ。「そうだ」と書いたのは、私がその記事を実際には見ていなかったからなのだが、今確認するとソースはこれ
そして、これに対して天木は「小沢一郎は毎日新聞のスクープ記事に答える義務がある」と力んでいる。しかし私は、この記事を書いたのが、あの岸井成格が主筆を務める毎日新聞であるという時点で、まずはこの記事自体を疑ってみる必要があると思っている。

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原発関連 ~ 「久米宏ラジオなんですけど」8月20日オープニングトーク

・久米宏ラジオなんですけど
8月20日オープニングトーク。
原発問題については、7分15秒あたりから。

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2011/08/21

YouTubeより転載 〜 8/17 RussiaToday 福島第一・地面から水蒸気が噴き出している

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2011/08/19

テレビと鉄道の公共性

私は東武東上線沿線の急行停車駅の一つ先に住んでいる。
各駅停車しか停まらない駅ではあるが、これまで別段、不便に思ったことは一度もなかった。
東上線、有楽町線、副都心線が乗り入れているこの路線は、元来、日中でも運行本数はそこそこあったからだ。
ところがこの夏は違う。
電車の時間を見ないでうっかり家を出てしまうと、駅で電車を延々と待つことがしばしばある。
というのも、東上線やメトロが節電のために運行本数を減らしているからだ。
そもそも、鉄道というのはたとえ私鉄であっても公共性が非常に高い。
したがって、鉄道会社の場合、たとえ事故を起こしてしまったとしても業務を停止することはない。
ところが、そういう最高に公共性の高い鉄道までが、今夏は節電のために運行本数を減らしている。
私は東京電力の「節電恐喝」を断じて許さないが、それはこの際、置いておくとして、なにはともあれ現状が非常時であることは事実であって、鉄道会社といえども減収覚悟で対応しているということだろう。

ところが、ことここに至ってもテレビ局は相変わらず一日中、放送を垂れ流している。
もちろんテレビにもそれなりの公共性があり、とくに東日本大震災のような緊急事態においてはなくてはならないものである。
が、一方でテレビの番組表を見ると、かなりの数の番組は、本来、テレビ電波が担うべき公共とは程遠い、見なくてもまったく困ることのない代物である。なかでも、日中のテレビドラマの再放送などは、その代表例だろう。
つまり、放送局は呆れるほどの電力のムダ使いをしているわけだが、それでも電波を止めないのは、民放の場合で言えばひたすら広告収入を得るためで、つまりはこの非常事態においても彼らは自分たちのカネ儲けを最優先しているわけだ。
よく言われることだが、エアコンの設定温度を少しばかり上げるよりも、テレビを消す方がはるかに節電になるという。まして、民放のテレビに必要な番組はほとんどないし、ニュースにしても記者クラブの発表情報を垂れ流すだけだから、どこの局も内容はまったく同じである。
だったら、この非常時はせめて、日中はNHK以外の番組は輪番制で放送し、むしろ鉄道を通常ダイヤで動かすべきではないかと私は思うのだが、ま、そんなことは期待するのがアホというなんでしょうね。

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2011/08/18

天竜川事故報道 ~ その「熱意」はなぜ福島に向けられないのか?

今朝、朝食を食べながらテレビを見ていると、日本テレビやフジテレビのワイドショーは天竜川の川下り船転覆の事故に長い時間を割いていた。そういえば、昨晩、やはり食事をしながらボンヤリ見ていたNHKのニュース9も同じだった気がする。
もちろん――
死者の出た事故で、未だ行方不明者がいるのだからニュースとして扱う必要はある。
だが、私にはどうしても違和感があるのだ。

このニュースを報じるキャスターやコメンテーターは「安全管理に問題はなかったのか」「事故後の対応に問題はなかったのか」と口々に言い、この船を運営していた会社の会見でも記者たちが同様のことを質問している。放送時間から考えても、大変な「熱意」である。
その同じ「熱意」をなぜ福島にも向けられないのか。
なぜ、彼らは川下り船の会社の経営者を問いつめるように東京電力を問いつめないのか?
なぜ、甚大な放射能災害が起きているのに、その問題について時間を割かないのか?
誠にもって不思議であるが、突きつめれば、要するに小さな会社はいくらでも叩けるが、これまで莫大な広告をもらっていた、そして現に今ももらっている会社の犯罪は伝えにくいということだろう。
そして、それはジャーナリズムではない。

一方、昨日は↓のようなこともっあったという。

・田中龍作ジャーナル
福島の子供が疎開求め政府と交渉―マイク押し付け合い回答避ける官僚たちのお粗末

これについて上記のワイドショーがどのように報じたのか報じなかったのかは定かではないが、おそらくは報じたとしても扱いは小さかったのではないか(ただしテレビ朝日の「モーニングバード」では放送し、またVTRで小出裕章氏や今中哲二氏も出演して、福島の放射能問題についてそれなりの時間を割いていた)。

それにしても、この記事内の官僚の発言というのは実に酷いものだ。
少し前に私はtwitterで「戦争中に当時の子どもを集団疎開させた当時の政府の方が、今よりもまだしもマシなのではないか」とつぶやいた。すると、「当時は将来の戦闘要員確保のために子どもを疎開させていたのだから、大して変わらない」という内容のリツイートをもらったのだが、たとえそうだとしても、やっぱり子どもを疎開させた当時の政府の方が、現在の政府よりもいくらかでもマシなのではないかと思うのであった。

↓こちらの小出先生の話もすごいです。「そんなことだろう」とわかってはいても、呆れる話。
・20110816 たね蒔きジャーナル 京都大学原子炉実験所助教 小出裕章

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2011/08/17

菅の裏切りを見抜けなかった「権力&マスメディア」にとっての次期総理の条件

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 記者クラブは、怠惰ゆえに取材をしないのではなくて、おそらくはある種の信念として、本質的にそれを許容しないのだ。そうでなければ、しばしばがんばって独自取材を試みた加盟員が叱責されたり、ときにはなんらかの処分さえ受けるなどということが、ほんらいあるはずがない。
 きわめて挑発的な言い方になるかも知れないが、つまりは怠惰によるのではなく、むしろまったく逆に、いわば「努力してなにもしない」のではないのか。そのことによって、官庁製の発表記事を、そのまま積極的に、公認された情報として仕立て上げる力学、と説明することも出来る。もはや、こういう意味での、報道という「制度」が成立している、ようにわたしには考えられるのである。
  (中略)
 報道は積極的に無為であることによって、官庁が仕組んだ工作を公的な情報として認知させるべく「協力」する。これをたんなる追随と考えるのはあやまりであり、事実はニヒリズムに基づいた民衆蔑視が、積極的にそのような姿勢をとらせている。かくて、報道的な感性とは、人間同士の対等な向き合い方を拒否した、いわば支配者の感性なのであり、その自意識によって、民衆に情報を「与える」ものとなる。
 そこでは、権力と報道とは一体なのであり、もはや、権力が報道を利用するというよりは、すでに報道が権力それ自身でもある。そのようなものとして、支配の総体としての情報帝国主義が存在するのだ。

岡庭昇著『かくもさまざまな言論操作』より
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やっとこさ菅直人が辞任する方向らしい。
次の有力候補は野田佳彦だそうだが、この野田なる人物が総理大臣になればどうなるかは、植草一秀氏のブログを読めば十分である。

・植草一秀の『知られざる真実』
野田佳彦氏が新代表に就任すれば日本は沈没する

そもそも、一般にはまったく知られていない地味な人物が総理大臣候補になるのは、この国の真の支配者がそれを望んでいるからだろう。
私の愛読ブログのブロガーのみなさんは、「野田なんて」と一様に怒っているが、私なんぞはむしろ「いよいよ権力の手持ちのカードが枯渇してるんだナ」と思う。大貧民をやっていて、とりあえずいいカードから出していったら最後の最後にカスしか残らなかったみたいな……。
案の定、舞い上がった野田は早速「大震災は千載一遇のチャンス」などと霞が関の本音を漏らしてしまい、その“資質”のなさを露呈した。これには本来、野田を望んでいる官僚も頭を抱えていることだろう。

で、まあ野田のことはこの際おいておくとして、、、
私がことここに至ってもずっと引っかかっているのは、実は6月2日の民主党の両院議員総会である。
といっても総会の中身についてではなく、NHKの“報道”ぶりだ。
この総会は昼に行われたので、NHKはニュースの時間に生中継をしていた。私はこれを見ていたのだが、菅直人が「一定のメドがついた段階で、、、」と辞任をするんだかしないんだがあやふやに言った瞬間、画面にはニュース速報のテロップが出て、続いて「菅首相が辞任を表明」という文字が流れたのだ。
これには驚いた。なぜなら、私は菅の発言を聞いて「なんだこりゃ? 辞任するつもりなんかないじゃないか」と思ったからだ(実際、私はツイッターで「これ、退陣の表明じゃないだろ。」とつぶやいた)。
ところがNHKは菅の発言内容を吟味もせずに、用意したテロップを即座に流したのである。
これはNHKだけではないが、つまりマスメディアは菅の胸の内など一切、取材することなく、横一線で菅の辞任表明をなんの疑問もなく信じていたわけて、これはつまりそういうシナリオが完璧に出来上がっていたということだろう。
ところが、実際は菅の胸の内は違っていた。それがいいか悪いかはこの際、脇に置いておく(後任が正式に決定していない現時点では、菅直人は史上最悪の総理大臣だったともちろん思う)。
ただ、マスメディアの“取材者”の誰一人として、その菅の胸の内に気づかなかったということは、この国のメディアの体質として特筆に値すると思う。

これまで、小沢政権を阻止するためにさんざん菅を擁護してきたメディアまでが、これを機に一斉に批判に転じたのは、菅が予定調和という秩序を乱したからに他ならない。その意味で、菅は最後の最後のところで、メディアからすると、政治的志向、方向性はまったく違うが、既存の秩序を乱す存在ということでは小沢一郎と同じ側に落ちたのである。
もちろん、だからといって繰り返しになるが、菅を評価することはまったくできない。なぜなら、この男は総理大臣という職をただただ続けたいだけのために、これまで乗っていたバスを降りたに過ぎないのだから。したがって、その一貫してデタラメな政治姿勢はどんなに批判されてもされ過ぎることはない(とくに3・11以降)。

とはいえ、かくなる形で飼い犬に噛まれてしまった権力とメディアにとって、次の総理大臣を選ぶ際の最大の基準は「絶対に秩序を乱さず、完全にコントロールできること」であることは間違いない。

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『東京電力福島第一原発事故とマスメディア』

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2011/08/11

『東京電力福島第一原発事故とマスメディア』に関するお知らせ

『東京電力福島第一原発事故とマスメディア』に関するお知らせを一つさせていただきます。
この本は電子書籍の形態のみで販売しており、紙の書籍ではありません。したがいまして、書店では販売していないことをご了承ください。

現在はボイジャーストアのみで販売しており、パソコン、iPhone、iPadでの購読が可能です(データの形式はドットブックですが、今後、シャープのXMDF形式やEPUBにも対応していく予定です)。

なお、ボイジャーストアでは、現在、総合ランキングにランクインしておりますが、売れているのか? それとも電子書籍がまったく売れていないなかで、知人、友人が買っているから売れているのか? まだわかりません(^_^;)。
そういう状況ですが、是非、ご吹聴のほどお願い申し上げる次第です。

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『東京電力福島第一原発事故とマスメディア』

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2011/08/09

首都圏土壌調査 ~ 驚愕の結果

ジャーナリストの木下黄太氏のブログの読者がfacebookに集まり、その有志が東京・千葉・​埼玉・神奈川・茨城など首都圏の土壌調査を行った。
予想されたこととはいえ、その結果は驚くべきもので、関東圏全域が汚染されていることが明らかになった。
過去の事例を鑑みると、このような調査を民間の、それも基本的に素人が行なった調査の結果を国(霞が関)がまともに相手にすることは考えにくいが、しかしこれは歴然たる事実であって、しかも日本の歴史上最悪の核災害は現在も収束することなく進行している。
そんななかで、この驚愕の結果をどうとらえるかは、もはや個人個人が自分の頭で考えるしかない。
はっきり言えることは、国は東電を助けることはあっても、国民を助けるつもりはないということである。
※左下の「view in fullscreen」のボタンをクリックすると拡大されます。

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以下はオランダの放送局の福島レポート。

9分19秒あたりからの、小出裕章先生のコメントは以下の通りだが、もはや福島は他人事ではない。

「とんでもないこと。環境全体が福島原子力発電所の事故で放出さ​れた放射能ですでに汚れてしまっているのですね。だから福島の子​どもたちが住んでいる土地そのものが汚れているし、食べ物もみん​な汚れているわけですから、子どもたちの体が汚れることも避けら​れないし、おしっこにセシウムが入ってくるということも、もちろ​ん避けられないわけです。そのことによって子どもたちも被曝をし​ているわけで、十年後、二十年後、三十年後になって、彼らの中に​ガンで死んでいくという人たちが増えるということ自身はもう避け​ることができません」


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・『東京電力福島第一原発事故とマスメディア』

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きわめて私事の話 〜 1年後

昨年の春、私は↓のようなエントリーを書いた。

・きわめて私事の話

・リストラされたオッサン(自分)が意外に明るい理由

会社を辞めたのが昨年5月。
それから1年2カ月がたって、結局、私は出版業に戻ることになった(といっても電子書籍だが)。
実は会社を辞めた当初は、この業界に戻ることはないだろうと思っていた。なにしろ見切りをつけて辞めたのだから。
しかし、25年間の会社員生活を経て、わずかでも身についたものがあるとすれば、それは出版に関わること、とくにノンフィクションの書籍を制作することだった(これだけは、いまはなくなってしまった「カッパ・ブックス」で叩き込まれた)。
そうして、辞めた直後は有田芳生さんの参議院選挙を手伝ったりしていたが、それも終了すると、秋口からはなんとなく電子書籍の制作に関わる仕事を始めていた。
といっても、それは大きなお金になるようなものではなかったのだが、しかしその過程で気がついたのは電子書籍でも出版編集の経験は役立つということだった。しかもその人数はまだ少ない。
逡巡しながらも、「だったら電子書籍をやってみようかーー」と思い始めたところで3.11がやって来た。
なにしろ私は反原発なので当初はずいぶんとうろたえたが、少し落ち着いてくると、「自分のブログの中で原発とメディアに関するエントリーをピックアップして、電子書籍のデータを作ってみようかな」と思いつき、実際にやってみると、データを作るところまではできそうだった。
「こうなってくると売りたいな」と思うのは人情である。そこでボイジャーに持ち込んでみると、これを快く了承してくれて、しかも私自身が発行元になることもOKだという。そしてさらに、「せっかくやるのなら、他にも出してみてはどうですか?」という提案までいただいたのだった。
もっとも、最初は「そう言われてもどうしたものか、、、」と思ったのだが、考えているうちにいくつかの企画が浮かんで来た。
実は電子書籍の側から、いまの大手出版社のやり方を見ていると、意外に隙間があることに薄々気がついていた。が、だからといってその隙間が商売になるかどうかはわからない。

そもそも、これまで会社を辞めて自分で出版社を作ってみたものの、何冊かの本を出してすぐにコケたという話はこの業界にはゴマンと転がっている。
かつて出版業は「机と電話があれば、明日からできる」などと言われたものだが、実際はそう簡単なものではなく、たとえいい原稿があったとしても、紙を買ってそれを印刷し、取次ぎを通して書店に流通させなければならない。その間には、たとえどんなに少部数の本でも100万単位のカネがかかる。しかもこれが売れなければ返本となり、在庫リスクが発生する。つまり出版業とはそう簡単なものではないのである。
ところが、電子書籍の場合は制作コストが紙の本とは比較にならないほど劇的に安い。しかも在庫リスクがなく、さらに絶版もない。
そう考えてみると、大きな部数を望めない本であっても出すことはできる。もともとベストセラーを出せるような編集者ではなかった私としては、これは悪くない話である(笑)。
ということで改めて考えてみると、いくつかの企画が思い浮かんできた。それは当然のことながら大部数を望めるものではなかったが、逆に言えばこれまで商業出版社に属していた身として、私のような者でも部数というものに第一義的に企画が縛られていたことに気づかされもした。
そうしてみると、少なくとも何冊かの電子書籍は作れそうである。だが、そのために会社まで設立するのもどうかと最初は思ったのだが、これについては出版契約書を個人で交わすわけにはいかないという結論を出さざるを得なかった。

ということで会社を辞めて1年後、とりあえず電子書籍専門の会社を作ることに至ったわけである。
ま、これがいつまで続くのかはわからないけれども、とりあえず志だけは持ってやってみようと思っている。
以上がとりあえずリストラから1年後のご報告。

「志木電子書籍」誕生のことば

 水平社宣言の結語は「人間(じんかん)に光あれ」と読むという。
「じんかん」とは「人と人の間」、転じて「すべてのもの」。したがってこの結語には「すべてのものに平等に光が当たるように」という願いが込められている。
 しかし、残念ながら水平社宣言から九十年近くたった今も、この願いは実現していない。
 それどころか、大きな者、強い者が、小さな者、弱い者を支配していく構造は、第二次世界大戦を経て、より巧妙に強化された。
 しかし、二十一世紀に入るとともに、この体制に綻びが見え始めている。その最大の原動力はインターネットの普及にある。
 一人ひとりが自由に情報を発信する手段を持ち得たことで、マスメディアによる情報独占(それは同時に情報コントロールを意味していた)は崩壊し、さらにマスメディアよりも速く、かつ正確な情報を誰もが入手することが可能になりつつある。
 二〇一一年三月十一日に起きた東日本大震災、それに続く東京電力福島第一原子力発電所の破局事故は、日本社会のありようを根底から変えてしまう不幸な出来事だった。
 そんな中で唯一の光明は、多くの人びとがネットを通じて情報交換し、また連携し始めたことである。しかも、それは行政やメディアの思惑とはまったく異なるレベルで有効に機能し始めている。
 志木電子書籍はネットを拠点に活動し、これまでマスメディアの“発表情報”の裏に隠されていた真実に光を当てていく。
 かつ、それをいつでも、どこでも、どんな立場の人にも提供していくことで、小さいながらも「人間に光あれ」を目指す一員でありたい。

二〇一一年七月八日
株式会社志木電子書籍

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・『東京電力福島第一原発事故とマスメディア』

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2011/08/08

『東京電力福島第一原発とマスメディア』 ~ 刊行のお知らせ

以前に何度か告知をしてまいりましたが――
恥ずかしながら、電子書籍を刊行いたしました。タイトルは、

『東京電力福島第一原発とマスメディア』

です。2006年に開設した当ブログのエントリーの中から原発、メディア関連のものをピックアップし、これに加筆、修正、また一部、新原稿を加えました。データは自分で作成したので、究極の自炊ということになります(^_^;)。
また、本書の刊行をきっかけに、新たに電子書籍専門出版社を設立いたしました。まだ、暫定的ながらホームページ(ブログ形式ですが)は↓です。

株式会社 志木電子書籍

当社の最初の本は自著ということになりますが、今後は既刊本の電子化、書き下ろしを含めて、さまざまなジャンルの電子書籍を刊行してまいります。その内容については上記のHP、及び当ブログでも随時告知していきますので、どうか今後ともご贔屓にお願いいたします。

ということで、第一作目の書影は↓です。

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ご購入は当面、ボイジャーストアからということになります→ご購入先はこちら

著者略歴をご覧いただくと、当ブログ主の素性がわかるというオマケつきです(^_^;)。

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2011/08/03

責任を取らない「自己責任バカ」は許されない

原子力発電所が3つもメルトスルーしても、政府や東電が命にかかわる情報をどれだけ隠しても暴動一つ起こさない日本の国民は、世界一洗脳されやすい(逆に言えば、権力者が世界一の洗脳システムを持っているともいえる)。
その従順、かつ勤勉な国民性は困ったものだと思うが、一方で外国人のサッカー監督などがよく指摘するように、それはそれで一つの特質ではある。

「原発をやめると電力供給が不足するから、これからも続けなければならない」というガセを刷り込むために権力と東電が思いついた手法が「節電恐喝」であるが、豈図らんや、まことに勤勉な国民はこの恐喝を信じて、不必要な節電に熱心に励んだ。さらにここ最近の涼しさも相まって、電力需要は「東電の発表する予想」(=恐喝成立ライン)をずいぶんと下回っている。万々歳の話だが、これに当の東電が困っているという。

「無理な節電不要」東電・藤本副社長-20110311μSv/hー電気は足りるが売上が足らないので節電するなだそうです

とことんふざけた話であるが、こうなったら洗脳された国民の恐ろしさを見せつけてやるのも一興だろう。

さて本日、原子力損害賠償支援機構法なる法案が参議院でも可決され、成立するという。言わずと知れた東電救済法案だ。

・赤旗1
・赤旗2

東京電力は、長らく経団連のコアメンバーとして自民党とともに共同歩調をとってきた。その間、この集団が常に強調してきたのは「自己責任」という単語である。
日本の自殺者は年間3万人をこえる。私なんぞはこれは異常事態であって、なんとしても社会システムを変えるべきだと思うが、この連中に言わせれば「国民を甘やかしてはいけないのであって、自己責任の意識を植え付けろ」ということになる。
私は2009年の総選挙の際に民主党が掲げたマニフェスト(「国民の生活が第一」)を高く評価していたが(したがって現在の民主党はまったく評価していない)、なかでも「子ども手当」は素晴らしいと思っていた。だが、これも自民党−経団連に言わせれば、「自立を妨げるバラマキ」であって「自己責任の意識が足りない」ということになる。
こういう主張をする連中を私は個人的に「自己責任バカ」と命名しており、自分とは立場が180度異なるのだが、経済学においてそのような主張をする流派はあるわけで、一つの考え方ではあるだろう。しかし、だったら「自己責任バカ」は自らも自己責任で身を律しなければならない。

ところが、このたびの法案は、東京電力という会社が本来持つべき自己責任の欠片すらもないシロモノである。これまでさんざん「国民を甘やかすな」と主張してきた連中が、いざ自己責任を負わなければならない事故(それも破局事故)を起こした途端、そんなことはどこ吹く風で救済を求めるのではお話にならない。
そのようなことは断じてあってはならないのであって、東京電力はとことん自己責任を負うべきである。その結果として、東電の経営者や社員の生活がどうなろうが、どこで野垂れ死のうが知ったことではない。
なにしろ、それが連中の主張してきた「自己責任」なのだから。


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『東京電力福島第一原発事故とマスメディア』

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