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2010/09/13

小室直樹先生の訃報に接して ~ 田中角栄、小沢一郎、そして民主党代表選

先週の9日、ふと立ち寄った古本屋に小室直樹先生の『田中角栄の遺言 』(サブタイトルは「官僚栄えて国滅ぶ」)という本があった。本の状態は良く、帯には「“悪”に強いから、国が治まる 『最良の官僚は最悪の政治家である(マックス・ウェーバー)』」と書いてある。
折しも民主党の代表選挙がたけなわで、田中角栄の直系である小沢一郎はメディアから激しいバッシングを受けている。そうしたなか、ネット上では茂木健一郎氏による田中角栄に関する連続ツイートが話題になっていた。
私はこの本を買おうかなと思ったのだが、なぜか買わずに古本屋を出てしまった。
そうして帰宅の途次にツイッターを見ると、ある方から小室先生が亡くなられたのではないかというダイレクトメッセージが入っていた。しかしなかなか確認が取れない。結局その翌日、グーグル検索で小室直樹と入れてみたところ、副島隆彦氏の掲示板に行きつき、そこで訃報を確認した。

さて、、、
書きたいことは山のようにあるし、書けないことも山のようにある。
といいつつ、実は当ブログでは小室先生について2回ほど書いている。

・ある博士の思い出

・ある博士と立川談志

この時には名前を伏せていたが、この「ある博士」こそが小室先生である。
最初のエントリーでは小室先生に初めてお目にかかった時のことが書いてあるが、これは私が光文社に入社して2日目のことだった。中学ぐらいから朝日ジャーナルを読んでいた私は立花隆の「ロッキード裁判傍聴記」などを読んでいたため(今となっては失笑)、小室直樹というのは極右のちょっと頭のおかしいオッサンだと思っていた(小室先生ごめんなさい)。
ところが入社して2日目に直属の上司となった人物が「じゃ、これから小室さんのところへ行くから」という。私が教育を受けることになったこの上司は「ソビエト帝国の崩壊」で小室先生をスターにした編集者だったのである。
私以前にこの上司の部下となった先輩もやはり小室先生の担当をしており、そして私、さらに私の後輩で数年後に編集部に入ってきた新入社員もやはり小室先生の担当をした(この後輩の名前を「たぬきち」という)。
話を戻すと、だから私は最初に小室先生の家に行くと聞いた時にはエライことになったと思ったものである。そして実際にエライことになった(「ある博士の思い出」を参照してください)。

しかし、小室先生と付き合っていくうちに、私はすっかり小室先生のファンになっていった。
なにしろ、これほどまでに博識でなんでも知っている人は、後にも先にも見たことがない。そして輝かしい学歴を持ち、「大学の教授があまりにバカだから、その大学教授に勉強を教えていた」ともいわれる小室先生。でありながらどんな人とでも分け隔てなく話をしてくれた。今では考えられないことだが、当時の本の奥付には小室先生の自宅の住所が書かれており、時々、そこへやってくるファンもいたのだが、嫌な顔一つせず酒を飲みながら話をしているのだった。

週刊宝石の創刊時の人気企画の一つに「横山やすしの激情むき出し対談」というのがあった。これは私の入社前のことだが、この対談に小室先生が登場。小室先生は対談に入る前から酔っぱらっていたという。そして始まった対談は最初こそ「ソ連はけしからん」ということでやすしと小室先生は意気投合していたが、だんだんと雰囲気は怪しくなり、やすしが「あんたはいったい何なんや!」と言うと小室先生が「ルンペン」と答えたところでやすしが激怒! 結局、「出ていけ!」「ルンペンでなんで悪い!」と大決裂してしまった。
そして週刊宝石の担当はやすしを羽交い絞めにしておさえ、小室先生の担当である私の上司と先輩は泥酔した小室先生をズルズルと引きずって部屋を出たという。入社してからその当時の話を関係者から聞いたが、「あの時は大変だった、、、」とみんな口をそろえつつ、しかし誰もが楽しそうに話してくれたものだった。そして当時の週刊宝石では、その一部始終がすべてそのまま掲載された(ここらへんに当時の週刊宝石の勢いを見てとれる)。

どんどん話が脱線していくので再び話を戻す。
小室先生のご逝去を確認した私は、土曜日に再び件の古本屋に出向いて『田中角栄の遺言』(平成6年6月15日初版発行)を購入した。
以下、この本からいくつかの部分を引用してみる。

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 棺を蓋(おお)いて事定まる(『晋書』劉毅伝)という。だが、田中角栄は棺を蓋ってなお事は定まっていない。いまだ激しい毀誉褒貶の中にある。汗牛充棟の角栄論は、読者諸賢すでにご存じのとおりだが、最重要な論点にはまだ触れられていないのだ。気付かれてさえいないとまで言ったほうがいいだろう。
 それは、田中角栄こそが、唯一人の立憲政治家、唯一人のデモクラシー政治家であった、このことである。立憲政治すすんでデモクラシーの眼目は、議会を有効に機能せしむることにある。
 しからば、議会の最大の機能とは何か。自由な議論を通じて国策を決定することである。国権の最高機関として立法を行なうことである。角栄は、これを見事に実行した。そして角栄なき今、一人としてこの道を辿る者なし。
 では今、国権を行なう者は誰か。役人である。役人が法律を作り、解釈し、施行する。日本の国家権力は立法、司法、行政の三権のことごとくを役人に簒奪(さんだつ)されてしまった。デモクラシー死して、役人クラシーとなったのである。彼らの視野にあるのは、法律と前例と、自らの権限と昇進のみ。自由な意志、自由な言論とは無縁の衆生(しゅうじょう)である。
「最良の官僚は、最悪の政治家である」――役人は運命のい使(「いし」「い」は漢字 (命令))に甘んずるだけである。が、運命を駆使するところに政治家の本領がある(マキャヴェッリ)。
 役人が行なう政治ほど、危険な政治はない。戦前、戦中の軍人官僚の政治を見よ。
 かかるときに、ああ、この内患外憂――。もしもデモクラシーを信奉するならば、今こそ角栄が鑽仰(さんぎょう)される。欣求される。

(「まえがき」より)
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 デモクラシーというと、多くの日本人は、完全無欠で人類が到達した最高の政治形態だと思っている。とんでもない。デモクラシーの評価については、古代ギリシア以来、論究されてきた。古来、批判者、否定者も多い。デモクラシーの熱烈な支持者であればあるほど、その欠点に敏感である。これは刮目すべきことである。はじめに、注意しなければならない点が二つある。
 まず第一に、これは人間の自然状態(natural state)ではなく、めったにないものだということ。デモクラシーは三〇〇〇年に一度咲く仏典にいう優曇華(うどんげ)の華のように珍しい。

(中略)

 したがって、もしもデモクラシーを欲するならば、滅多にないかよわいものなのだから、常に守り育てていかねばならない。そうしないと、あっという間に消えてなくなる。デモクラシーが、自然現象のごとく、自然そこにあるものだという考え方は、とんでもない間違いである。

(中略)

 つまりデモクラシーにはベラボウにカネがかかる。それは、デモクラシー諸国における常識である。デモクラシーを自然状態に放ったらかしておいても存続しつづけるなんて、彼らはけっして考えない。まことに貴重なものだから、膨大なおカネをかけても、これを維持する値打ちがあると思っている。
 ところが日本人の考え方はまったくの逆。政治改革に関する論議は、金権政治はよくないから、カネがかからない政治にしようというのが、犯すべからざる大前提になっている。
 これは、実はデモクラシーの否定につながる。カネをかけてでも守りたいのがデモクラシーなのに、カネがかからず、腐敗、堕落さえしなければいいという。思い出してもみよ。大正デモクラシー(当時、民本主義と訳された)が、相当に発達したにもかかわらず、一気に崩れたことを。議会の政党が、政友会も民政党も金権政党に堕落して、汚職に次ぐ汚職、国民は、これに愛想を尽かしたからだが、その直後に軍部独裁政治が始まった。
 すなわち、日本人には汚職をデモクラシーのコストと考えるセンスがなかった。膨大なカネがかかるものだということを国民が理解していなかった。そこで軍人と右翼が暴れて、血盟団事件、それから五・一五事件、二・二六事件が起こり、ついにデモクラシーは葬り去られた。ところが、その後にできたのが近衛文麿の政治であり、その後の軍人政権。
 今度は堕落しない。近衛文麿は、生まれながらにして天皇陛下の次にエライのだから、悪いことをする必要がない。その後の軍人も、イヤイヤながら首相になった。だから首相も閣僚もカネに関しては清潔だった。だが、その政権が歩んだ道は、あの戦争ではなかったか。

(中略)

 日本人がデモクラシーの本質に無知で、田中角栄を殺したために、角栄の呪いか天意か、立法も司法も行政も、日本の三権はすべて、役人が独占するところとなってしまった。
 下剋上は日本史の通例ながら、今や、公僕変じて権力者となる。豈、偶然ならんや。
 しかも――ここが致命的な点なのだが、日本人はまだ、ことの重大さに気付いていない。暗愚な殿さまが、弑殺(しいさつ)されるまで簒奪者に気付かないように。
 日本のマスコミは、汚職を報ずるときには、春先のドラ猫のごとく喧噪をきわめる。だが、役人の横暴を伝える段になると、監督官庁を恐れるあまり、われ関せず焉(えん)。政治家がことごとく官僚の傀儡と成り果てた事実を白日の下に晒しても、風(ふう)する馬牛(ばぎゅう)も相及(あいおよ)ばずで、関心を示さない。
 官僚による政治がいかに恐ろしいか、その解明が本書の主テーマの一つである。

(「プロローグ――誤解だらけのデモクラシー理解」 デモクラシーには膨大な金がかかる より)
******

いかがだろうか。この後にYouTubeにアップした動画を二つ貼りつけるが、そこに投稿されたコメントの中に「現在いろいろ言われてる争点が全部出てますねw」と書かれたものがあったが、上の文章にも今日の、そして目前に迫っている民主党代表選の争点がクッキリと浮かび上がっている。
と、ここまで書いたところで有田芳生さんのブログを見たら「小沢一郎さんの時代認識」というタイトルのエントリーがアップされており、その中にこう書いてあった。
「ここで9日に参議院選挙で当選した議員と小沢一郎さんとの懇談で印象に残ったことを記録しておく。まず代表選への立候補について「私にできるのだろうかと自問しながら判断した」ことと周辺の支持者に押されたことが大きかったという趣旨を語っていた。いちばん驚いたのは時代認識であった。「この閉塞感のなかにあって、このままではかつてのようにナショナリズムが高まることで、日本はさらに危険な情況になる」と小沢さんは言った。」

民主党代表選を小室先生はいかに見ていたか、またその結果をどう分析したか。
今となっては聞くことができない。
まことにもって残念の極みである。


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コメント

「楽天の監督問題について思うこと」を拝読したとき、おそらく文中の博士とは小室直樹博士のことと思いコメントさせていただいたものです。
ツイッター上で訃報を目にし、半ば信じられなかったのですが、副島氏のページとこちらを拝読し、事実と確認したところです。
亡父が、博士の若いころのホンの一時期ですが係わり合いがありました。
旧知を尋ねて無沙汰を詫びるようなことはついぞなさらなかった方ですが、父を始め誰も、彼の異才を善しとして非難する人はありませんでした。
父は、晩年ページを捲る事が難しい体になっても、博士の新刊を買い求めて見せると喜んでいました。
ご承知のように、渡部恒三代議士は博士と机を並べた同級生で、博士が結婚なさるまでは親交浅からぬ間柄でありました。しかし、今にして思えば、博士の真価をついぞ理解されなかったようにおもいます。
私は日本教の信者ですので、偉大な人の死は特別な意味を持つと信じています。博士がこの時期に逝かれてことで、巷間不利と伝えられる小沢氏に勝利をもたらすような気がしてならないのです。
古来この国では、死者の言葉は生者の魂に木霊し、やがて死者の志を実現せんが爲に行動するようになると私は理解しています。アップしていただいた動画で博士の言葉を聴き、この大変動の時代に、何を見、どう行動するか良く考えてみたいと思います。
私的なことを書き連ね失礼とは思いましたが、せめもの追悼の気持ちです。

投稿: K | 2010/09/13 23:47

心暖まるそして血湧き肉躍る文章ありがとうございます。小室直樹さんに今の混迷する日本をバッサバッサ斬り倒すように語って論じてほしかった。小室さんに関するエピソードなどまた投稿願います。小室直樹という奇跡の才能を惜しみつつ・・・。合掌

投稿: ジュゴン | 2010/09/13 14:17

この時期、即ち、小沢、村木、鈴木事件で検察の『正義』が問い割れている時に小室直樹さんが亡くなったのは何かメッセージのような気がします。それにしてもメディアは取り上げないですね。映像アップしていただいてありがとうございます。小沢夌子さんを足蹴りにした番組も見てみたいです。

投稿: TIARE | 2010/09/13 12:01

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