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2010/08/31

民主党代表選関連 ~ 田中良紹 民主党代表選挙とは何か

・田中良紹の「国会探検」

全文転載
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 英国のように政権交代を繰り返している国の政党は、国政選挙に勝利した党首を党首選挙で交代させる事はしないし、その逆に国政選挙で負けた党首をそのまま続投させる事もしない。政党は国民の投票の結果を受け止め、それによって党首選挙をやったりやらなかったりする。

 保守党のサッチャーは14年間、労働党のブレアも13年間党首の座にあった。その間に国政選挙で勝利し続ければ党首選挙は行なわれなかった。党首選挙が行なわれるのは、党首が死ぬか、辞任するか、選挙に負けるか、党内の一定数が要求した場合である。

 ところが「民主主義もどき」のこの国ではそう考えない。国政選挙と関係なく党則で決めた任期に従って党首選挙が行われる。中選挙区時代の自民党には5つの派閥があり、その領袖を次々総理に就かせる必要があったから2年ごとに総裁選挙をやった。「歌手1年、総理2年の使い捨て」と自嘲しながら、しかし自民党単独政権時代にはそれが総理を決める唯一の選挙であった。

 今も自民党は3年、民主党は2年ごとに党首選挙をやる決まりになっている。そして困った事に小泉総理を誕生させた2001年の自民党総裁選に国民が熱狂した。国民が参加しない、つまり国民主権と関係のない選挙に国民は熱狂したのである。それに味を占めた自民党は自民党総裁選挙をPRの道具と考えるようになった。

 ここ数年、自民党総裁選挙には総理になるだけの経験を積んだとは思えない候補者がぞろぞろと出てきて、「口先三寸」の演説を新聞とテレビに連日報道させる茶番が繰り返されてきた。すると民主党にもそれを真似る議員達が出てくる。その連中は「国民に開かれた選挙」と言って、民主主義と関係のない選挙を民主主義であるかのように吹聴する。昔は自嘲気味に語られた「総理と流行歌手」が最近では本当に同レベルになった。

 参議院選挙に敗北した民主党が代表選挙を行うのは当然である。国政選挙に敗北した党首がそのまま続投する事は民主主義の考えに反する。辞任をするか、辞任をせずに続投するならまず党内で信を問うべきである。それもやらずに続投させるのは民主党が国政選挙の結果を無視する政党だという話になる。

 ところが代表選挙をやると党が分裂すると言う反対論がある。これは「私」の論理である。国民には関係のない話だ。第一、党首選挙をやると分裂するという政党は同じ政党である事の方がおかしい。党首選挙は次の国政選挙に勝つために党首を選び直す選挙である。その度に分裂するというならさっさと分裂してくれた方が国民のためになる。

 しかも今回の民主党代表選挙は対立軸がはっきりしている。昨年の衆議院選挙で民主党が掲げたマニフェストを続けるか、やめるかという対立である。思い起こせば自民党の小泉構造改革は「改革なくして成長なし」と言い、①成長重視、②緊縮財政の路線を採った。強い産業をさらに強くすることでその利益を国民に分配するという経済政策だった。

 ところが国民は利益の分配を実感できなかった。そこで3年前の参議院選挙に安倍政権は「成長を実感に!」というスローガンを掲げた。これに対して小沢民主党は「国民の生活が第一」を掲げ、それを具体化したのが昨年の衆議院選挙である。強い産業を強くして利益のおこぼれが国民に到達するのを待つ政策ではなく、税金を直接家計に注ぎ込む経済政策を打ち出した。それが「子供手当」、「農家戸別所得補償」、「高校の授業料無料化」などの諸政策である。

 これに対して自民党は財源の裏付けのない無責任な「バラマキ」だと批判し、自民党が責任政党である証拠に消費税を10%値上げすると参議院選挙のマニフェストに書き込んだ。すると菅総理は自民党の政策を丸飲みし、「財政健全化」に政治生命を賭けると宣言した。つまり菅民主党は小泉構造改革と同様に①成長重視、②緊縮財政路線なのである。

 従って民主党代表選挙はこの10年ほど日本が模索してきた路線対立の決着点になる。同時に政界再編の対立軸を作る選挙にもなりうる。小泉構造改革を支持する政治家は菅民主党と、小泉構造改革に反対する政治家は小沢民主党と手を握る事が出来る。実に意味のある選挙なのである。

 それを「選挙で政治空白を作ってはならない」などというバカがいる。そんなことを言えばアメリカ大統領選挙は1年がかりで行われるが、誰一人「政治空白」を問題にする国民はいない。むしろそれだけ時間をかけてくれるから国民も国家の現状や進路に関心を抱くことが出来る。この選挙は国民が参加する選挙ではないが、この国の「分かれ道」を考える貴重な時間を国民にも与えてくれる筈である。

 ところが昨夜鳩山前総理が菅総理と会談して「トロイカ」体制の確認を行ったことから、メディアは一斉に代表選挙回避と報道し始めた。しかし「トロイカ」体制を確認したからこそ代表選挙は行われると私は思う。党が分裂することなく代表選挙を戦うための「トロイカ」体制ではないか。選挙を回避したら政治が分かりにくくなるだけの話だ。
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リンク元は↓
民主党代表選挙とは何か

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民主党代表選 ~ 「小沢一郎政経フォーラム」開催案内

9月24日に行われる「第六十回『小沢一郎政経フォーラム』」の申込をネット上からしてみたところ、本日、案内状が来た。

https://www.ozawa-ichiro.jp/support/seikeiforum.htm

その案内状の文面。

Img

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民主党代表選関連 ~ 民主代表選挙の「深層」 10/08/28

・ 「ニッポン再興へのシーズ」 田中康夫&田中良紹

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2010/08/30

民主党代表選 ~ 小沢一郎は菅&メディアの策動に乗らず、代表選を闘いぬくべきである

この週末のメディアの報道で何よりも違和感があったのは、あれだけ小沢一郎を叩いて菅直人を持ち上げていた朝日新聞が、突如として菅直人の側近中の側近である仙谷由人の政治資金問題を一面トップで書いたことだ。
ちなみに、この件は1年以上前にブロガーが指摘していることであって、朝日のスクープでもなんでもない。

・地獄への階段
【不思議発見!】仙谷 由人議員の政治と金

私は朝日新聞で働いている人に聞いたのだが、この会社には調査報道班というのがあり、ここのグループはひたすら政治資金収支報告書を見るのだそうだ。

・6月23日の私のtweet
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A新聞社にいた人から今日聞いて面白かった話。この会社には調査報道班というのがあり、ひたすら政治資金収支報告書を見てるんだそうな。普段は10人弱だが、組閣があると支局からの応援もくるとか。ずーっと紙の資料を見ていると頭がおかしくなるらしい。
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仙谷由人は内閣の要である官房長官である。しかもメディアは「政治とカネ」についてここのところ大騒ぎをしている。
だとしたら仙谷の政治資金収支報告書は穴のあくほど見ていたはずで、この程度の事務所問題はその段階で気づいていたはずだ。にもかかわらず当時、朝日新聞はまったく書かなかった。
その問題をここに来て突如浮上させたからには、何らかの意図がないはずがない。

一方、8月26日のエントリーでも書いたが、25日の夜、仙谷と思われる政府首脳は「小沢氏が立候補して、選挙によって日本の政治に決着がつくのであればいいことだ」と言っている。

・小沢氏 立候補の意欲伝える(NHK)

また、菅直人も「小沢先生が出馬することは大変にいいことだと思っている」と言っている画像が何度もテレビで流れたものだ。
そうしてテレビはまたもや小沢一郎の大バッシングを始めた。
小沢が出馬表明をして以来、私は普段は見ないテレビのワイドショーなどを嫌々ながらも極力見るようにしているが、まあ呆れ返るという言葉では足りない、絶句、慄然とするほどの偏向報道を続けいてる。
田崎史郎や岸井成格といった、そもそも官房機密費授受疑惑のある人物が出演している番組はもちろんのこと、昨日の昼にテレビ朝日でやっていたワイドショーがひどかった。
これはtwiteerでもずいぶんと話題になったが、スタジオに小沢支持派である森ゆうこ議員を呼び、これを司会者以下出演者全員で袋叩きにするという企画である。
そして森ゆうこ(役者不足であったことは否めないが、そういう人物をキャスティングするところに局の意図がまざまざと見える)が政治とカネの問題についての司法判断についての話をすると、この番組の司会である男性アナウンサーは、

「でも、まだ証拠が見つかっていないだけかもしれないじゃないですか」

とのたまったものである。
こうしてテレビが必死に反小沢キャンペーンを張りながら、一方で通信社や新聞社が誘導尋問の「世論調査」をする。となれば当たり前の話だが菅続投を支持する率が圧倒的に高い。これをもって、「小沢は世論と敵対するのか」と迫る。

さらにメディアは「どうしても代表選をやるのなら政策論争をすべきで、泥仕合をやるべきではない」と言いながら、菅陣営からリークされた情報をそのまま垂れ流している。

・小沢代表当時の資金配分を調査…菅氏側

これはtwitterでもつぶやいたが、このような情報を流すのならば「菅首相に近い民主党幹部」は実名にすべきだろう。
が、そもそもここにある2006年から2009年の小沢一郎の代表時というのは、天下分け目の参議院選、衆議院選の期間であるわけで、そこに向かって特定の議員に政治資金を配分するのは当たり前のことだ。
地盤も資金も鉄板の候補にカネをいくら投入しても無駄なのであって、それこそ大量に擁立した新人議員や危ない選挙区に資金を集中するのは当然ではないのか。そして結果として2006年の参議院選も2009年の総選挙も民主党は圧勝したのである。いったいどこが問題なのか。それとも現幹事長の枝野は、自分には大して政治資金が回ってこなかったと不満なのか。

さて、そうして今朝の新聞報道によると、またしても週末に行ったという「世論調査」の菅直人の高支持率を書きたてる一方で、「首相と小沢一郎前幹事長が全面対決することを回避するよう求める声が広がっている」(読売)、「党内に首相と小沢氏の対決回避を求める声があることに配慮した。」(朝日)と、代表選回避の動きがあることを伝えている。
しかもご丁寧に「首相の再選を支持する仙谷官房長官は29日、鳩山氏と会談。仙谷氏は都内のホテルで記者団に、小沢氏との一騎打ち回避の可能性について『(対決回避は)十二分にあるだろう』と述べた。」(読売)、「仙谷氏も同日夕、『深刻な事態にならないように私も努力したい。(対決回避の可能性は)十二分にある』と語った。」(朝日)と付け加えてある。

以上の流れから私が推測することは、、、

まず菅陣営、そしてメディアは小沢一郎が代表選挙に名乗りあげるとはまったく思っていなかった(岸井成格などは100%ないと言っていたらしい)。
ところが小沢一郎(とそして鳩山由紀夫)は菅政権に堪忍袋の緒が切れており、代表選出馬を決意した。
そもそも小沢は細川政権が下野して以来、ずっと選挙による政権交代実現のため、霞が関独裁から脱却して国民の生活が第一の民主主義政権を樹立することために努力をしてきたのである。途中、民主党のレベルの低さ、政治というもののあまりの理解の低さに内心は呆れ果てだであろうにもかかわらず、我慢に我慢を重ねて政権交代を実現した。ただし最終的な仕上げは今年の参議院選挙での過半数獲得であり、ここにおいて真の政権交代が実現するはずった。
ところがその前段階でのメディアによる鳩山-小沢の根拠のない袋叩きに、さしもの小沢もこれでは最重要である参議院選挙での過半数獲得が難しいと判断して鳩山とともに辞任をしたわけだ。
そうして菅直人に政権を託してみたら、この男はものの見事に官僚に寝返っており、よりにもよって仕上げのはずの参議院選挙で想像を絶する負け方をした。
ことここに至れば、小沢一郎が政治生命を賭けて代表選に出馬する決意をするのは当然であって、鳩山由紀夫がそれを支援するのもまた当然のことである。メディアでは「鳩山がなぜ小沢支持になったか理解できない」とわめきたてているが、これほどわかりやすい話はない。

話を戻すと、おそらく菅陣営とメディアは最初は代表選をやっても勝てると思っていたのだろう。
ところが実際に票読みをしてみると勝ち目はない。さらに、メディアは「世論は菅」と書きたてているが、実際のところネット上では真逆の結果が出ているし、自分たちの「報道=洗脳=空気作り」に対する風当たりがかつてないほどに厳しいものであることを、実は感じとっているのではないだろうか。「これはおかしい、自分たちが思っているように世論が動いていない」と。
そうして小沢政権という霞が関とメディアにとっての悪夢が突如、目前に迫ったことを知った時、彼らは窮余の一策として「スキャンダル」を浮上させることで仙谷を辞任させ(おそらく仙谷も納得ずくだろう)、小沢の代表選出馬をなんとしても思い止まらせることを思いついたのではないか。

まあ、以上のようなことを昨晩twitterでつぶやいたところ、「それは考えすぎでしょう」というコメントもいただいたが、しかし今日までの流れを説明できないこともない。

さて、ここで私は小沢一郎氏に言いたい。
そんなことは百も承知であろうが、代表選挙を自ら降りては絶対にいけない。もしそのようなことをすれば、その時こそ敵の思う壺であって政治生命が終わってしまう。
ここは断固として代表選に名乗りをあげ正々堂々と戦うべきである。
そうして、自分たちが勝てばいいとばかりに小狡い手を使って、結果、民主党全体の名誉を棄損することにいそしんでいる菅グループの連中を引きずりおろし、国民の生活を苦しめる元凶である霞が関とメディアを叩き壊して欲しい。
菅直人のおかげで参議院が過半数割れとなり、これからの道は限りなく険しい。
しかし、それをしのいで「国民の生活が第一」を貫くことができるのはあなたしかいない。

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2010/08/29

民主党代表選関連 ~ 8月27日のTBSラジオ

・謙遜と謙譲の音楽

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武田記者が一方向に雪崩を打つ新聞メディアの論調の不気味さを語る。

映像作家の大根仁さんと崎山記者が、27日の朝日新聞社説や天声人語の「危うさ」を検証する。
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こちら(8月27日のTBSラジオ)に音声あり。

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2010/08/28

民主党代表選 ~ 朝日新聞の低劣さに開いた口がふさがらない

昨日の朝日の社説はまあひどいものだったが、今日の社説もまたひどい。
「どうしてここまで民意とかけはなれたことができるのか。多くの国民が、あぜんとしているに違いない。」(昨日の朝日社説の冒頭部分から引用)。
ということで以下、朝日の本日の社説。

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 民主党の代表選は、再選を目指す菅直人首相と、「復権」に執念をみせる小沢一郎前幹事長との全面対決の構図となった。
 政治とカネの問題にけじめをつけていない小沢氏に、首相を目指す資格があるとは言い難い。民意に問うことなく、首相をまた交代させようとする企てが正当とは到底いえない。
 しかしながら、小沢氏が人事で裏取引して立候補を見送ったり、傀儡(かいらい)の候補者を立てたりすることに比べれば、表舞台で正面から戦う方がまだしも、ましかも知れない。有権者とすれば、せめてそう考えてこの代表選を見つめるほかない。
 対決とはいえ、むき出しの権力闘争に堕するなら願い下げである。
 昨年の総選挙マニフェストを見直すのか否か、消費税論議に踏み出すのか否か。菅、小沢両氏は、民主党内にある二つの潮流をそれぞれ代表する。
 権力を得て、どんな政治を、政策を実現したいのか。双方が明確に示し、論戦を繰り広げ、黒白をつける機会にしなければならない。
 小沢氏はいまだ政治資金問題への対応を明らかにしていない。政権構想もこれからだ。わずか1年で2回目の首相交代を迫る以上、自分が首相になればそのマイナスを補って余りあるプラスがあると説得しなければならない。
 右肩あがりの成長の時代が終わり、政治の役割は果実の配分から「痛み」の配分に移ったともいわれる。政治指導者には、「あれかこれか」を選び、負担増となる人々には丁寧に説明し、納得を得る努力が求められる。
 「相談しない、説明しない、説得しない」とも言われる小沢流が、今の時代にふさわしいか。小沢氏には、その政治手法の総括も求められよう。
 菅首相は参院選で、総選挙マニフェストの見直しと消費税論議を提起した。厳しい財政事情を直視すれば理にかなった主張である。参院選敗北後、代表選をにらんで言をあいまいにしてきたが、もはや封印する理由はない。
 対する小沢氏は、あくまでマニフェストの実現を目指すというなら、その財源を具体的に示さなければいけない。消費税論議を当面棚上げするのなら、それに代わる日本の財政健全化の道筋を示す責任もある。
 普天間問題を含む外交・安全保障政策や、ねじれ国会への対応についても、この際、徹底した論戦を通じて、党の意思統一を図る必要がある。
 党内にさまざまな考え方があっても、これまでは「政権交代」という一点で結集ができた。しかし、それが実現したいま、改めて民主党は何を目指す政党なのかが問われている。
 「小沢か、脱小沢か」の主導権争いだけにうつつを抜かしていたら、国民の気持ちは離れるだけだろう。
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そこで私もこの社説に習って、自分の主張を書いてみた。

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民主党の代表選は、参院選敗北の責任も取らずに権力維持することに「執念」を見せる菅直人首相と、政権交代の原点に立ち返ることを目指す小沢一郎前幹事長の全面対決となった。
政治とカネの問題を官僚とメディアによってデッチ上げられた小沢氏には、首相を目指す資格は十分にある。参院選を信任投票と位置付けて敗北した菅氏が、まだ首相を続けようという企てが正当とは到底いえない(しかも菅氏は再選されたら命がけでやるという。つまり今は命がけではないということだ)。
だからこそ、菅氏が人事で裏取引をして小沢氏の立候補を止めるよりも、表舞台で正面から戦うことを選んだのは当たり前のことである。有権者としては、この代表選を歓迎して見つめるべきだ。
これは「既得権益者の生活が第一」の政治対「国民の生活が第一」の政治の闘いであって、これをメディアがむき出しの権力闘争に世論誘導するのは願い下げである。
昨年の総選挙マニフェストを見直すのか否か、自民党政権時代のような官僚依存に踏み出すのか否か。菅、小沢両氏は、民主党内にある二つの潮流をそれぞれ代表する。
権力を得て、どんな政治を、政策を実現したいのか。双方が明確に示し、論戦を繰り広げ、黒白をつける機会にしなければならないのは当たり前の話だ。
菅氏は消費税増税前にデタラメな霞が関の改革や世論形成を歪めるマスメディアのクロスオーナーシップの禁止など、既得権益者に対する対応をまったく明らかにしていない。参院選であれだけの大敗北を喫したにもかかわらず首相続投を主張する以上、自分が首相を続ければそのマイナスを補って余りあるプラスがあると説得しなければならない。
一部の既得権益者がポロ儲けをし、国民はそのおこぼれを授かることで生活をしてきたという時代は終えて、政治の役割は官・政・業・メディアに巣食う一部の権益をオープンかつフラットなものにしていかなければならないともいわれる。政治指導者には、日本を長らく支配してきた既存の既得権益者に切りかかる「力」が求められている。
「官僚の言うがまま、国民の生活はまったく念頭にない」とも言われる菅流が、今の時代にふさわしいのか。菅氏には官僚依存、そして菅氏の背後にいる官僚と一体化した仙谷官房長官頼みの政治手法の総括も求められよう。
小沢氏は参院選で、菅氏の消費税増税論議を批判した。菅氏の官僚依存度を直視すれば理にかなった主張である。代表選をにらんで小沢氏は国民の生活が第一という主張、そしてメディアがまったく黙して語らない政治ジャーナリズムとカネ(官房機密費)との関係について封印する理由はまるでない。
対する菅氏は、官僚やメディアの言いなりになって、あくまで消費税増税を目指すというなら、その前に霞が関とどう対峙するのか、その姿勢を具体的に示さなければならない。消費税増税を強要するのなら、その先の国民生活健全化の道筋を示す責任もある。
対米従属なのか、自主独立なのかという普天間問題を含む外交・安全保障政策や、ねじれ国会への対応についても、この際、徹底した論戦を通じて、党の意思統一を図る必要がある。
党内にさまざまな考え方があっても、これまでは「政権交代」という一点で結集ができた。しかし、それが実現したいま、改めて民主党にとって政権交代とは国民の生活が第一なのか(小沢)、単なる自民党からの利権奪取なのか(菅)が問われている。
また、マスメディアが既得権益を死守し、自分たちの過去の政治とカネの問題を隠すためにこの代表選を「小沢か、脱小沢か」の主導権争いなどという低レベルな次元に矮小化し、怪しげな世論調査の結果などをもとに世論操作、誘導にうつつを抜かしていたら、ますます国民は信用しなくなるだろう。
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こうしてみると、朝日の社説というのはわざわざ復権という言葉にカギかっこをつけるなど、その品性のレベルの低さは尋常ではない。
それにしても、ネットでは小沢一郎支持の声が澎湃として起こっているのに、それはまってく無視するということは、かのエリートさんたちにとって(かつて筑紫哲也が書いていたと思うのだが、たしか朝日では政治部というのは「栄光の座」とか言われてるんですよね)ネットというのは所詮、便所の落書きだというとこだろう。
だったら、自社のサイトをネット上に作るなよ。
ちなみちに昨日の朝日の社説(天声人語、星浩の署名原稿も含めて)はネットでは大変に評判が悪かった。
そして今日のこと。私は江川紹子のtweetで知ったのだが、産経新聞は3面で「27日の在京各紙では、日ごろは論調が異なることが多い産経と朝日が、ともに社説で小沢の出馬と前首相、鳩山由紀夫の支援について『開いた口がふさがらない』と書いた。他紙も決して好意的ではない。」と書いている。
あらま、自分たちで大政翼賛報道やってることを認めちゃってるよ(笑)。
それが恥ずかしかったのかどうか、本日現時点(8月28日午前11時)で、朝日新聞の昨日分の社説は削除されて読めなくなっているのであった。

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2010/08/27

民主党代表選 ~ メディアの行確対象者を監視しよう!

昨日、twitterのタイムラインを見ていたら、「もう真っ当な人は新聞もとってないし、テレビも見ていないけど、これからはイヤでも誰が何を言っているかを見る必要がある」というようなことをおっしゃっている方がいた。
まことに私もその通りだと思う。

これから始まる民主党代表選は、間違いなく今後の日本の命運を左右するものになる。
それはかつて自民党内で繰り広げられたような単なる権力闘争ではなく、「既得権益者の生活が一番」(菅直人)か「国民の生活が一番」(小沢一郎)か、つまり霞が関独裁の継続か、民主化推進かという闘いである。

ここにおいて既得権益者の側から重要な役割を担うのが、官房機密費という賄賂を長年にわたって受け取っていたメディア関係者だ。何しろ彼らをカネで懐柔してきた勢力にとって、今こそその見返りとしての世論操作を最大限に期待しているわけで、当然、それはメディア関係者もわかっている。
ま、世論操作自体は別に今に始まったことではないが、なにしろ最終決戦の秋(とき)だ。
したがって小沢叩きのレベルもこれまでとは比較にならないほどの様相を呈するだろう。
私は今朝のとくダネ!を見ていたが、すでにその兆候は見てとれた。
ゲストには相変わらず田崎史郎を平然と出演させて、「鳩山がなぜ小沢を支持したかわからない」、「世論調査では菅直人が人気」、「小沢の立候補は検察の訴追逃れ」、「小沢は政治とカネについてほとんど説明しない」(ただしこれについては岩上安身が「記者会見でちゃんと説明しているが、それを放送しないだけ」と反論)などとやっている。

とここまで書いたところでtwitterを見たら、朝日新聞の社説と天声人語がのリンクが張ってあったので見てみたら、これがすごい。

・社説
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 どうしてここまで民意とかけはなれたことができるのか。多くの国民が、あぜんとしているに違いない。
 民主党の小沢一郎前幹事長が、党代表選に立候補する意向を表明した。
 政治とカネの問題で「責任を痛感した」と、幹事長を辞して3カ月もたっていない。この間、小沢氏は問題にけじめをつけたのか。答えは否である。
 いまだ国会で説明もせず、検察審査会で起訴相当の議決を受け、2度目の議決を待つ立場にある。
 鳩山由紀夫前首相にも、あきれる。小沢氏率いる自由党との合併の経緯から、この代表選で小沢氏を支持することが「大義だ」と語った。「互いに責めを果たす」とダブル辞任したことを、もう忘れたのか。
 二人のこのありさまは非常識を通り越して、こっけいですらある。
 民主党代表はすなわち首相である。党内の多数派工作に成功し、「小沢政権」が誕生しても、世論の支持のない政権運営は困難を極めるだろう。
 党内でさえ視線は厳しい。憲法の規定で、国務大臣は在任中、首相が同意しない限り訴追されない。このため「起訴逃れ」を狙った立候補ではないかという批判が出るほどだ。政治とカネの問題をあいまいにしたままでは、国会運営も行き詰まるに違いない。
 より重大な問題も指摘しなければならない。
 自民党は小泉政権後、総選挙を経ずに1年交代で首相を3人も取りかえた。それを厳しく批判して政権交代に結びつけたのは、民主党である。
 今回、もし小沢首相が誕生すれば、わずか約1年で3人目の首相となる。「政権たらい回し」批判はいよいよ民主党に跳ね返ってくるだろう。より悪質なのはどちらか。有権者にどう申し開きをするのか。
 それとも小沢氏は代表選に勝っても負けても、党分裂といった荒業もいとわずに大がかりな政界再編を仕掛けようとしているのだろうか。
 金権腐敗政治と決別し、2大政党による政権交代のある政治、有権者が直接政権を選ぶ政治を実現する――。そんな政治改革の動きの中心に、小沢、鳩山両氏はいた。20年余の歳月を費やし、ようやく目標を達成したと思ったら、同じ二人がそれを台無しにしかねないことをしようとしている。
 ほぼ1年前、新しい政治が始まることを期待して有権者は一票を投じた。その思いを踏みにじるにもほどがあるのではないか。しょせん民主党も同じ穴のむじな、古い政治の体現者だったか――。政党政治自体への冷笑がさらに深まっては取り返しがつかない。
 代表選をそんな場にしてはならない。有権者は政権交代に何を託したのか、根本から論じ直し、古い政治を乗り越える機会にしなければならない。
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・天声人語
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 鳩山前首相は不思議な人だ。政界引退を口にしたのもつかの間、民主党の結束を訴えて菅首相、小沢前幹事長の仲介役を買って出た。ところが対決のおぜん立てをしただけで、伝書バトはロシアに飛び去った▼9月の代表選は菅氏と小沢氏の勝負になるらしい。前に書いた「民主の森」の物語に沿えば、いよいよカブトムシとオオクワガタの激突である。カブトを支えるとしていた鳩山氏は、なぜかクワガタの応援に回るそうだ。3カ月前の「抱き合い心中」は何だったのか▼ともあれ小沢氏に謝りたい。本物のオオクワガタは怖がりで、危険を感じると巣に隠れる、と紹介した件だ。勝算があるのだろうが、氏は意外にも、世論を敵に回し、国会でたたかれるリスクを取った▼それでもやはり、小沢氏は首相に向かないと思う。まず、土建業界との腐れ縁が示す古い政治。豊かな資金で手勢を養い、来るべき政界再編、日本の大改革に備えているやに聞くが、目的が立派なら手法は問わないという時代ではない▼次に、カネの出入りをちゃんと説明しない、広い意味での出無精と口べたである。リーダーの資質としては金権体質より深刻かもしれない。鳴かないのがすごみになるのは、樹上で争う大型甲虫ぐらいだ▼森を二分する戦いは政治史に残ろう。菅氏は、「あらゆる意味で反面教師」とする角さんの愛(まな)弟子と首相を争うことになる。「大変いいこと」と語る顔はこわばっていたが、この分かりやすさ、恥じることはない。それこそ、新しい政治に求められているものである。
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まだ代表選の入口前でこれだけの小沢叩きを展開するのだから、代表選に入ったら推して知るべしである。
このような状況下では、民主化推進を支持する一人ひとりがメディアを監視して、どんな些細なことでもその問題点を指摘していくことが大変に重要だと思う。
なかでも、とくに官房機密費授受疑惑の可能性が高いメディア関係者、タレントに関しては厳密な行確(行動確認)をする必要がある。

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民主党代表選関連 ~ 田中良紹 「ねじれ」にお気楽な人たち

田中良紹の「国会探検」

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 現在の民主党政権は3年前の参議院選挙以降三代続いた自民党の安倍、福田、麻生政権より非力である。参議院で過半数を失い、衆議院で再議決に必要な三分の二の議席を持っていないからである。三分の二を持っていたにも関わらず、安倍、福田、麻生政権がどれほどの醜態をさらしたかを思い起こせば、民主党政権の行く末はそれより酷くなる事が想像できる。
 ところがお気楽な人たちは政策毎の部分連合で野党とよく話し合いながら政治を進めれば、3年先まで解散をしなくとも民主党の政策を実現出来ると言う。そのノー天気には呆れるしかない。そういう人たちは「政治は信頼が大事」とか「国民によく説明する事が大事」とか、世界のどの国の政治家も言わないような幼稚な事を言い、学級委員レベルの政治手法で嘘と謀略に満ちた世界に立ち向かうつもりなのだろう。

(中略)

 保守合同による自由民主党の誕生は日本の政治が「ねじれ」から解放された事を意味した。ようやく政権は安定し、日本は高度経済成長を迎える事が出来た。それが転換するのはベルリンの壁が崩壊した1989年である。世界が冷戦構造の終焉を迎えた時、長らく「ねじれ」を忘れていた日本の政治も平和な時代を終えた。消費税とリクルート・スキャンダルで自民党は参議院選挙に惨敗、結党以来初めて過半数を失った。勿論、衆議院で三分の二など持っていない。

 当時の野党第一党社会党が政権を狙える状況になった。しかし社会党政権が出来なかったのは何故か。一つは社会党に政権を取る気がなかった。つまり社会党は本当の意味の「野党」でなかった。もう一つは小沢一郎という政治家が自民党幹事長の職にあったからである。

 この時、社会党を中心とする野党は「消費税廃止法案」を国会に提出して参議院で可決させた。すると小沢幹事長は「消費税見直し法案」を提出して野党共闘を分断し、消費税を廃止させなかった。また社会党が絶対反対のPKO法も成立させ、「ねじれ」にもかかわらず、全く法案審議に影響させなかった。つまりこれから民主党がやらなければならない事を20年以上も前に小沢氏は成功させていたのである。

 これと対比したくなるのが1998年に起きた「ねじれ」である。参議院選挙惨敗の責任を取って橋本総理が辞任した後、後継の小渕政権は「ねじれ」で苦境に立っていた。野党民主党が政権交代に追い込むチャンスであった。ところが当時の民主党代表菅直人氏は「政局にしない」と発言し、民主党の金融再生法案を小渕政権に丸飲みさせただけで終わった。それで民主党に政権交代の足がかりが出来たかと言えば逆である。

 自民党は自自、次いで自自公連立政権を作って権力基盤を固め、民主党を権力闘争の埒外に追いやった。政権交代の可能性は消えた。恐らく民主党のふがいなさに呆れた自由党の小沢氏は自民党との連立に向かい、連立の条件として副大臣制や党首討論の実施などの政治改革案を自民党に飲ませた。

(以下略)
*****

詳細はこちら↓
「ねじれ」にお気楽な人たち

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2010/08/26

民主党代表選 ~ 断固として小沢一郎を支持する理由

小沢一郎が民主党代表選挙への立候補を決意したという。

・小沢氏 立候補の意欲伝える(NHK)

上記リンクには「政府首脳は25日夜、記者団に対し『小沢氏が立候補して、選挙によって日本の政治に決着がつくのであればいいことだ』と述べました。」と書いてあるが、この政府首脳とは官房長官の仙石由人のはずで、これは仙石による「小沢を潰す」というハッキリとした宣戦布告だ。

民主党員でもサポーターでもない私が昨年夏に民主党に託したもの。それは日本を長年にわたって支配してきた霞が関独裁権力からの脱却である。
鳩山-小沢体制で動き出した新政権は、私が望む方向へと進み出したかに見えた。だが、官マスは一体となってデマゴーグを徹底的にバラ撒き、さらに権力を駆使して石川知裕議員に対する冤罪をでっち上げることで対抗し、鳩山-小沢による民主化運動を潰すことに成功した。

そうして出来上がった菅政権。洞察力の足りない私は恥ずかしながら当初はこの政権に期待していた。しかし、菅直人-仙石由人-枝野幸男(なかでも中心は仙石だと思われる)が自民党政権同様、霞が関に従属した存在であることは参議院選挙によって明らかになった。
もし今夏の参議院選挙で民主党が過半数をとっていれば、鳩山-小沢の悲願だった日本の民主化は大きく歩を進めたはずだった。ところがこの最重要局面で主導権を奪った菅-仙石-枝野は、霞が関の意を受けて消費税の増税を持ち出すことで参議院民主党をわざわざ過半数割れに追い込み、民主化の芽を摘み取った。
要は、政権交代が鳩山-小沢にとっては民主化への第一歩と位置付けられていたのに対し、菅-仙石-枝野にとっては単に自民党からの利権奪取でしかなかったということである。
この結果に大いに満足した官マスの既得権益者たちは、菅直人がこれだけの惨敗を喫した最高責任者であるにもかかわらず、「総理大臣がコロコロ代わるのはいかがなものか」というわけのわからない論理を持ち出して、臆面もなく首相続投の「空気」を作ることに必死である。

これに対して民主化勢力の旗頭である小沢一郎が立ち上がるのであれば、私はこれを断固として支持するし、絶対に勝利してもらわなければならない。もし、ここで小沢が敗れるようなことがあれば、おそらく日本は自民党政権時代以上の暗黒を迎えることになると私は思う。
先ほどtwitterを見ていたら、上杉隆が「【速報】鳩山前首相、小沢氏支持を表明」とつぶやいていた。これが本当ならば鳩山-小沢の第一次民主化運動から今度は小沢-鳩山による第二次民主化運動が始まることになる。
繰り返しになるが、私はこの運動を最大限に支持するが、しかし勝負の行方はまったくわからない。
これから代表選投票日までの間、日本のマスメディアが北朝鮮の国営放送どころではない小沢一郎大バッシングという「洗脳報道」を始めることは明々白々である(すでに今朝のトクダネ!では「政治記者と官房機密費」疑惑がタップリとかかっている男を出演させることで、その兆候を見せている)。
つまり、これは正しく「独裁権力対民主化勢力」の闘いなのであって、通常、このような闘いに民主化勢力が勝つためには一般大衆による圧倒的な支持と連帯がなければならない。
間違いなく言えることは、霞が関とマスメディアも命がけで世論操作をすることである。そしてこれに対抗するためには個人ブロガーのネットを通じての緩やかな連帯とtwiiterを通じた拡散が、これまで以上に非常に重要な意味を持つと思う。
幸い私は失業者なので(笑)これからの数週間、これが日本の命運を決める最終決戦だと思って頑張る所存である。

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2010/08/25

ドキュメント出版社 その13

週刊宝石休刊(10)

通常、雑誌が休刊になるケースというのは、販売収入的にも広告収入的にもにっちもさっちも行かなくなった場合である。あるいは週刊サンケイがSPA!に、週刊読売が読売ウィークリーに全面リニューアルしたのも同様の理由だ。
それに比べると、週刊宝石の休刊というのは相当に余力を残してのものだったわけで、珍しいケースだったと言える(※注)。
もちろん部数が落ちていたことは事実で、社内の管理部門などの経費負担分までを入れれば赤字であっただろうが、今にして思えば十分な粗利は出ていたはずだ。つまりビジネスモデルとしては十分に存続の余地があったわけで、であれば通常は編集誌面の手直しをしながらコストの削減に努めるのがセオリーだろう。

実際、これは光文社に限らないことだが、上位に位置する出版社というのはどこも高コスト体質で、トヨタ自動車的な言い方をすれば“ずぶ濡れタオル”のようなものである。つまり合理化余力がふんだんにあるわけで、まずはタオルを絞ってコストダウンすることによって収益構造を見直すことは十分可能だったはずだ。
カルロス・ゴーンが日産の社長になってまずやったこともこれで、実はそれだけで日産は黒字化してしまう。つまり合理化余力というのは含み資産なのである。
しかし、週刊宝石の場合は並河新社長の強い指導力の下で含み資産のあるビジネスモデルを一旦、ご破算にして新たなビジネスモデルを立ち上げることを試みた。
以前にも書いたように、私はこの判断自体には正統性があると思う。ただし、その経営判断には経営責任が伴う。そして結果的に週刊宝石の後を受けて2001年6月に創刊されたDIASは2002年3月には休刊となってしまった。私はDIASに関しては語るべき材料は何もないが、紛れもない失敗であったことは事実である。

しかしながら、、、
このDIASの失敗で責任をとった人は誰もいなかった。
これは組合の団交報告で聞いたことだが、DIASについて問われた並河氏は「これは失敗ではなく投資だ」と言ったという。百歩譲ってそれが正論だとしても、であれば投資金額はいかほどでどのような回収計画を立てているのかが問われなければならないはずだ。なので私は一応その点を質問してみたが、組合としてもそれ以上の追及をすることはなかった。
そうしてDIASの編集長だった三橋氏は総務部長になる。これは明らかな出世コースで、実際、その後三橋氏は役員に昇進する(ただし任期内に退任してしまったが)。
私は三橋氏は優秀な人だったので総務部長になるのはとてもいいことだと思ったが、しかし何のペナライズもないままにいきなり総務部長という管理部門の長(人事評価をする側)になるのは、ガバナンスの点でいささか問題があるのではないかとも思った。
もっともそれは会津出身で非常に真面目な人だった三橋氏自身が一番、痛感していたはずで、その心情は社員を前にしての取締役就任挨拶の際、まずは冒頭で自分がかつて非常に大きな迷惑をかけたことを詫びることから始めたことからも見てとることができた。

もちろんここまでの経緯を見れば、三橋氏に新雑誌の失敗の責任をすべて負わせるのはあまりにも酷な話である。なにしろ「本来の社格にあった」「女性にも見せられ、家に持って帰ることができる雑誌」というコンセプトをたてて新雑誌を主導したのは並河氏なのだから。
世の中である事象が起きた場合、その原因は複合的であることが多いものだが、週刊宝石の休刊からDIASの失敗に至る経緯は、そういう意味では原因と結果の因果関係が非常に直線的につながっている。にもかかわらず最初の時点で並河氏が自分自身を免責してしまい、ゆえに失敗の総括がまったくなされなかったことは、以後の経営に非常に大きな禍根を残したと思う。
なかでもとくに問題ではないかと思ったのは、これ以降、並河氏の権力が弱くなるどころか強まったことで、会社全体が内部統制(インターナル・コントロール)の効きにくい組織となってしまったように感じられたことだ。
今から考えると並河氏が社長を務めた2000年からの8年間というのは出版業にとって非常に重要な時期で、来るべき本格的デジタル化時代やそれに伴う広告環境の変化に備えて筋肉質の組織を作る必要があった。だが、並河色が強まれば強まるほど、むしろ脆弱性が増してしまったのは事実だと思う。

つづく

※注
定期刊行物ではないが、FLASHの別冊として年に8回ほど出していたFLASHエキサイティングという雑誌がある。一時期は大変に売れて、その成功を見た同業他社が続々と参入してきた揚句、「EX市場」という言葉まで誕生した。その後、売れ行きが落ちたとはいえ、それでもEX市場の開拓者としてトップを走っていたこの雑誌は、しかし2008年秋、並河氏の次の高橋社長時代に入ってからのことだが、突如として休刊の決定が下された。
私はこの雑誌の広告営業を担当していたので、これにはビックリしたものだった。というのも、広告媒体としてはまったく期待されてはいなかったが、それでも特定のクライアントにはとても人気があり、数年前には広告料金の値上げにも成功した媒体だったし、何よりも依然としてある程度の部数があったからだ。
社内で赤字決算が発表された数カ月後というタイミングで、しかもリーマンショックの真っただ中、広告収入が激減しつつあるという環境で、珍しく広告収入に頼らなくても十分に余力があった雑誌をなぜやめなければならなかったのか、私はいまだにわからない。

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2010/08/24

ドキュメント出版社 その12

週刊宝石休刊(9)

1月25日に発売された週刊宝石最終号(通巻928号)の締切は1月22日の月曜日だった。
通常は午後8時が最終の締切だったが、この日は夕方から私が所属する班の飲み会が行われている。つまり、最終号だったために誌面は事前に作られたメモリアル企画で埋め尽くされ、ニュース性のある記事はなかったということである。

翌火曜日はおそらく出社をしておらず、24日の午後に編集部に顔を出したが、ガランとしてほとんど人がいなくて薄暗かった印象がある
私がなぜこの日に出社したかというと、新雑誌企画室の室長である三橋和夫氏に会うためだった。実はその数日前、三橋氏から自宅に電話があり「新雑誌に来ないか?」と誘われたのである。これは自分にとっては思いもがけなかった話だった。
三橋氏はもともと週刊宝石創刊時のメンバーで活版ニュース班のエースだった。だから私はこの人がいずれは週刊宝石の編集長になるものだとばかり思っていた。もちろん当時の編集部内のことは知る由もなかったのだが、その三橋氏はしかしこれより数年前にカッパ・ブックスに異動してきたのである。当時、これにはビックリしたものだったが、実は三橋氏は入社時の配属がカッパだったために久々の復帰だった。
私は同じカッパグループでも隣の編集部に在籍していたのだが、以来、三橋氏とは面識があった(私が入社した時にはすでに三橋氏は週刊宝石の人だった)。とはいえ、まさか自分が新雑誌に誘われるとは思いもよらなかったのである。
三橋氏はどんな雑誌を作りたいかという話をしてくれて、他の創刊メンバーを教えてくれた。それは週刊宝石時代の三橋氏の部下だったメンバーが中心で、そこに女性ファッション誌経験者のラインが融合した形で、個人的には週刊宝石から移るメンバーがやや偏っている印象があった。
私は三橋氏に電話をもらって以来、相当に悩んだことは事実で、三橋氏と話をする時までどうしようかと考えていたのだが、最終的には書籍部門に戻ることにした。ただし結果的には古巣のカッパ・ブックスではなく、三橋氏が抜けた後の図書編集部に戻ることになり、この選択が今考えてみると少なからずその後の人生に影響を与えたと思う。

さて週刊宝石の最終号が発売された1月25日。14時からは班の会議があり、15時からは全体会議が行われた。この会議では、この後に行われるスタッフ説明会の内容が確認され、また編集部員に対する人事異動は翌週の役員会で決定することが伝えられた。
さらに膨大な量の写真整理の体制を整えること、伝票等の締切日、週刊宝石休刊の挨拶状を作ることについて、そして人事異動発令の日の午前中に全体会議、そして夕方から食事会が行われることもあわせて伝えられたのだった。

1月30日には金藤編集長から異動の内示があり、翌31日には総務部長から異動の通達がされている。
そして私の週刊宝石時代のノートの実質的な最終ページはこの1月31日の夕方に行われたデスク会議での記録となっている。
それによると、編集部員の人事異動の組合通達は2月6日で2月13日が発令日となる。スタッフとの面談は予定通り2月7日から9日まで行われる。そして2月13日は11時に全体会議(その前に荷物を新しい部署に移しておく)、18時半から解散食事会。挨拶状は2月7日に出来上がることが記され、また新雑誌へ移ることが決まった記者の名前が記されている。
この日から2月13日までは会社に行ったり行かなかったりで、もっぱら社外の友人や、これからのために著者関係の人たちと会いつつ2月13日を迎えている。
ノートには「2/13 全体会議 本社9F」と書いてあるが、その下には「スタッフ面談結果」とだけ書かれており、あとは空白である。そしてこれが週刊宝石時代の記録の本当の最後となった。だから会議の内容は覚えておらず、夜の解散食事会のこともあまり覚えていない。上野近辺で催された食事会は(たしか金藤編集長のいきつけの店だった)部員一人ひとりが挨拶をしたと思うのだが、私自身が何を話したかは記憶になく、ただその場の光景だけが頭に焼きついている。
そうして私の短い週刊宝石での生活が終わった。

つづく

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2010/08/19

「情報隠しの御用を務めるメディア」

「日本は情報を奪われた社会である。いくらメディアが数だけは氾濫し、ときには仕立てられた政治的スキャンダルが巷をそれなりに賑わせたとしても、この国を情報社会と呼ぶほど、みえすいたウソはない。かねてのわたしの主張どおり、正確には環境庁を環境破壊庁、農水省を農産物輸入省、厚生省を薄生省、もしくは厚金省と呼び代えるのが正しいように、日本が情報社会と通称されるとき、そのなかみはまぎれもなく情報禁断社会なのである。」

「情報はますます、金と権力のあるところに集中するが、行政や大企業をはじめ、この国の金と権力は情報を独占したうえで隠し、さらにはでっち上げることに努力を傾けている。その忠実な下請けとして、愚にもつかぬ“発表”ニュースやら、グルメ“ドキュメント”やらに血道を上げながら、情報隠しの御用を務めているのが、マス・メディアである。記者クラブをはじめとする制度としての情報システムこそが、情報禁断社会を造り上げている。」

「わたしは従来、テレビの報道やドキュメントは、いかに“情報”を称していようとも“広報”にすぎないと主張している。記者クラブで、官庁と御用記者のあいだで創作されている“ニュース”が、第二次大戦下の“大本営発表”の日常的な制度化であることは、もはやだれの目にもあきらかであろう。」

(いずれも1993年3月31日初版 岡庭昇著『自己決定力』より)

8月15日にこんなエントリーを書いたが、同じようなことを考えていらっしゃる方というのはやはりいるもので、くろねこの短語さんも以下のようなエントリーを書かれていた。

・渋滞報道ってなんのため・・・?

・渋滞半減だってさ・・・!!

昨日、15日に録音した「安住紳一郎の日曜天国」(TBSラジオ)を聴きながら歩いていた。この番組のコーナーの一つに「さばいてにち10」というのがある。これは「その週に起きたさまざまなニュースの中から、独自に気になるニュースをピックアップして掘り下げる」というコーナーである。そしてこの日にピックアップされたのは「過去最悪の渋滞予測!最終日」だった。
ピックアップするのはコーナーを担当している女子アナ(岡村仁美アナ)ということになっているが、おそらくはディレクターが決めているのだとろう。
そしてこのコーナーが無残というか、むしろ笑えるものだった。

まずは「今、渋滞の中でラジオを聴かれている方もいると思うのですが、、、」と前置きをした岡村アナは、「今年のお盆の帰省ラッシュは過去最悪になるのではないかと予測されている」と続け、「10キロ以上の渋滞は一昨年は336回、昨年が546回に対して、今年は過去最多の596回になるのではないかと予測されている」と紹介する。
で、ここでその時点での渋滞情報を入れるのだが、10キロ以上の渋滞はない(w
これに対して「まだそれほどでもないですが、、、」と言いながら、さらにどうして過去最悪になるのかを説明する岡村アナ。その理由は自民党の麻生政権で始まった上限1000円割引の実施日数が去年に比べて半分になったからだという。「だからクルマが集中している」というのだが、現実には集中していない(w
その後、交通ジャーナリストの清水草一のコメントをもとに自民党と民主党の考え方の違いを紹介してはいるのだが、さらに続けて「もう一つ今年渋滞を引き起こしている理由というのが、、、」(だから渋滞してないって)と言って付け加えたのは「6月にスタートした高速道路の一部無料化」。
「先月の3連休で対象になった路線の交通量は全国平均でこれまでの2倍だった」(元々、クルマがほとんど走ってなかった路線なんじゃね?)。だから「今回、上限1000円と無料化という条件が重なると、、、」と言って最悪の予想を紹介して、最後に「この渋滞予想の精度はおよそ80%だということです」と締める。

まあなんとも見事なまでの「“発表”ニュース」の垂れ流しである。
しかもこの時点で、すでにお盆の期間中にそれほどの大渋滞が起きていないにもかかわらず、まったくそれを無視して「過去最悪」を連呼する。本来、ジャーナリズムというのは権力の発表に疑問を持つことから始まるべきだと私なんぞは思うのだが、ここにはそのような姿勢はない。
それどころか、あまりの現実とのかい離に、情報を出した側でさえ、そこまで素直に垂れ流さずに多少、修正して欲しいと願っているのではないかとさえ思えてくる。

ラジオ好きの私はこれまで圧倒的にTBS派だったが、失業してからというもの、よく聴くのは文化放送である。それでも「久米宏ラジオなんですけど」「深夜の馬鹿力」と並んで「安住紳一郎の日曜天国」は好きな番組なだけに、余計に「TBS、大丈夫か?」と思ってしまう。
ちなみに冒頭に紹介した本の著者である岡庭昇氏は元TBSのディレクターであったことを付け加えておこう。


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2010/08/18

ドキュメント出版社 その11

週刊宝石休刊(8)

前回、書いたことに間違いがあった。それはスタッフ説明会についてである。確かに12月21日の手帳にはスタッフ説明会と記されている。だから説明会は行われたと思うのだが、金銭的な条件などはこの日に提示されたのではなく、1月25日に行われたスタッフ説明会(後述)の席上だった。とすると21日の説明会は、とりあえず休刊の経緯の説明ということなのだろう。ここらへんは曖昧で大変に申し訳ないのだがとりあえず訂正いたします。
さて、この翌日の22日、私は永田町の衆議院議員会館で飯島勲氏と会った。飯島氏は「(休刊は)驚いたねえ」と言いながら週刊宝石の親しい記者と私の身の振り方を尋ねたが、この時点ではまだ何も答えられなかった。
その後、会社に戻ると夕方には年内最後のデスク会議。その時のメモを見ると10月以降の週刊宝石の仕上がり部数が記されているが、今見るとそれほど悪くはない(まあ当時と現在とでは数字の見え方がまったく違うのだが)。
さらにこの会議では年明けから休刊までの3号の編集内容が議題になっている。各班がそれぞれメモリアル企画を作りつつ、最終号とその1号前はカラーページを増やし、定価を320円にすることになった。

年末の合併号の締切は12月24日。翌25日は自分で企画担当していた梁石日氏のグラビア連載の撮影を新宿でしたが、この時に撮影した写真が連載の最後に使う写真となった。そして26日は都内のホテルでやはり連載をしてもらっていた関西の芸人に週刊宝石休刊を伝えると、この芸人氏はとても残念がっていた。

こうして慌ただしく20世紀の最後の年が終わり、明けて2001年は1月4日が週刊宝石の仕事初めだったが会社の始業日は1月5日。この日は午前中に椿山荘で始業式が行われている。これは年頭に社長の挨拶を聞くというもので毎年行われているものだが、この時に並河氏がどんな内容の話をしたのかは残念ながら覚えていない。

1月6日にはデスク会議がありスタッフ問題と休刊前2号についての内容が話し合われている。1月9日には全体会議があったがこれに関するメモはほとんどなく、1月12日にデスク会議。ここでは週刊宝石の最終号(928号)発売日の16時30分からスタッフ説明会、そして18時から編集部内でビールパーティをすることが記されている。私が前回、書いたスタッフ会議はこちらのことだった。
また、さまざまな伝票の精算手続きについての注意事項があり、それともう一つ「異動の希望」と記されいる。編集部がなくなるということは、当たり前の話だが部員も異動しなければならない。これについては金藤編集長と個別に面談をして希望を出すようにということだった。
この個別面談は、私自身についていつ行われたのかは記されていないが、その内容についてはよく覚えている。私はカッパ・ブックスへ戻ることを希望した。すると編集長は「もう週刊誌はいいのか?」と言ったのだが、もとより私が新雑誌へ行く可能性はないだろうと思っていたし、もともと無理を言ってカッパを出た経緯があった。その古巣もいろいろと大変だという話が耳に入ってきていたので、できることならカッパ・ブックスに戻りたいという希望を述べたのだった(ただし最終的に私が戻ったのは書籍の編集部ではあったがカッパ・ブックスではなかった)。

1月19日。最終号を作っている最中に行われたデスク会議では、新雑誌の創刊が6月にずれ込むことが伝えられた。その他に記されているのはスタッフの個別面談が2月7日から9日まで行われること、編集部員は1月31日までに荷物を整理しておくこと、人事異動は2月初旬に発令すされる予定だがとりあえず2月2日までは出社すること。そして人事異動の発令日に全体会議をするというようなことであった。

つづく

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2010/08/17

ドキュメント出版社 その10

週刊宝石休刊(7)

後年、広告営業に転じてから、ある大手広告代理店の雑誌局長と席を同じくする機会があった。私がとりあえず挨拶がてら自分の社内での経歴を話すと、この局長は週刊宝石に関して自分が手がけた広告の話を楽しげにしてくれたあと、「それにしてももったいなかったな、週刊宝石は、、、」とつぶやいた。
確かに当時の週刊宝石は部数の落ちがなかなか止まらず社内では問題になっていたが、しかし今から考えるとまだまだ相当に余力のある時点での休刊決定で、もちろん私ももったいなかったと考える一人である。
一方、2001年1月(日付がわからない)の東京新聞に「『週刊宝石』休刊は“攻め”の作戦立て直し 復活後は“脱風俗色”も」と題して掲載されたインタビュー記事で、並河氏はこんなことを言っている。

「『週刊宝石』も〈処女探し〉とか〈オッパイ見せて〉という企画がよかったといわれるけど、それはあの時代が良かった。ヘアヌードが時代にモノを言えた時はありました。ゲリラとして体制に反するものとして。今は何も意味がない。うちが水面下に潜るのが早かっただけで、ヨソの週刊誌も同じですよ」

現在、男性週刊誌はとくに広告面から見ると厳しい状況にある。
しかし一方で新聞、テレビといった記者クラブメディアが壊滅的状況にある今、週刊誌のメディアとしての重要性は上がっていると思うし、実際、昨年から今年にかけて週刊文春、週刊新潮、週刊現代、週刊ポストの部数はいずれも好調に推移しており、とくに週刊現代は部数を10万部も上げている。あるいは週刊ポストが続けている官房機密費追及は記者クラブメディアでは絶対にできない価値あるキャンペーンだ。
私は全体として紙媒体は厳しい状況に追い込まれていくと見ているが、この男性週刊誌の健闘を見るとまだまだやりようはあるし、なによりも週刊宝石が休刊になったのはまだまだ雑誌広告の状況が良かった十年前のことであることを考えると、休刊よりも他にもう少しやりようはあったと思う。

ただ、それはそれとして並河氏がこの時点で週刊宝石の休刊を決めて新たな媒体を模索したことについて、その判断には正当性がある。なにしろ最高経営者が下した経営判断なのだから。
ただしこの経営判断は当然ながら経営責任を伴うもので、したがってこの判断が間違いであった場合は相応の責任が生じることは当たり前のことだ。その意味では週刊宝石休刊とその後に並河氏の強力な主導の下で誕生した新雑誌(「DIAS」)はセットで考えなくてはならないわけだが、この点についての私の考えはもう少し後に述べる。

さて話を2000年の時点に戻すと、、、
新たに設置された新雑誌開発室には週刊宝石編集部からも2人の部員が異動した。
残された者は横田氏が言ったように「粛々と」週刊宝石を終わらせなければならなかったわけだが、とくに難しかったのは記者、カメラマン、デザイナーといった外部スタッフへの対応であった。
これも後で述べようと思っているが、雑誌というのは外部スタッフがいないと成り立たない。とくに週刊誌はその人数が多く、また依存率が高い。逆に言うと社員編集者の仕事というのはそのスタッフを動かすことで、一歩間違うとそれだけになってしまうこともある。私のような書籍出身者にとってこれは不思議なシステムに見えた。
その外部スタッフは1号あたりの原稿料が基本となっているので、新雑誌に移るにしても週刊宝石休刊から新雑誌創刊までの期間は無収入ということになってしまう。しかも全員が新雑誌へと移行できるわけではない。
12月20日のデスク会議ではそのスタッフについて、さらに最終号へ向けての内容について、連載についてという3点が話し合われている。
このうちスタッフについては、この翌日の21日に説明会を行うことになっており、そこで提示される条件がメモとして残っている。その内容は、雑誌の休止期間中(4カ月)についてはスタッフ全員の拘束料を保証し、その後のことはリニューアル誌の準備の段階で話をして新たに契約書を交わす。新雑誌へ移らなかったスタッフについては、さらに2カ月の拘束料を払うというものであった。
そして12月21日の午後、スタッフに対する説明会が行われた。これは編集部員の同席も許可されていたので、私も会議室の後部座席からこの説明会の行方を見守った。
今でも思い出すのだが、この時の金藤健治編集長の態度は立派だった。スタッフのみなさんへの配慮を十分にしつつも、会社として言えることと言えないことの区別をきちんとしてブレることがない。これに限らず、週刊宝石の幕引きがそれなりに上手くいった最大の理由は金藤編集長の手腕によるところが大きいと私は思う。
とはいえこれはやはり大変な仕事で、後にご自身の定年退職のパーティの席上、金藤氏は「週刊宝石の休刊は修羅場だった」と述懐されたものだった。

つづく

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2010/08/15

渋滞報道の不思議

先週末から今週にかけて、ラジオやテレビではしきりに帰省ラッシュとUターンラッシュのニュースを流している。
とくに今年は高速道路が土日限定しての1000円であるため、過去最大級の渋滞が予想されるという内容が多い。
ところが実際はというと、もちろん渋滞はしているが、それほど大々的な渋滞にはなっていない。
いまこのエントリーを書いているのは15日の12時台半ばであるが、中央道以外は目立った渋滞はない。

というかこれは以前から気になっていることなのだが、ゴールデンウィークやお盆、年末年始といった大型連休が来るとメディアはヘリコプターを飛ばしたり、あるいは実際に渋滞が予想されている高速道路を中継車で走らせたりしてしきりに渋滞報道をするが、「やっぱり普段とは違う大渋滞だな」というようなケースは私の印象ではほとんどない。
そもそも、これまたあくまでも自分の経験上だが、大型連休最終日というのはそれほど大きな渋滞は起きない。
おそらくそれは多くの人ががその時間帯を避けるからであって、一番渋滞するのは連休最終日前日の晩から明け方にかけてではないだろうか(まあ私も最近はあまり遠出をしないので、これも間違っているかもしれないし、いまはさらに分散化が進んでいるだろう)。

にもかかわらず、なぜメディアは連休最終日になるとお定まりの渋滞報道をするのかといえば、とにかく報道する側の思考回路、パターンが固定化してしまっているからなのだと思う。が、さらに今年の場合、高速料金が昨年同時期の麻生政権時代には平日も1000円だったのに対し、民主党政権の今年は土日限定での1000円となったことによる影響を声高に強調しているように見える。
では、誰がこの施策によって過去最大の渋滞が起きると予想しているかというと、それは国交省の官僚である。つまり官僚から記者クラブを通じて下げ渡された情報が、微妙に民主党の政策批判のニュアンス(空気)を醸し出しながらメディアによって大々的に垂れ流されているわけだ。
もちろん現在の民主党の高速道路政策がいいとは私も思わない。だが、この夏の渋滞報道を見ているだけで、「官とメディアは(空気による世論操作を)相変わらずやっとるナ」と思うのである。

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ドキュメント出版社 その9

週刊宝石休刊(6)

前回は2000年11月3日のデスク会議のことを書いたが、ここから週刊宝石の休刊が決まるまでの間、実は私の手元にはあまりメモが残っていない。
一方で、自分が属する班のプラン会議のメモはしっかりと残っているので、編集部内では不安の空気に包まれつつも日々の仕事をしていたことになる。ただし手帳を見ると、通常のデスク会議にはさまって全体会議が頻繁に行われている。
まずは11月7日。これはおそらく3日に金藤編集長が発表した二段階改革案を部員全員に知らせるものだったと思う。私の拙い記憶では、「これで社長は受け入れるのか?」といった疑問の声も出たような気がする。
さらに11月15日、16日にも全体会議は立て続けに行われている。これは手帳の記述ミスなわけではなく、13日のデスク会議の時点でこの両日に全体会議が行われることが記されている。
ということは15日が並河氏への改革提案前日、そして16日は提示後の報告であったと思われる。

さて、ここがもっとも肝心なヤマ場なわけだが、実はこの全体会議についてはメモも記憶もほとんどないのである。ただ今こうして書きながらぼんやりと思い出してくるのは、編集部の出した二段階改革案は却下されたということを伝える鈴木取締役の姿である。ただ、その時の会議の雰囲気がどんなものだったかは残念ながら記憶にない。
その後、17日のデスク会議では活版厚紙ページ(16ページ)の廃止と4C中質ページ(普通のカラーページよりも紙質は悪いが、この紙を使って特集記事を作るのが週刊宝石は得意でかつては人気があった)を増やすことが記されている。つまり誌面の体裁の手直しである。
またメモには記されていないが、表紙のデザイン変更も話し合われたはずで、これはグラビア班の表紙担当がデザイナーと早急に話し合うことになった。
とはいえ編集部からの改革提案は却下されたはずであるから、そうしたなかで誌面の手直しを進めていいくのはどうなるんだろう、、、と思ったことも事実である。

そうして私の手帳では二週間ちょっとが過ぎる。この間は編集部内では毎週の締切をこなしながら年末の合併号の企画を考え、さらに誌面の手直しについても動いていたと思う(どうも曖昧な話ばかりで恐縮だが)。
そして迎えた12月6日の夜。週刊宝石の忘年会が椿山荘で行われた。編集部員の他に記者、カメラマンといったスタッフ、さらに社外のスタッフ、印刷所関係者、社内の関連部署の担当者などを招いてのこの忘年会は、後にいくつかのメディアにもその時の様子を書かれるものとなった。
といっても、この忘年会も頭の中にイメージとしては残っているのだが、詳しい雰囲気などは覚えていない。ただ、とにかくこの難局を乗り切るべくみんなで頑張ろうというムードはあった。そして忘年会が進み、おそらくは最後だったと思うが、鈴木紀夫取締役が挨拶に立った。アルコールもずいぶん入っていたであろう鈴木氏は、話の脈絡のなかで「私は今、社長と闘っているんですよ!」と言った。
苦しい状況の中での忘年会で、しかも出席者は全員が週刊宝石の存続を願っている。そうしたなかで出たこの発言はその場の勢いというものもあったのだろう。が、この発言が並河氏の耳に届いた段階で週刊宝石の休刊が決まったと書いたメディアがあったことは事実である。
ただ今になって考えてみると、この鈴木発言があったにしろなかったにしろ、週刊宝石休刊の路線はすでに決まっていたのではないかとも思う。

ただ、ここから事態が風雲急を告げたのも確かで、この忘年会から5日後の12月11日月曜日に週刊宝石休刊が現場に伝えられた。
以下はこの日に行われたデスク会議のメモ。ちなみにこの会議は最初はデスク会議だったが、途中から編集部にいる部員全員も呼び込まれたと記憶している。

・12/18付で新雑誌開発室を設置する。室長は図書編集部(書籍部門)編集長の三橋和夫氏となる。これに伴い、三橋氏の後任の人事も行われる。
・この新雑誌開発室は週刊宝石の受け皿の研究をし、社長が直接担当となる。
・鈴木紀夫取締役の週刊宝石担当委嘱を解き、横田可也取締役(女性自身担当)が担当役員(発行人)になる。
・新雑誌は「AERA」的なものを考えており、発行人は横田氏、編集長は三橋氏となる。
・この件については並河社長と矢島介氏(当時の肩書は副社長であったと思う)の間で決定され取締役会で承認された。
・現編集部メンバーを母体として新編集部を組織する。
・新雑誌は広告が入り、家に持って帰れる雑誌を目指す。
・本来、社格にあうべき雑誌を模索する。
・社長、横田氏より部員への説明がある。
・週刊宝石は休刊ではなく、週刊サンケイがSPA!に、あるいは週刊読売が読売ウィークリーになったようなリニューアルである。

以上のことは鈴木取締役の口から伝えられたものであろう。

さらのこの1週間後の12月18日午後、鈴木氏が週刊宝石担当を退任し横田氏が着任するのに伴って全体会議が行われた。その時のメモ。

・以下は役員会で決定されたことである。
・週刊宝石は1月最終週の1月25日の発売をもってストップする。
・2月頭に新雑誌のコンセプトの発表会をする予定。
・リニューアル誌のスタートは5月最終週を予定。

その後、週刊宝石に在籍するスタッフの処遇にについての話があったあと、この日のメモの最後には一行「週刊宝石というタイトルは残らない」と記されている。
この日の会議であったか、別の機会のデスク会議であったかは覚えていないのだが、私の耳には横田氏の「週刊宝石を粛々と終わらせてください」という言葉が残った。

つづく

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2010/08/13

ドキュメント出版社 その8

週刊宝石休刊(5)

前エントリーについて誤解なきよう付け加えておくと、私は「JJだってダメな雑誌じゃないか」といっているわけではない。JJは販売収入的にも広告収入的にも超がつくほど第一級の雑誌であって、それは光文社の収益、そして従業員の給与体系の向上にも莫大な貢献をした。
ただ、所詮は大衆誌だったと私は思うのである。
そもそも光文社というのは書籍ではカッパ・ブックス、カッパ・ノベルス、週刊誌では女性自身が原点にあることからもわかるように、非常に大衆に根差した本や雑誌を作ることが得意で、またそのための独特のノウハウを持った会社だった。
しかし、私が見るところ並河氏にはそれが我慢ならなかったようで、だからたとえば氏の時代には光文社新書が創刊される一方、ダサくて大衆的なカッパ・ブックスは消滅させられてしまった。

かつて日産自動車は北米市場において「DATSUN」というブランド名でフェアレディを売りに売った。ところがその「DATSUN」をある時から「NISSAN」に変えてしまう。それとともに日産は北米で苦戦に転じてしまうのだが、これについてアメリカの著名な自動車アナリストであるマリアン・ケラー女史は「なぜあれだけのステータスを確立したDATSUNをやめてNISSANにしたのか、その理由がわからない。これだけで何億ドルかの損だった」と語ったという。
その話を見聞していた私はカッパ・ブックスのブランドがなくなった時、会社の先人たちが長年にわたって築き上げてきたブランドをいとも簡単に捨てたことは、目には見えない、数字には表れないけれども莫大な損失なのではないかと思ったものだった(光文社新書の創刊が間違いだったというのではない。カッパ・ブックスをやめる必要はなかったというだけで、これについてはいずれ稿を改めて述べる)。

話が相当に脱線してしまったので週刊宝石のことに戻そう。
2000年10月19日に行われた並河氏が出席しての全体会議は、その後、各部員が一人一人名前を名乗って個人的な意見を言わされたと記憶している。
この時に自分がどんな発言をしたかは記憶がなく、また他の部員が喋った内容もメモされていない。
したがって、この会議については実はこれ以上に書くことはないのだが、ただ一つ明らかなことは、これまで鈴木取締役や金藤編集長を通じてしか知ることのできなかった並河氏の考えを編集部員が直に聞いたことだった。

この会議が行われた週は2週合併号を作っており、翌週から1週間、編集部は休みに入ることになっていた。最終校了は23日の月曜日だったが、これは一番締切が遅い活版のニュース班で、それより進行の早い班は自分たちの担当する折が校了になるとともに休んでいく(活版の週刊誌というのは、折によって校了日が異なり、基本的に外側の活版ページが一番遅い)。
当時の手帳を見ると、並河氏出席の会議が行われた翌20日金曜日の午後、再び全体会議が行われ、それに続いてデスク会議が行われている。これまた詳細なメモもなければ記憶もないのだが、この会議は前日の会議を受けて再び全部員が意見交換をしたことは想像に難くない。
その後、編集部は休みに入ったのだが、明けて11月1日にデスク会議が行われている。これは定例のものだったと思うが、その時のメモには「10/23の役員会で週刊宝石問題が話し合われ、継続か?リニューアルか?が議論されたが後者の方が強い」と書いてある。
これは鈴木取締役の報告だろう。「リニューアル派の方が強い」と書いてあるが、就任したばかりの、それもただ一人代表権を持った社長がリニューアルを強硬に主張しているのだから、それに反対するにはかなりの勇気が必要なはずで、おそらく現状維持派は実質的に鈴木氏一人、あといるとすればあくまで想像だが、女性自身の担当役員ぐらいだったのではないかと思う。

そして11月3日、文化の日の午後に行われたデスク会議で金藤編集長から並河氏に提示する週刊宝石の今後の方針案が示された。
それによれば版型は現行のままで変更はしない。表紙のデザインや企画の柱は抜本的に変更する。読者の対象をもう一度見直しつつ、発売日の変更も検討するというようなものだった。ただしこれは期限付きとして、もしこれが成功しなかった場合は全面リニューアルをするという、言ってみれば二段階改革案である。
この時の会議の際であったかどうかはわからないが、私は金藤編集長が「女性自身の失敗を考えると全面リニューアルをするのはこわい」と言ったのが今でも耳に残っている。
そう、確かに全面リニューアルはこわい。減ったとはいえ30万人近くはいた読者を一気に失う可能性がある。かといって、週刊ポスト、週刊現代には水をあけられ、しかも週刊大衆に実売部数で抜かれてしまった(実はこれが相当に大きな問題だった)現状を考えると、表紙や企画の見直しだけで読者を再び増やすことができるのかどうか、、、正直なところ私にはよくわからなかった。
ただ、ある意味で編集部にとっては虫のいい「とりあえず現状の形の中での見直し→ダメだったら版型、紙質も含めた抜本的な見直し」という提案を、果たしてあの並河社長が受け入れるのだろうか?という点についてはきわめて疑問だった。

つづく

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2010/08/11

ドキュメント出版社 その7

週刊宝石休刊(4)

週刊宝石はとにかく何がしかの誌面刷新をしなければ生き残れない状況になっていた。しかしどのように変えるのか? それを編集部員が考えるのはなかなか大変だ。というのも週刊誌の編集部には当たり前の話だが毎週必ず締切がやって来る。したがって、まずは目の前の仕事をこなしていかなければならない。その上で現在の流れをまったく否定して別のことを考えるというのはなかなかに難しことだった。
まして2000年9月というとシドニー五輪というビッグイベントがあり、さらに10月は創刊記念月間でその記念号のその企画も考えなければならなかった。
当時のデスク会議の記録を見てみると、この頃はとりあえず一部の折の紙質を変えたり企画を手直ししたりといった微調整をしている。
また、売れ行きについては合併号の仕上がりはそこそこにいいが、通常号の仕上がりは芳しい状況ではない。ただしそれは当時としては芳しくないのであって、今になってこの数字を見ると「それでもまだこんなに売れていたんだ」と私なんぞは思ってしまう。

さて、そうしたなかで10月16日月曜日に行われたデスク会議のメモを見ると、夏の合併号以降の売れ行きの数字とともに、「10/19 並河社長登場」という文字がトップに書いてある。つまりこの日に並河氏が出席しての全部員会議が開かれることになったことが伝えられたのである。

迎えた10月19日。会議は朝の10時からスタートしているのだが、実は私の手元には前年度の週刊宝石の決算の数字と新年度の第一四半期の数字、さらに当時のの実売率以外、あまり詳しいメモは残っていない。
したがってこの会議の詳しい内容は思い出せないのだが、いまでもその時の光景は頭の中に残っている。並河氏、鈴木取締役、金藤編集長をコの字型に全部員が囲んだ中で、もちろん口火を切ったのは並河氏だ。その中で私が覚えているのは、「今のままではダメだ」という話とともに「週刊宝石が絶好調の頃は編集部員がみんな肩で風を切って歩いていたじゃないか。(自分は)バカだなと思ったが、あの時の勢いはどこへ行った」というフレーズである(細部の記憶は曖昧だが、だいたいこのような内容だった)。
これには「なるほどな」と私も思った。また、他にも並河氏の話には首肯し得る箇所あった。

さてしかし、、、
一方で並河氏の話で大変に引っ掛かったこともある。それはこの会議で出てきたのかどうかは覚えていないのだが、以後、並河氏がよく口にしたフレーズで、私はそれに対してとても違和感というか抵抗感があった。そのフレーズとは、

「家に持って帰ることができる雑誌を作れ」

つまり週刊宝石は「家に持って帰ることができない雑誌」だからダメだというのである。
確かに週刊宝石は「処女探し」とか「あなたのおっぱい見せてください」といった企画で部数を伸ばした雑誌ではある。私が異動した時にはすでにそういった企画はなかったが、しかし柔らかめの企画がウリであったことは間違いない。「だから週刊宝石を買ったサラリーマンは妻や子供がいる家には持って帰れない、そういう雑誌はダメだ」と並河氏は言うのである。

まずもって私は「家に持って帰れない雑誌がダメだ」とは思わない。ヌードグラビアがあってもそれが読者のニーズを満たすものならいいではないか。ただし他の部分(たとえば活版ページ)で柔らかい記事に交じってきちんとジャーナリズムの役割を果たすページがあればいい。ついでに誤解を恐れずに言えば、チト古い考え方ではあるが「反権力はエロに宿る」とさえ私は思っている。
読売新聞の主筆を名乗る老人は、ことあるごとに雑誌を侮蔑する言葉を投げつけるが、ジャーナリズムとしては既得権益者に対する世論誘導装置でしかない新聞よりも雑誌の方がはるかに真っ当だ。

しかし並河発言に対する違和感、抵抗感というのはそういうことではない。私が言いたいのは、では並河氏が創刊したJJは「家に持って帰ることができる雑誌なのか?」ということなのだ。
1990年代の半ばぐらいだったろうか、アダルトビデオに対する規制が議論されていた時にあるAV監督が「自分たちを規制するよりもJJのようなファッション誌を規制するべきではないのか?」と発言しているのを目にしたことがある。どういうことかというと、つまり自分たちのようなエロを有害だということで規制するよりも、世の中の若い女の子の価値観をカネやモノ一色に染め上げるファッション誌の方がよほどに有害だというのだ。私はこれはこれでなかなか傾聴に値する議論だと思った。
確かに当時は女子高生などの援助交際などが社会問題となっていた時期だが、彼女たちはそうして手にしたカネで何を買うかといえばファッション誌で見た高級ブランドのバッグなのである。
私は日本という国は世界で唯一成功した社会主義国家だというような主張には与しない。なぜならこれまた誤解を恐れずに言えば、真っ当な社会主義というのはもう少しいいものだと思うから(キューバとかね)。
だが、一方で日本が不思議なクラスレス社会であることは事実だと思う。
欧米にはそれがいいか悪いかは別にして階級というものが存在する。そうして高級ブランドというのは上流階級に向けて作られ売られるものとして存在している。ところが日本ではある時期から普通の庶民の、それも若い女性が高級ブランドに殺到するようになった(今はまた時代が変わってきたが)。
これに何より驚いたのは欧米の高級ブランド自身だろう。なにしろ自分たちが相手にしてきたクラス(マーケット)とはまったく違うのだから。しかも彼らの心の底には厳然と日本人に対する差別意識があるから、最初はこの現象を苦々しく思っていたはずだ(実際、私はそういう話を聞いたことがある)。
ところが、このマーケットがどんどん拡大していって、全体の売上げに占める日本市場の割合が無視できないまでに大きくなってしまった(今は中国の成長がものすごいが)。こうなると欧米の高級ブランドも本気になって日本市場を開拓せざるを得ず、それとともに宣伝予算を投下していく。それがまた女性ファッション誌全体の成長を促していった。そのスタートから先頭を切って走っていたのがJJという雑誌である。

だが、話は戻るが、ではJJは本当に家に持って帰ることができる雑誌なのか。実は私にも現在大学生の娘がいるのだが、この当時、つまり十年前に私が思ったのは「たとえ娘が大学生になってもJJは持ち帰らないし持ち帰れない」ということだった。
なぜなら娘がカネとモノという尺度だけで人間の価値を測るようになって欲しくなかったから。少なくとも、それよりももっと大事なことがたくさんあることがわかる人間になって欲しいと思った。
ま、それがいま実現しているかどうかはかなり微妙なところではあるのだが、、、
とにかくこの「家に持って帰ることができる雑誌」という考え方は、「見た目」というきわめて表面上の問題を一皮めくるとなかなかに深いテーマである。
しかし、私の印象では並河氏というのはとかく「見た目」という浅い部分にこだわる人で、これはおいおい書いていくつもりだが、それは対週刊宝石以外のあらゆる媒体(書籍も含めて)に対しても同様だった。

つづく

おまけ
今朝、部屋を整理していたら河内孝著「新聞社 破綻したビジネスモデル」(新潮新書)という本が出てきた。これをパラパラと再読してみると面白い。そのなかにこんな一節があった。
これは新聞社だけでなく、あらゆる出版社、放送局に言えることだと思う。

******
 今後の新聞経営で大事なのは、社長を編集局出身以外から選ぶことです。個人の能力や資質を言っているのではありません。新聞記者は、人の弱みや落ち度を探って書くのが商売。自分で何かをやり遂げたり、企業の経営責任を取ったりするようには育てられていないのです。これだけ経済活動が複雑化している時代に、五〇歳を過ぎて初めて損益計算書を見る人(私もそうでしたが)に経営は任せられません。(184ページ)
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2010/08/09

ドキュメント出版社 その6

 週刊宝石休刊(3)

前回、書いた8月26日の会議の中では、誌面改革の議論とは別に、もう一つ編集長からの連絡事項があった。
それは当時週刊宝石が抱えていたいくつかの裁判に関することだった。
週刊誌という媒体を抱えている限り、記事に関する名誉毀損問題が起きるのはある程度仕方がないことであるし、実際、週刊誌の編集部というのは日常的に裁判を抱えている。
もちろん週刊宝石も裁判を抱えていたわけだが、この裁判の行方がいずれも芳しくなかった。
ある芸能人との訴訟では裁判官の訴訟指揮によって和解が成立したのだが、週刊宝石側が主張する事実を法廷で立証できず、勝てる見込みがなかったに過ぎない。したがって誌面に出すお詫びの文面も編集部にとってはきつい内容で、また和解金も高額となった。しかも他にも似たような状況の案件がいくつかあったのである。
これに業を煮やした顧問弁護士が、女性自身、週刊宝石、FLASHの週刊3誌の編集部員に記事を作成する上での注意事項を改めてレクチャーするセミナーが行われるというのが、編集長からの連絡事項だった。

このセミナーは9月21日に行われており、私の手元には顧問弁護士作成による「名誉毀損裁判の動向」というペーパー2枚が残っている。内容は「名誉毀損」と「ニュースソース」の二項目からなっており、これをもとに当時の名誉毀損裁判の動向、記事の作り方に関する注意がレクチャーされた。
このセミナーで私が印象に残っているのは、

・名誉毀損の際の賠償金額が高額化している。したがって記事化する場合はくれぐれもウラ取りをきちんとして些細なことで記録をしておくこと。

・裁判の際には原告側は本人が出廷して証言をするケースが増えている。それまであまりそういうケースはなかったが、週刊宝石の裁判でも本人が出廷して若い女性が目を潤ませながら証言し、裁判官の心証はこれだけでも大きく変わったこと。

などといった点で、弁護士は「今時はデジタルカメラだって安くなっているんだから、記者に持たせて取材した場所の写真を撮るぐらいのことはできるでしょう」と言った。

ここでこの弁護士の言葉を含めて、週刊宝石編集部のIT事情についてここで少しく敷衍しておきたい。
週刊宝石に異動して最初に驚いたことがある。それは編集部内にパソコンが数台、それも共用のものしかなかったことだ。私は最初、活版のニュース班にいたが、ここからパソコンが設置されている場所までの距離は結構あり、何かをネットで調べるたびに編集部員は席を移動していた。
それまで私が在籍していた書籍の編集部は各人のデスクに自分用のパソコンがあり、それを使って編集作業、そして日常的な打ち合わせや原稿のやり取りもメールでやっていたので、これは驚きだった(ただし自腹で買ったパソコンで会社から支給されたものではなかった)。
なので私はほどなく自宅からパソコンを持ち込んで自分のデスクに置き、「いつでも使っていいから」と周りの部員に言った。実際、締切日の夜に突発的なニュースが飛び込んできた場合などは、いちいち席を移動してネットで情報収集をしている場合ではないのであった。
また、異動直後に同業他社の友人編集者と飲んだ時のこと、、、
ある週刊誌の編集者から「まさかまだアンカーマンの原稿が手書きじゃないでしょうね?」と笑いながら聞かれたのだが、実はその「まさか」だった。
週刊誌のニュース記事というのは、あるテーマが決まると、記者が取材してデータ原稿を書き、さらにそれに肉付けするデータを集める。そうして締切日にアンカーがそのデータを元に原稿を仕上げる。だからそのデータ原稿がテキストデータであればアンカーマンは作業をやりやすいし、レイアウトに沿った行数に仕上げることができる。
しかし、当時の週刊宝石の主力のアンカーマンは手書きだった。が、実はこのアンカーマンはワープロ(当時は)でも作業はできる人だったのである。むしろ編集部側のITレベルがまったく低かったので手書きにしていたらしい。また、別のアンカーマンはパソコンで原稿を書いていたが、最終的にはプリントアウトして生原稿として編集に渡し、編集もそれを生原稿として印刷所に入稿していた。
私が異動して最初の頃、締切の日の明け方に上がってきた手書きのアンカーマンの原稿を少し大幅に直していたら、編集部員はその後、行数を必死になって数え直しているので「これぐらいの原稿量だったら、私がパソコンで打ち直してやろうかナ」なんて思ったものだった。
ことほど左様に編集部内のIT化が遅れていたので、「記者にデジタルカメラを持たせなさい」という弁護士の話(指示も)も結局は実現しなかった。
もっともこれは週刊宝石のみの問題ではなく光文社全体に言えることで、しかも現在にいたるまで解消されていないのだが、とにかくデジタルに弱い。
これは後に私が広告営業をやっていた時にも痛感したことであるが、この点についてはまたいずれ述べる機会があるだろう。

話を元に戻そう。
週刊宝石が低迷してしまった一つの原因として、スクープと銘打って掲載した記事の信頼性が低かったことがある。前述したように裁判を起こされて惨敗するケースもあったわけだが、なかでも特筆すべきは三億円事件に関する記事だろう。
これは私が週刊宝石へ異動する何年か前のものだが、数週間にわたって三億円事件の真犯人がいたというような記事を掲載した。が、当然ながらこれはガセネタだった。
この記事が掲載された頃、私はある夕刊紙の記者から「あの記事のネタ元はデマを言うので有名なヤツだ」と聞いた記憶がある。この記者は「だからあのネタは危ないとオレは言ったのに、、、」と続けた。
ちなみに週刊宝石のこの記事を掲載した号の売れ行きは大変に良かった。しかし、それはあくまで瞬間風速の話で、この記事によって受けた週刊宝石というブランドが受けたダメージは大きかった。

つづく

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2010/08/05

ドキュメント出版社 その5

 週刊宝石休刊(2)

昨日のエントリーで一つ書き忘れたことがあった。
それは並河氏が就任の挨拶で「光文社再建3年計画」を出すと言ったことである。この話を聞いた時には「どんな計画が出てくるんだろう」と少しく期待したものだったが、その後、この計画が具体的になることはなかった。
この点については組合も団交の席で何度か質しているが、確たる返事があったという報告はついになかった。

さて、2000年の8月。当時の手帳を見ると、週刊宝石は7日(月)に夏の2週合併号が校了になっており、私は8日(火)から14日(月)まで夏休みをとり、15日(火)から出勤となっている。そして18日(金)の13時から会議と記されている。同じ15日の17時からはデスク会議が行われているから、この13時からの会議は編集部員全員が集まっての全体会議である。
夏前に急きょ編集長を引き継いだ金藤氏はしばらくは4月以降の体制で編集部を運営していたが、この夏休み明けの週から班編成を見直した(ちなみに私もこの時、活版のニュース班でダメを出されてグラビア班に移った)。
全体会議はそれに伴い開かれたものだが、この会議には鈴木紀夫取締役も出席していた。そして当時のノートにはその鈴木氏の話の内容が記されている。以下その内容を列挙すると、、、

・新社長になった並河氏と鈴木氏の会談があったが、話のすべては週刊宝石のことだった。
・並河氏の指示は、「とにかく即刻、誌面を変えろ」というもので「変えれば評価する。8月9月が勝負」とのことだった。
・「数字よりも企画が大事であり5本の柱を用意せよ」と言われた。

さらに前期の週刊宝石の決算内容や並河氏が社長就任後にスタートした新しい期の売上目標が具体的に列記されている。
つまり、この会議でいよいよ新社長が掲げる「改革」の最初のターゲットが週刊宝石であり、何がしかの誌面改革をしないと大変なことになるという意識が編集部員の中で共有化されたことになる。
そして会議では編集部内の各班ごとに早急に改革案をまとめるようにとの指示が出された。

その各班ごとの改革案を持ち寄ったデスク会議が行われたのは8月26日土曜日の19時からだった。この時はいつも会議が行われる編集部横の小さな会議室ではなく、普段は使わない本社ビルの会議室を使用し(週刊宝石は本社ビルの隣に位置する第二ビルの中にあった)、時間が時間だけに弁当が支給されたのを記憶している。普段とは異なる会議室を使用したのは、おそらくは他の編集部員や記者の目を配慮してのことではないかと思う。
以下、この時のメモを見ながら会議の様子を書くと、まずは週刊宝石の部数会議(※)の報告から始まっている。これについて喋ったのはおそらく鈴木紀夫取締役だろう。
(※部数会議とは各媒体ごとに月一回、経営、編集、営業(販売、広告)、宣伝が集まって行われるもので販売部が主催している。まずは販売部が媒体の販売状況を説明し、その後、編集長がこれからの編集内容やこれまでの良かった点、悪かった点などを総括し、経営陣を中心に意見が述べられる。その後、広告予算や宣伝計画が発表されて30分ほどで終了するものである)
それによると、この部数会議で並河社長から厳しい意見があった。曰く、

・編集長が交代しても誌面は何も変わっていない。ということは何もしていないということだ。
・誌面にメリハリがない。
・誌面が白っぽい。紙質が悪い。
・レイアウト、写真、見出しが悪い
・表紙も安っぽくて良くない。
・一流誌の自覚がない。もっと気概を持て。
・オヤジ臭い。もっと若くフレッシュな都市型サラリーマンをターゲットにすべき。
・週刊誌は「今週」を切り取るものだ。いまのままではダメ。
・大阪の宣伝予算を削減したのは良くない。

最後の宣伝予算については宣伝部に向けられたものだが、それ以外は編集部に向けられたもので、ようするにほとんどすべてを否定されているといってもいい内容である。
この話を聞いたあと、鈴木取締役が作成した討議資料が配られた。私の手元に残っているのは鈴木氏の手書きの文字で書かれた2枚組のもので、1枚はターゲット読者とすべき35歳のサラリーマンの思考回路が「仕事、会社」、「家庭、家族」、「趣味、遊び」などの項目に分かれており、さらに各項目の中身が細分化されたもの、もう1枚は「(週刊宝石の)新しい柱を打ち立てる」ための構成要素が列挙されたものであった。
そして会議ではこの資料を見つつ、各班ごとの改革案が発表されていった。いま、そのメモを見ると各班とも短い期間ではあるが読者調査を実施し、いろいろな意見を出し合っている。が、その内容は並河氏が求める抜本的な改革とは明らかに趣を異にする、どちらかというと既存の各班の方向性を読者ターゲットに合わせてブラッシュアップするというものになっていた。
しかし、それは当然のことであったと思う。なにしろ部数が低下したとはいえ週刊宝石にはまだまだ多くの読者がついていたし、なによりもみんなの頭の中に、わずか数年前、並河氏の号令一下行われた女性自身の大リニューアルが見事に失敗した記憶が残っていたからである。

つづく

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2010/08/04

ドキュメント出版社 その4

※ドキュメント出版社を再開します。ちなみに過去のエントリーはこちら

 週刊宝石休刊(1)

2000年4月1日、私は1985年4月の入社時から15年間所属したカッパ・ブックスを離れて週刊宝石に異動した。
週刊宝石は1981年10月、森元順司編集長の下に創刊された男性週刊誌。出版社系の週刊誌としては最後発の雑誌で、創刊当初は部数が低迷していたが「処女さがし」や「あなたのおっぱい見せてください」といった柔らかい企画がヒットして部数をグングンと伸ばしていった。
おそらく私ぐらいの世代にとって、入社後の希望部署ナンバーワンではなかったかと思う。
森元編集長の下、編集部には活気、勢いがあり、雑誌とは縁遠い書籍の編集部にいても、その噂は常に耳に入ってきたものだった。
だが、私が異動した頃の週刊宝石は発行部数が下落傾向にあり、光文社の雑誌媒体のなかでは厳しい評価がされつつある時期であった。もっともこれはあくまで業界全体、そして光文社自体がまだまだ好調な当時の評価であって、今から考えてみると当時の週刊宝石は十分に利益を出している媒体だったのだが、、、

結果的に私が週刊宝石で過ごしたのは10カ月ほどの短い期間だった。そして週刊誌の編集者としての私は有能ではなかった。
というのもまったく雑誌編集の経験がないままにいきなり、しかもデスクの肩書で編集部に入ったため、最初のうちは書籍の編集とはあまりに異なる仕事の流れについていくのが精一杯だったからである。
だから、もう少しやってみたかったという気持ちが今でもある一方、あの時に週刊宝石に異動しなかったら、、、とも思う。実のところ私のこの異動は、入社以来、世話になったカッパ・ブックスに対してはずいぶん無理とわがままを言った末に実現したものだった。だからもし異動していなかったら、今でも光文社に残って書籍の編集部にいた可能性もあるかもしれない。
だが、やっぱりあの時に10カ月でも週刊宝石に在籍できたのは良かった。なぜならこの異動がなければ、その後、私が広告部へ異動することもなかっただろうからだ(その経緯については別の機会に)。そうして女性自身やFLASHの広告営業を担当した時、この週刊宝石での経験はとても役に立ったのである。

さて、私が週刊宝石に異動した時の編集長は折敷出慎治氏であった。が、ゴールデンウィークの合併号前後の仕上がりが悪く、それからしばらくして急きょ編集長が金藤健治氏に交代した。
ちなみにこのゴールデンウィークというのは西鉄バスジャック事件が発生した年であるが、確かにこの事件の記事の出来も悪かった。どうしてそんなことを覚えているのかというと、そのページの責任者が私だったからである。

そうして週刊宝石がなんとなくギクシャクする中で、ある日、当時の担当役員である鈴木紀夫氏も出席してのデスク会議が行われた。この日付については当時の手帳やノートを見てみたが特定できなかった。ただ、多分、7月の初旬ぐらいだったと思う。
というのも光文社の会計年度の区切りは6月-5月で、その後、決算があり株主総会がある。そして鈴木氏の話はその株主総会においての役員改選が中心だったからだ。
私がこの時の鈴木氏の話で記憶しているのは、光文社の株主総会が講談社の社長や経理担当役員出席の下で開かれたこと、その場で社長が平野武裕氏から並河良氏に交代することが決まったこと、また数人の役員の入れ替えがあることなどであった。そうして鈴木氏は、新社長は週刊宝石やフラッシュといった男性週刊誌に対して厳しい考えの持ち主だろうという危惧を付け加えた。
とはいえ、私としては並河氏のように実績を残した人が社長になるのは悪いことではないと思っていた。

話は少々ズレるが、私はこの前年、カッパ・ブックスで徳大寺有恒氏著による『日産自動車の逆襲』という本を作ったのだが、この時に徳大寺氏とともにずいぶんと日産自動車を取材した。
当時の日産は経営状態が悪化しダイムラーとの提携が取り沙汰されたがこれが破談となり、本当に危ないのではないか?というところでルノーとの提携を発表し、カルロス・ゴーンがやって来たところであった。
しかし、ルノーと日産の提携は本当に成功するのか? 多くの人はこれについて懐疑的で、実は徳大寺氏と企画をスタートした時の仮題も「日産自動車の蹉跌」だった。が、日産を取材し、徳大寺氏と話をしていく中で、この提携は成功するのではないか?という結論に至った。
なぜなら、カルロス・ゴーン以下ルノーから入ってきた役員たちの日産に対する現状認識がとても正確で、しかもこれまで日本人経営者ではいろいろなしがらみがあって手をつけられなかった部分にきちんと改革のメスを入れていたからだ。それに加えてもともと日産自動車には技術のポテンシャルがあった。つまり日産は経営さえしっかりしていれば、十分に競争力のある会社だったのである。つまりカルロス・ゴーンは、もともと「誰が見てもおかしいナ」部分に手をつけたに過ぎなかった。
そして私はこの取材をしながら日産自動車がうらやましかった。なぜなら規模はまったく違うけれども、光文社と同じように改革が必要な会社が良き経営者を得て立ち直っていく様子が手に取るようにわかったからだ。

話を戻すと、だから私は並河氏が社長に就任すると聞いた時には「実績を残した人が昇進して改革を実行していくれるのならば、むしろいいことなんじゃないか」と思ったのである。もちろん当時の光文社はまだまだ十分な余力があった。が、これまで光文社を支えてきた収益構造がそろそろ限界にさしかかっていたことは事実だったし、パソコン通信からインターネットの時代に移行していくなかで、非常に大きな時代の変わり目であったことも事実だったからだ。
が、一方で女性ファッション誌部門の実力者として強烈なキャラクターを発揮して君臨していた並河氏に対しては、社内の他の部門にいる者から見れば少なからぬ警戒心があった。

今、手帳を見ると、新社長の社員に対する挨拶は8月2日と記されている。
この時、並河氏の言葉で印象に残っているのは、「過去の成功体験にとらわれてはいけない」という言葉で、これは確かにその通りだと思った。ただ「光文社はデジタルよりも紙にこだわっていく」という言葉については、「これは後から考えてみると大変な経営判断の誤りになる可能性があるナ」とも思った。

そうして新社長が乗り込んできたのは、やはり週刊宝石だった。

つづく


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