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2010/04/28

「起訴相当」大歓迎!~いよいよ「マスメディア崩壊」の最終章が始まった

昨日、検察審査会が、いわゆる「陸山会」の土地購入に関する“問題”で、小沢一郎について「起訴相当」と議決した。
この問題については、私が普段から信頼して愛読しているブログの多くが批判、怒りを表明している。

・世に噛む日々
「市民感覚」が選択する「滅びの道」

・植草一秀の『知られざる真実』
小沢氏影響力排除への加担は主権者の自殺行為

・Like a rolling bean (new) 出来事録
小沢氏起訴相当という検察審査会の「民意」が権力闘争のために誘導されたことに法治国家の決壊を見ます

・憂き世の日々に埋もれて、たまには温泉へ
小沢幹事長の資金管理団体「陸山会」事件で、政治資金規正法違反に関して検察審査会が「起訴相当」とやはりねの結論。マスゴミ狂喜乱舞か

・文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ 『毒蛇山荘日記』
「検察審査会」が小沢一郎を「起訴相当」だって。なんだか怪しい話だね。

・高野 善通のブログ2
メディアと検審が日本を滅ぼす

一方、私が購読をやめた日経の社説はこんな調子で、朝日の社説にいたっては以下のようなものである。

******
「起訴相当」―小沢氏はまだ居直るのか

 政治資金規正法違反の疑いで告発されていた民主党の小沢一郎幹事長について、検察審査会が「起訴相当」と議決した。無作為で選ばれた審査員らは議決理由で「起訴して公開の裁判所で事実関係と責任の所在を明らかにするべきだ」とし、「これこそが善良な市民としての感覚」と述べた。
 正式な起訴に至るかどうかは、検察当局の再捜査やそれを受けた検察審査会の2度目の審査を待つ必要がある。予断は控えなければならない。
 ただ、今回の議決は、不透明な金銭の流れなど、疑惑が浮上して以来、多くの人が抱いていたのと同様の疑問を列挙した。そのうえで、小沢氏は秘書らと共謀し、政治資金収支報告書に虚偽の記載をしたと強く推認できると結論づけている。
 議決書だけでは具体的な証拠内容やその評価がいまひとつはっきりせず、検察や裁判所が従来とってきた事実認定の厳格さとは比べられない。
 しかし「『秘書に任せていた』と言えば、政治家本人の責任は問われなくて良いのか」という指摘は、先の鳩山由紀夫首相に対する検察審査会の議決同様、国民の声を代弁するものだ。
 このいら立ちや閉塞(へいそく)感を生んだのはほかならぬ小沢氏である。検察に対し強硬な対決姿勢を見せたかと思うと、不起訴処分が出た後は「公平公正な検察の捜査の結果として受け止める」と述べ、「嫌疑不十分」との裁定を無実の証明であるかのように扱う。国会での説明を求められても一切応じない。
 民意に正面から向き合おうとせず、居直りというほかない態度をとることへの拒否感、嫌悪感が、政策の迷走とあいまって、鳩山内閣や民主党の支持率を押し下げている。時がたてば忘れられるのではなく、時がたっても手を打たず、自浄作用を働かせないことへの不信が深まっているのだ。
 信頼回復のために取り組むべき課題は山ほどある。企業・団体献金の禁止はもちろんだが、それだけではない。政治家が資金管理団体や政党支部など数多くの「財布」を持ち、見えにくくしている資金の流れを透明にするにはどうすればよいか。審査会が問題提起している政治家本人と秘書の関係をどう整理し、責任をいかに果たすのか。
 こうした議論を避け続けてきたことへの怒りは臨界点に達し、政治の足元を掘り崩そうとしている。小沢氏がめざした二大政党による政権交代のある政治も、ようやく形が整ったと思ったとたんに、両党から有権者が離反し、溶解が始まっている。
 議決を受けて小沢氏は幹事長続投の考えを示したが、大局に立った判断をすべきだ。一刻も早く国会で説明する。それができないのであれば、幹事長職を辞し、民主党の運営から手を引く。無駄にできる時間は、もうない。
******

もはや定番化したネット言論と既存メディアの乖離である。
そしてもちろん私もリンクを張ったブロガーのみなさんと立場を同じくしている。
が、実は今回はこのニュースを見てもあまり怒りは湧いて来ず、むしろ「面白いじゃないか!」と思った。
なぜか?
ここまで来たら、もう徹底的に権力やマスゴミの正体を余すことなく晒した上で叩き潰せばいい。ついにその大チャンスが到来したと思うからだ。
いつも指摘しているように、日本は霞が関による高度の独裁国家であって、既存メディアはその権力維持装置である。
だが、昨年3月の大久保秘書逮捕以降、この装置による世論操作がブログ言論によって綻びを見せはじめた。もちろん、メディアの側も必死になって組織防衛に走っているが、このブログ言論はボディブローのようにダメージを与えている。そこへさらにtwitterの大ブレークというパンチが炸裂し、実はメディアはすでにヨタヨタの状態である。
おそらくマスメディアの側は、このまま小沢一郎が生き残ってしまったら、自分たちが死ぬことを本能的に知っているのだろう。だから彼らは必死の形相で反小沢キャンペーンを張っている。
つまり、いよいよ最終決戦の火ぶたが切って落とされたのである。
こうなったら、マスゴミには吠えるだけ吠えさせて、みんなで叩き潰してやりましょうや、ブロガーのみなさん。

私はここまで来たら検察にも小沢を起訴して欲しいのだが、それはできない気もする。
なにしろ落ちるところまで落ちた、劣化するところまで劣化した検察が、それでも「これは起訴できない」と判断した案件を、そうそう簡単に起訴に持っていけるはずがない。

とすると、いまからメディアが行うのは、まさに朝日が言うところの「これこそが善良な市民としての感覚」という空気の醸成である。この空気を今から参議院選挙まで徹底的に垂れ流すことで、小沢一郎と民主党を追いつめようということだろう。
だが、もはや彼らが独占していた情報の発信権は雲散霧消し、結果、独裁国家日本の肝であった「空気による支配」は機能不全に陥ってしまった。
したがってマスメディアは間違いなく崩壊する。
そうして権力もカネ(広告収入による高賃金)も失った面々は、間もなく今日のような雨の中で呆然とたたずむことになるだろう。

・田中良紹の「国会探検」
みんなで渡れば怖くない

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2010/04/24

世論操作の従事者たち

昨日、やや遅めの昼食を、、、と思い、とあるラーメン屋にぶらりと入った。
すると店内に置かれたテレビでミヤネ屋という番組をやっていた。

私はテレビというのはほとんど見ないが、朝、出勤前は時間を確認するためにテレビをつけている。すると何気に見てしまうわけだが、朝のワイドショーというのはまあひどいレベルだ。
さすがにみのもんたの番組は見ないのだが、トクダネ!はよく見る。今年の初め、陸山会の政治資金“問題”でメディアが騒いでいた頃、トクダネ!では連日、訳知り顔の薄ら笑いを浮かべた田崎史朗を番組の冒頭から出演させて小沢バッシングを繰り広げていた。私はそれを見ては腹を立てて(だったら見なければいいのだが)、twitterで「田崎ムカつく」などとつぶやきながら出勤していたものだった。

しかし、、、
昨日、初めてミヤネ屋を見て、「トクダネ!の民主、小沢叩きなんて、この番組に比べれば他愛のないレベルだナ」と思ったものである。
いやーこれはすごい番組ですね。私はラーメンを待っている間、思わず、

「いまラーメン屋に入ったらミヤネヤとかゆー番組やっているけど、すごいねこれ。北朝鮮の国営放送のよーだ。」

とつぶやいてしまいました。
実は昨日は有給休暇を取得していて、家を出る前に妻が見ていたテレビ朝日のワイドショーを一緒に見ていたら民主党の高速道路の問題をやっていて、これに生方某という民主党の議員が出演していたのにも腰が抜けるほど驚いた(この時の驚きの対象は生方某に対してではなく、こういう人物をキャスティングしてくるテレビ朝日に対してだった)。が、ミヤネ屋はそんな番組も軽く超越して、民主党の高速道路問題ではパッシング一色。司会の宮根という人物からコメンテーターに至るまでが鳩山政権を罵倒している。
で、その次のコーナーでは舛添某が改革クラブへ合流する件についてもやっていたのだが、これについては「国民の人気ナンバーワン」「総理大臣になって欲しい人ナンバーワン」の舛添が改革クラブやらに合流するのはちょっと大丈夫?といったトーンである。つまり改革クラブについては否定的なのであるが、とにかく舛添の名前を言う前には必ず「国民的人気がある」というフレーズをつけている。
これはもうまさに独裁国家の国営放送が、徹底的に敵対する勢力のネガティブ情報を流して国民を洗脳するのと同じである。
で、ほとんどの人がご存じだろうが、この番組を制作しているのはゴミウリ読売テレビで、日本テレビ系列でネットされている。つまりゴミウリ読売というメディアの意志を体現しているわけだ。

ところで最近、ことあるごとに新聞社やテレビ局がやっている世論調査。その調査手法は無作為に抽出した固定電話の番号にかけるのが一般的らしい。今や携帯電話が主流になっている世の中で固定電話に、しかもおそらく昼間に電話をかけて出る人というのは、このミヤネ屋を見ているような人も多いだろう(視聴率は大したことはなくても、その時間帯の占有率は高いはず)。そういう層に向かって誘導尋問のような質問をすれば鳩山政権や民主党の支持率が下がる結果が出るのは当たり前の話で、その結果をテレビのニュースや新聞で大々的に報道して、世論操作の仕上げにかかる。
この手法は私でさえも、「完成された見事な仕組みだナ」と感心してしまう。
ただし、この仕組みによる世論操作、洗脳を完成させるためには一つの条件があった。それは国民が既存メディア以外に情報を得る手段がないということ。
この条件は長らくアプリオリに成立しており、そんな条件があることすら多くの人が忘れていた。
ところがブログやtwitterの登場により、その大前提が突如、消えてしまい、結果、メディア(=権力)の実態が可視化されてしまった。そうして姿を現したのは、「ジャーナリズム」とは対極の醜く、かつ滑稽な世論操作の従事者たちだった。
しかも彼らはまだ自分たちの素顔が白日のもとに晒されたことに気づいていない。

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2010/04/23

改革クラブが痛々しかった件

そうですか、舛添センセは改革クラブに合流ですか。
改革クラブというえば、私はどうしても痛い画像を思い出してしまうんですよね。
twitterで流したらややウケしていたので、当ブログでもリンクを張っておきましょう。

改革クラブの痛い画像

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メディアの生死を分ける要素

もう10年以上前のことだが、自動車評論家の徳大寺有恒氏が、「いま現在の少なからぬ日本車はこの世からなくなっても誰も困らない。ここがヨーロッパのクルマとはうんと違うところで、欧州メーカーのクルマというのは、そのクルマがなくなってしまうと困る人がたくさんいる。そういうクルマをなかなか作れないのが日本メーカーの弱点だ」と言っていたのを聞いて「なるほど」と思ったことがある。
ま、もちろんその後、日本の自動車メーカーの状況も大きく変わり、日本車のありようも少しずつ変わってきた。
そんななかで、たとえばホンダという会社は他メーカーの合従連衡が進むなかで今でも独立でやっているわけだが、その大きな要因の一つは自動二輪、つまりバイクがあるからだと思う。ホンダは世界一の自動二輪メーカーで、ホンダのバイクがなくなってしまったら、世界中で困る人がたくさん出てくる。この事実がホンダという会社の価値をものすごく上げている。
あるいは軽自動車を作っているメーカー。軽の規格というのはドメスティックなものだが、しかし日本社会においては絶対に必要なものだし、世界的に見ても小さなクルマを作る技術はこれからますます脚光を浴びるだろう。

さて、当時、徳大寺氏の話を聞いた私は、「自分の所属する会社が発行している本、雑誌で、なくなったら世の中の人が困ってしまうようなものはどれぐらいあるかナ?」と考えてみた。
そして出た結論は「ほとほどない」だった(-_-;)。
これには慄然とした。
で、まあついでに余計なお世話だが他社についても考えてみたのだが、たとえば岩波書店がなくなってしまったら世の中には困る人が出てくるだろう、だからこの会社はおそらく残る、経営がおかしくなってもきっと救済の手を上げる会社が出てくるだろうと思った。
あるいは福音館書店。ここから出ている「ぐりとぐら」シリーズ、「だるまちゃん」シリーズといった絵本は、自分に子どもができたときに買ってやったが、実はそれらはかつて私自身も親から買ってもらった本ばかりだった。「いやいやえん」なんて私が生れた年が初版である。

話が前後するが、児童書ということでいえば岩波も充実している。「きかんしゃやえもん」が阿川弘之著であることをご存知ですか? おそらく阿川先生の一番売れた本、そしてもっとも多く印税を手にした本は「きかんしゃやえもん」だろう。しかも今もその印税収入があるはずだ。
他にも「ドリトル先生」シリーズ、「長くつしたのピッピ」シリーズと、これみ~んな岩波から出ている。

寿命が長い商品というのはそれだけ価値があるわけで、こういう本を刊行している会社は強い。しかも身の丈にあった経営をしている。
もちろん児童書の他にも価値のあるジャンルはたくさんあって、いまやコミックもその一つだろう。
そして、そういう価値あるコンテンツを持っている会社は、たとえ電子書籍の時代が来ても生き残る可能性が高いと思う。

しかし一方で読んでも読まなくてもどちらでもいい、絶版になろうが休刊になろうが誰も困らない、知ったこっちゃない本や雑誌を出している出版社がわんさかあることもまた事実である。そういう会社の出版物はこれまで他に読むものがなかったり娯楽がなかったから売れていたに過ぎない。
そして当ブログで再三指摘しているように、とくにそういう雑誌をたくさん抱えて莫大な広告収入を得ていた会社が大変だ。なぜなら、その圧倒的な広告の利益率がダイレクトに高コスト(=高賃金)体質につながっていたから。

これはテレビや新聞もまったく同じこと。
今月の初旬、TBSに続いて日本テレビでも1日に放送したすべての番組で視聴率が10%に届かない日があったという。そこでこの日の番組表をながめてみると、これがまた見事なまでに「別に見なくても誰も困らない番組」がズラリと並んでいる。ひと昔前なら、それでもそこそこの視聴率を取れていただろうが、今の時代はそんなものを見る時間があったらYouTubeで面白い動画を探した方がはるかに有意義で、これでは視聴者が離れていくのは当然だろう。
では、気合いを入れて質の高い、価値あるコンテンツを作れば問題が解決されるかというとそういうわけでもない。なぜなら、ほとんどの場合、そういうコンテンツはマス相手のマーケティングとはマッチングしないから。
たとえば教育テレビの語学のコンテンツはなくなると困る人が多いだろうが、しかし視聴率自体は数%しかない。したがって民放でそういう番組を作っても、今までのような莫大な広告収入を得ることができない。
雑誌広告で大儲けしていた出版社が児童書を作り出してもあっという間に潰れるだけだ。
と考えていくと、やはりどう考えてもマスを相手にしたメディア企業は相当数が潰れていく運命にある。

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2010/04/17

再びの選挙ボランティア

14日(水)の晩、有田芳生さん、そして有田事務所の方とお目にかかった。お二方とも昨年8月30日以来である。
ご存じのとおり、次期参議院選挙で有田さんは民主党公認の比例区候補として出馬する。
ま、だったら昨年の衆議院選挙で民主党公認候補であれば3474票差なんて軽く吹っ飛ぶ勝利をしたんじゃないかとも思うが、今さらそれを言っても仕方がない。今回はあの選挙で築いた板橋の地をベースに支援の輪を全国に広げていくしかないのである。

ところで参議院選挙というのは実のところどういう制度になっているか(どのように当選が決まるか)というのは案外と知られていない。
これは有田さんのこちらのページを見ていただきたいのだが、比例区については個人名、または政党名を書き、個人票の多い順に当選が決まっていく。
つまり、「有田さんに頑張って欲しいから“民主党”に投票しました」ということではダメなのである。有田さんを支援していただけるのならば、投票用紙には「有田芳生」と書いていただかなければならない
さて、このような制度だと有利なのはどういう候補か? 圧倒的に組織内候補である。さまざまな業界団体が出してくる候補者ほど当選していく。
一方、有田芳生には組織がない、、、
実は私もこの制度についての知識がまったくなく、有田さんが民主党から立候補することが決まった時点では、「良かったナ、これで当選できるナ」と思ったものである。
何しろ組織がない悲哀というのは前回の衆議院選挙でたっぷりと味わった(もっともだからこそ熱い選挙でもあったのだが)。が、今度は何せ政権与党の民主党である。「私が手伝うことなどないナ、、、」と思っていた。ところが、あにはからんや、状況は前回とまったく変わっていなかった。
こうなってくると、むしろ噂されている衆参ダブル選挙でもやってもらって、衆議院選挙でもう一度板橋から出たほうが当選する確率が高いのではないかとすら思えてくる。なにしろ有田さんといえば前回の最高惜敗率候補ですからね。

と、まあ愚図愚図書いていても仕方がない。とにかく、この夏は再び有田さんの応援をしてみようと思う。
なにしろ間もなく失業者だから時間ならたっぷりことあるのである、、、(-_-;)。
それに40代後半の失業者にとって、少しく評判が悪いとはいえ、政権与党の側の応援をすれば何がしかのメリットがあるのではないかという打算も多少はある。

とはいえ、以上、書いてきたとおりに今回の選挙もまた大変である。
組織のない候補はどう戦うのか? 希望があるとすれば、それはネットの力だと思う。
今回の参議院選挙ではネット選挙がおそらく解禁されるだろう。であれば、これを存分に使わない手はない。というか、旧態依然たる組織候補に伍して選挙を戦うためには、それしか方法はないとさえ思う。
何しろ今回は衆議院選挙の時のように板橋区内でどぶ板選挙をするのとはわけが違う。日本国中の隅々にまで有田芳生が出馬していることを知ってもらい、政策を知ってもらい、名前を書いてもらわなければならない。
組織内候補の断トツ有利な状況を崩し、選挙をフラット化させるためには、繰り返しになるがネットの力しかない。
そして、これは実は現在、世の中のあらゆるフェーズで起きているネットによる既得権益の破壊、フラット化というとトレンドと軌を一にするものでもあると思う。
ということでネット選挙の体制を早急に整えなければならないわけだが、今回は衆議院選挙の時のように板橋のみで活動するわけではないので、全国津々浦々、もしこの選挙に興味がある方がいらっしゃっいましたら、是非、ご協力いだだければ幸いです。
また、「こうすればいいのではないか?」というアドバイスやアイディアがありましたら教えてください。
あわせてよろしくお願いいたします。


※とりあえず近々の有田芳生のスケジュール
4月17日(土)14時~16時 ・場所 目黒区立大橋図書館第二会議室(電話03-3469-1323  池尻大橋駅徒歩3分) ・テーマ「少子高齢化社会の街づくり、国づくり」「情報化社会での育児、教育 いくつかの提案」 ・呼びかけ人 菊池(電話03-3467-6977)前畑(電話03-3422-3316)

4月18日 大阪・茨木市で集会
茨木市福祉文化会館(オークシアター)5F文化ホール(345人収容)
午後2時から4時
のちに茨木小学校、養精中学校の同窓会

4月20日 大野もとひろさんと討論会
埼玉県行田市教育文化センターみらいホール

4月21日〜22日
日本教育者セミナー姫路大会に出席。 

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2010/04/14

息子の新担任の話を聞いて、教員の“質”について考えた

またまた少々私事がらみで、しかも以前にも同様のことを書いたことはあるのだが、、、

わが家の息子は今年、地元の公立中学校の3年生になった。
子どもがいる方にはわかっていただけるかとも思うが、親にとって進級時の最大の関心事の一つは担任がどんな先生になるか?ということだ。
いい先生に当たれば「良かった~」と思うし、ダメな先生に当たれば「うわっハズレだ、これは1年我慢になる、、、」と憂鬱になる。

先週のTBSラジオ「荒川強啓デイキャッチ」で宮台真司が教員のスキルについて語っていた。
曰く「先生の社会的経験値が低いので、感情の制御が十分できず、あるいはものすごく感情を乗せて叱ったふりをした時の自分自身の感情の動きにも自信がないし、怒ったあと、叱ったあとに生徒との間の関係を修復するということについても自信がない人たちが多い」。
→ポッドキャストはこちら

私もまったくその通りだと思う。学校の公開授業でいろいろなクラスをのぞいてみたりするのだが、その時につくづく思うのは「トーク力のない先生が多いナ」ということだ。
と、まあこんなことを書けば、「学校の先生に必要なのは科目を教えるための知識であってトーク力など関係ない」という反論をされてしまうかもしれない。
近年は学級崩壊が問題になり、そもそも子どもに対する親の教育が悪いというようなことがよく言われる。もちろんそれもあると思うが、子どもたちの視線を自分の喋りに向けさせるためには、やはり「トーク力」が必要だと思うのである。
NHKの「課外授業 ようこそ先輩」では、さまざまな有名人が母校で授業をするが、子どもたちはみな真剣に先生の話を聞いている。もちろんテレビカメラが入っているからそうなるわけだが、しかしそれだけではなく、やはり各界で活躍する人たちには子どもたちを惹きつけるだけのトーク力があるからだと思う。そして、このトーク力を身につけるためには社会的経験値が必要だ。
だって、どんなに優秀な学生であっても、大学を卒業したての青年が営業マンになってクライアントのところへ行けばそうそう喋れるものではない。たまさか喋る力があったとしても、それに信用力は伴わない。むしろ「軽いヤツだナ」と思われることだろう。落語家にしたって前座から時間をかけてトーク力を磨いて昇進していくのである。

ところが学校の先生の場合、大学を卒業して教員採用試験に合格すれば、すぐに「先生」と呼ばれるようになる。しかも、この教員採用というのが、実はコネだらけだ。
私は2年前に起きた大分県の教員採用汚職というのがいまだに引っかかっている。なぜなら、これは全国レベルで昔からあった話で、当時のエントリーでも書いたが飯島勲も教員採用の口利きは多かったと自著の中で告白している。
また、やはりこの問題が表面化したときに「久米宏 ラジオなんですけど」で意見を募集したところ、これは大分だけの話ではないというメールや手紙が殺到したと記憶している。

私は日本の未来は子どもの教育にかかっていると思っているが、そのためには教員のレベルを上げることが必須だと思う。なので新卒の学生に対しては、たとえ教員に採用されても何らかの形で実社会での経験を積ませるべきで、あるいは社会経験のある年配者も、今以上に採用していくべきだ。
そして、採用の際の口利きを絶対になくさなければならない。これは今からでも遅くないから、再度、全国規模で徹底的に調査をして結果を公表すべきだ。おそらくかつての与党だけでなく、野党も含めた議員や関係者の口利きがゴロゴロあるだろうが、これを明らかにして改善していくべきで、教育改革の原点はそれしかないと思う。

と、まあこんなことを書き連ねてしまったのは、息子の担任がなかなか良さそうな先生だったから。
まだ30代半ばの女性なのだが、教員を志してから5年以上にわたって教員にチャレンジし続けた挙句、やっと採用されたという。おそらくペーパーテストや面接を通過して名簿には登載されても採用されなかったのだろう。ということは、つまりコネがなかったわけで、実力で、そして「教師になりたい」という思いを持ち続けたからこそ願いがかなったわけだ。それだけに苦労もしているだろう。実際、その間にカウンセラーの資格なども取得したそうだ(前述の久米宏のラジオでは、「教員に何年チャレンジしても採用されず結局あきめらたが、その間、あの人が?というような人が簡単に採用されるケースも多々あった」という内容のメールもあった)。
こういう先生だと、学校から息子が持ちかっえてくる学級通信一つをとってみてもスキルを感じさせる出来で、先日、進級して初めての保護者会に行ってきた妻は「この先生なら大丈夫だ」と言いながら帰ってきた。
自ら振り返ってみると、中学3年というのはもっとも息苦しく辛い時期だったと思う。
公立学校の教員の質を上げることは急務である。

※ところで、間もなく失業する私は一応、教員免許を持っており(中学と高校の国語)、25年間の社会人経験で鍛えたトークには少々自信がある。だから面接までいけばなんとかなるような気がするのだが、教員採用試験のペーパーテストのハードルが高い、、、(-_-;)

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2010/04/13

しっかりせんかっ!民主党!

ここのところ私事をウジウジ、グダグダ、煮え煮えと書き連ねてしまったわけだが、久しぶりに政治について。
といっても新聞もニュースもあまり見ていないので、ここのところの流れをきちんと押さえているわけではない。
情報はもっぱら私が信頼かつ愛読しているブログから得ている。ちなみにそういったブログの中には、当ブログにリンクを張っていただいていることもある。ところが当ブログはそういうリンクをまったく張っておらず気になっている。これはひとえに私の怠慢であって、近いうちにきちんとブログ自体を再構築してリンクも張ってこうと思っています。

話を戻すと、、、

私はこれまで鳩山連立政権に対しては比較的温かい目で見てきた一方で、メディアによる民主党ネガティブキャンペーンを批判してきた。
で、まあその立場は今でも基本的に変わらない。
ここのところは生方問題だとか立ち枯れ新党やらでメディアは大騒ぎだが、いったいぜんたい西松建設の訴訟はどうなったのか? 石川知裕議員の裁判というのはいつ始まるんだ? 小林千代美議員の問題はどこへ行った? もう「?」だらけである。
ところがそういった過ぎ去ったことにはほとんど触れず、次から次へと新ネタを追加し、手を変え品を変えて民主叩き、鳩山叩き、小沢叩きを繰り返している。
小沢一郎が独裁者だって? まあ確かに政治家としての実力、凄み、重みはそんじょそこらの与野党のチャライ議員連中に比べれば比較にならないだろう。
だけどですね、、、
このブログで繰り返し主張してきたことだが、日本というのは昨年の8月まで続いた自民党政権時代、一貫して官僚による世界でも稀に見るハイレベルな独裁が続いてきたのである。
それが政権交代によってやっと崩れ始めた。これに危機感を持った霞が関がメディアを使って、霞が関独裁の破壊を目論む小沢一郎を筆頭に民主党を総攻撃してきたのが昨年9月以降、今日までの政局だと私は思っている。
しかもこの間、一方で自民党が見事なまでに溶解し始めた。そして民主党の支持率も下がっている。つまり与野党の、つまりは政治の力が下がってきているわけで、これをもっとも喜んでいるのが霞が関であることは間違いない。したがって、このまま行けば、日本は自民党時代以上の霞が関独裁国家になってしまう。
と、まあ心配すればキリがないが、しかし私はそうはならないとも思っている。なぜなら独裁権力の維持装置であるメディアと検察が壊れ始めているから(これも何回も書いていることだが)。
ただし、、、
これは時間との競争ではないかとも思う。メディアや検察が完全に壊れる前に民主党政権が壊れてしまっては困る。そこで今、民主党に求められているのは、まずは鳩山・小沢の下でふらつかないで一致結束すること。
ま、300議席以上持っているのだから、霞が関によって仕込まれたウイルス連中は斬ってしまえばよろしい。
でもって沈没寸前のマスゴミのいい加減な世論調査や解説記事なんて気にするな!
そして、来るべき参議院選挙でネットによる選挙活動を解禁すべし!

鳩山政権は霞が関という完成された独裁権力を相手にしているのだから、それに立ち向かうためには多少の混乱は仕方がないと私は思っている。その代わり国民から選ばれた議員が真の権力を手にして欲しいのである。
だから、、、
しっかりせんかいっ!民主党!

※ところで私はこの権力闘争が無事、民主党の勝利に終わったら、次は原発を推進するこの党を許さんです。

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2010/04/12

午後2時の太陽

十年ちょっと前ぐらいだろうか、、、
私は当時、身近にいた50歳前後の人たちにこんなことを言っていた。

「〇〇さんは50歳になりましたか?」
「いや、まだだけど、もうすぐかな、、、」
「そっかー、でもね、ぜんぜん大丈夫ですよっ(^_^)!」
「そ、そう?」
「50歳というのはね、午後2時の太陽なンですっ!」
「ん?それどーゆー意味?」
「陽は燦々と輝いている。でも、、、急がなければ、、、、」
「(-_-;)、、、、、、」

確か沢木耕太郎がラジオで喋っていたことの受け売りだったと思うが、ま、要するにこんなことを言っている私はイヤなヤツだったのである。
ところが、、、
その50歳に手が届くところ(48歳)に自分が来てしまった。
これはなんともはや恐ろしいことで、実際にその年齢に達してみると午後2時などと言っている場合ではない。なにしろ冬場ならば午後4時を過ぎれば薄暗くなるのである。
しかも十年前とは世の中の動きのスピード感が違う。
私はiPodの初期型を持っているが、これを購入したのが2002年頃だったと思う。当時はせっせと自分のCDをiTunesで読み込んで転送しているだけで、まさかアップルが音楽市場を席巻して支配するとは思いもよらなかった。
ネットの接続にしても十年前は自宅ではまだダイヤルアップをしていたと思う。それがあれよあれよという間に常時接続となり、ブロードバンドの時代がやって来た。

そして何年か前から、書籍も電子化の時代が来ると言われたが、私にはどうもピンと来なかった。それは簡単に数十ページ前、あるいは後まで行きつ戻りつができる、あるいは気になった箇所は折り曲げるなり線を引くなりできる簡便性を電子媒体が凌ぐのは容易ではないと思っていたからだ。
しかし、昨年ニューヨークへ行ってみると当地は電子書籍の話題一色であった。
某広告代理店で聴いたプレゼンでは、「アメリカでは雑誌は厳しい媒体だと思われている。印刷媒体にとってはチャレンジングな時である」というところから話が始まり、広告投資の主軸がブランディングからマーケティングへと移行していることが説明された。
そして今後、広告予算が増えていくのはソーシャルメディアや検索で、雑誌の予算が増える見込みはほとんどなく、むしろデジタル予算を確保するための第一の草刈場が雑誌だという調査結果を見せられた。
では、この難局をどう乗り切るのか? そのときに提示されたのは3つで、

1 Digital and E-reader (Don't follow the music industry)

2 Establish a massive media BRAND

3 Diversification

つまりデジタル化、電子書籍に対応をした上で(音楽業界の二の舞となってはいけない)、メディアとしての強いブランドを作り上げ、多様化(多メディアへの対応)しなければならないというわけだ。
実はのん気な私はそれでもなお電子書籍についてはピンと来なかったのだが、それから半年後、iPhoneで佐々木俊尚著「電子書籍の衝撃」をダウンロードして、初めて電子書籍というものに触れると、これが予想以上に快適だった。混雑した電車の中でも片手でiPhoneを持って読書ができる。ページをめくるのも軽快で、途中まで読んでやめても次には読み進めたところから表示してくれる。
そうして私は電子書籍もiPodと同じようにもの凄いスピードで普及していくのだろうと思った。とくにiPadが登場すれば、書籍だけでなく雑誌のコンテンツもこれに対応していかざるを得ないだろう(成功するかどうかはわからないが)。
しかも、ここにはiPod以上に膨大なシルバー市場があるような気がする。現に私はiPadが出たら、自分の親や義理の両親に勧めてみようと思っている。
年寄りにそういったデジタルデバイスは使えるのか? 少なくともすでに多くの老人が携帯電話を使っている。少し前、親戚の法事があったとき、集まった老人たちはみんな携帯で撮影した孫の写真を見せ合っていた。つまりそれぐらいのことすでにできるわけで、そういう彼らが書店に行かなくても本を購入でき、しかもフォントを大きくすることもできるという利便性に気づけば、少しのアドバイスがあれば使いこなせるようになるだろう。もし、わからなければ多少時間をかけて教えればいい。ひょっとするとそこにビジネスチャンスがあるかもしれない。

なんともとりとめのないことを書き連ねているが、、、(アルコールのせいということでお願いします)

とにかく電子書籍の時代(なかでもiPadだと思うが)というのは、これはもう生やさしい変化しではなく、メディアのありようを完全に変えるパラダイムシフトである。
であるならば、夕暮れ近い午後2時のオッサンであっても、残り時間を新しいパラダイムへの取り組みに使うのは悪い選択ではないように思える。それは少なくとも古いパラダイムにしがみつくよりはチャレンジングである。


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2010/04/08

WEB時代の失業ビフォーアフター

読売ジャイアンツの木村拓也コーチがくも膜下出血のため、この世を去った。試合前の練習中にノックをしていた時に突然、倒れたという。享年37歳はあまりにも若い。
そして今週はもう一人のスポーツマンの訃報にも驚いた。
ラグビーの元日本代表で東芝府中でも大活躍をした渡辺泰憲選手。東芝ファンの私のお気に入りの選手の一人だった。恵まれた体格に走力を持ち合わせたフランカーで、その突進力で東芝、そして日本代表を勝利に導いた。享年35歳。
お二人のご冥福を祈りたい。

それにしても、改めて人の命というのはまことに儚いものだと思う。
昨日まで元気だった人が突然、倒れて不帰の人となる。明日、自分の身にも起きるかもしれない出来事を、しかし事前に予測することはできない。病気を患ってから、「あの時、もう少しきちんとした生活をしていれば、、、」と思っても、時計の針を元に戻すことはできない。
このような訃報を聞くたびに私が思い出すのは、「橋のない川」の著者である故・住井すゑ先生の言葉だ。
住井先生は唯物論者だったが、もし神様がいるとすればそれは“時間”だとおっしゃっていた。
曰く「どんな金持ちでも身分が高いという人でも、時間の流れに逆らうことはできない。人間は時間の下に平等であって、神様は“時間”である」。

さて、、、
私の会社員としての残された時間もあとわずかである。
それは何をどうやってもあがいても、正確に時を刻んでやって来る。
失業後はどうするか? な~~~んにも決まっていない(失笑)。
ちなみにこのような状況、無所属の時間を迎えるのは人生で3度目のことである。
最初は幼稚園入園前!(爆笑)。これはさすがに記憶にない。
そして2度目は大学入学前の浪人時代(1年間)。この20歳前の無所属の時間というのはもちろん不安も大きかったが、一方で物心ついて初めて手にした自由でもあり、今思い出してみると悪くない時期だった。
で、今回が3度目。

「とりあえずワールドカップは結構テレビ観戦できるナ、、、、」

などと言っている場合ではない。
ホリエモンが書いているがごとく、必至になって仕事に集中しなければならないのである。
といいつつ、私の場合はその仕事自体も決まっているわけではないので(苦笑)、とりあえず失業後に向けて職探しをしながらいろいろな手を打っていかなければならない。
そのなかで考えていることが一つある
佐々木俊尚さんによれば、「ネットがあれば履歴書はいらない」そうだ。


しかし、そのためにはWEB上でセルフブランディングをしなければならない。そしてその場合、個人情報を出すことが有益であることは間違いない。私という人間がこれまでどのような仕事をしてきて、どんな人とつながりがあるのかということを多くの人に知ってもらうには、それがもっとも手っ取り早い手段である。そして、おそらく私のやった仕事のいくつかについては、その内容をもうちょっと詳しく聞いてみたい、、、というニーズがあるような気がする(あくまで「気がする」だけだが)。
しかし、そのためには相当程度の個人情報を出す必要があるだろう。
これは正直言って迷う。
当ブログで偉そうになんやかんやと書いてきたのも匿名であればこそだったことは否めない。かといって、失業後は石にかじりつかなければならず、そんなことでグダグダと悩んでいる場合ではないという気もする。
ということで、、、
現時点では、失業を機に当ブログで個人情報を出すことを考えている。
ただしどの範囲まで出すかはまだ決めておらず、ネットに詳しい何人かの友人、知人とも相談してみようと思う。
その結果、どういうことが起こるのか? 
怖がりの私としては相当に不安もあるが、たとえ結果が悪くても、いずれ必ず時間が解決してくれるはずである。

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2010/04/04

リストラされたオッサン(自分)が意外に明るい理由

3月28日のエントリーに対して、いくつかのコメントをいただいた。この場を借りて御礼と感謝を申し上げます。
その中でhash様が「暗い流れかと思いきや、むしろ望んでいるように見えたのでコメントしてみました。」とお書きになっている。
そう、実は私はあまり悲観的になっていない。むしろ今は晴れ晴れとしている。もちろん、これから塗炭の苦しみを味わうかもしれない。が、それでも気分は悪くないのである。
会社の同僚で同じく早期退職の対象となって悩む同僚からも「お前はどうしてそんなに明るいのか?」と言われる。ま、その第一の要因はバカだからだ。なるしろこのオッサン(自分のこと)、「辞めるから、最後だから、といって部内や広告代理店の女の子を食事に誘えるかな?」などとアホなことを考えているのだから(大爆笑)。
で、まあそれはそれとして、しかしなぜ私があまり暗くないのか? それを今日は書いてみようと思う。

当ブログの大きなテーマの一つは既存メディアへの疑問である(一応、そのつもりだったのですが、、、)。
これについては、実はずいぶん前から「おかしいのではないか」と思っていた。しかしながら、そういう自分が既存メディア(といっても端くれだが)の側にいるというのは悩ましいパラドックスであった。
そうした中で2000年代の初頭から広告営業に従事するようになった。正直に言えば、最初に広告へ異動を通告された時には相当に不満だったのだが、しばらくしてこれはなかなか自分に向いている仕事だと思うようになった。
ま、それは自分が外向きの人間だからなのだが、何しろ広告業界は若い。梅田望夫が「自分はある時からできるだけ年上の人とは話さないで、年下の人と話すようにした」というようなことを書いていたと記憶しているが、この業界にいる限り、ほとんどは年下の人との仕事となる。しかも、彼らはみな難関の広告代理店に入ってくるぐらいだから優秀だ。40代の物忘れが激しくなったオッサンにとって、彼らから受ける刺激というのは格好のボケ防止となった。
一方、社内で自分より年上の人を見渡すと、大変に申し訳ないのだが少なからぬ人、いやほとんどの人が思考停止に陥っているように見える。「かつては優秀な人だったのにナ」というよな人でも、年齢と役職が上がるにつれて、話の内容を聞いていると「おやっ?」と思うようになった。
かつて、ある経営評論家が「出世と教養の摩耗は比例する」と言ったのを聞いたことがある。会社員というのは得てして大学を卒業した時に最高の教養を持っているが、会社に入って出世の階段を上がっていくと、その教養がだんだんと摩耗していくという意味なのだが、まさにそんな人が多いのである。
私の会社での役職は平社員より1階級だけ上という、まあこの年齢にしては情けないもので、同期の中には部長職以上の人間も多い。また、自分より年下の人間もどんどん偉くなっていく。で、まあこれは負け惜しみで言うわけではないが、しかし私の目から見ると、そういう彼らはみんなズレている。あるいは現状認識がまったく世の中の流れとかけ離れていると感じるようになった。

一方、広告営業の現場にいると、その変化の流れは驚くばかりである。Webの伸びは想像より早いことはわかっていたが、その想像すらを超えていく。
ところがその変化に既存メディアの側で最初の段階から気づき、手を打ってきた人というのは少数で、まして私の所属する会社ではまったく皆無だった。

これに言論機関としてのメディアの劣化が追い打ちをかける。これは今に始まったことではないが、とくに昨年3月3日に小沢一郎の秘書である大久保隆規氏が逮捕されて以降、それが顕著になった。
私は2008年から2009年にかけて世の中がガラリと変わったと感じていたのだが、あの大久保秘書逮捕以降のメディアは、その変化にまったく気づくことなく、既得権益にどっぷりと浸かったままこれまでと同じことをやっている集団の断末魔にも見えてきた。そして自分の所属する会社も完全にそちらの側にいた。

「これはダメだな、、、」

と思った。しかし、かといって会社というのはそれはそれで簡単に辞められるものではない。なにしろ生活があって、子供の教育費はまだまだかかるし住宅ローンだってある。だが、自分の所属する組織も業界全体の先行きも暗い。

「まいったな、、、」

と思っていたところへ降ってきたのがこの早期退職の話だった。そして、そこで手にすることができる退職金というのは、一応、割増されていて、当面はなんとかなるという金額だった。
しかし、それでも「本当に辞めて大丈夫なのか?」という不安はある。辞めてどうするのか? 新しい時代、明治維新にも匹敵するような歴史的な節目が来ているという確信はあるし、多少、自分の頭の中で描いているイメージはある。が、そんなものは所詮、絵に描いた餅なのではないか、、、
そのようなことが頭の中でグルグルと巡り回っている時、たまに会って情報交換をしていたベテランのフリーランスのジャーナリストがこんなことを言ってくれた。以下、そのおおよその会話。

「辞めるのか?」
「そうしたいと思ってるんですよね。先行きは暗いし、当面、なんとかなる程度のお金はもらえるし」
「ならいいじゃないか。で、次のアテはあるのか?」
「いや、それはぜんぜんないです。やってみたいことはあるけれど、それで食っていけるのかはまったくわからないし、、、」
「うん、しかしだな、25年間やってきて次の仕事を見つけられなかった、フリーになって食っていけなかったとしても、それはお前に力がなかったんだから仕方がない。自己責任だ。だけど、このままダメだと思っている会社や業界に止まって一緒に沈没するよりは自己責任の方がはるかに納得できるじゃないか。そうは思わないか?」

この最後のフレーズは心に響き、刺さった。
そして迷っている自分の背中を辞めるという方向へ押してくれた。
どっちにしてもダメならば、自己責任でダメになった方が納得がいく。まさにその通りである。
そうして辞める決意をすると、おかしなもので急に心が軽くなり、依然として悩んでいる人や「何がなんでも残る」と明言している人のことを「気の毒にな、もったいないな」と思うようにさえなってしまった。
ま、もちろん人はそれぞれであるが、、、

3月28日のエントリーを佐々木俊尚氏がコメント付でtwitterに流してくれた。
そのコメントにはこう書いてあった。

「いつかは人生は終わる。終わることを意識してもしなくても結果は同じ。だったら意識しないで夢中になった方が楽しいと思う。」

このコメントもまた心に刺さった。
終わることは怖いけど、しかしずっと終わらないわけでもないのだから、だったらここで夢中になってチャレンジしてみるのも悪くはない。

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2010/04/02

大化けブログが教えてくれること

総合出版社で書店営業をしているという人物が、勤務会社が発表した早期退職に応募し、それと同時に社内の揺れる様子を赤裸々に、かつリアルタイムにレポートしているブログがネット上で大反響を呼んでいる。
(私のケースと似ているが、それはこの際、置いておく)

たぬきちの「リストラなう」日記

ためしに過去のエントリーを見てみると、日常のあれやこれやを書きつづった、わりと普通のブログである。
ところがここ数日、上記の内容を書き始めたとたん、トラフィックが大激増したらしい。
要するに大化けだ。

さて、私がこのブログを読んで最初に思ったのは、「ここまで書いてこの人は大丈夫なのかナ」ということだった。
それなりに条件の良さそうな退職のようだ。だとしたら、あまり赤裸々に書きすぎて会社に気づかれると危ないのではないか、、、と思った。
最初のエントリーから読み進めるにしたがって、筆者が激増するアクセスに興奮している様子が見て取れる。
twitterによって物凄い勢いで口コミが作られ(最初は佐々木俊尚のtwtterの影響が大きかったようだ)、一方ではてなブックマークに登録する人もうなぎ上りに増えている。あっという間に有名ブロガーの仲間入りである。
しかし、、、
となればますます危険なのではないか、と思った。
どんなに鈍感な経営者でも、これだけネットで話題になれば、誰かから教えられるだろう。
そうなった場合、やはりこのブログ筆者にはいくばくかの圧力がかかっていくのではないか、と。
現に、この筆者もそれを最初は恐れたフシはある。しかしながら腹を括って書き続けることにしたらしい。
これはなかなかに大した決意で、私のようなヘタレではとてもできないことだが、しかし確かにここまでネット上で有名になると、快く思っていないだろう人たちも下手な手出しをできなくなるのは事実だ。
なにしろ、それをやったが最後、すぐにその内容をアップされてしまい、しかもそれが相当数の人の目に触れることになる。すると、やり方によっては手を出した方に対して批判が起きる可能性もある。
要するに「数は力」なわけで、しかもその数をこのブログ筆者はWebを舞台にして個人の力で集めてしまった。
このような事態は、Web以前の時代では考えられないことだ。
通常の感覚では、リストラをするのであれば、権力を行使する会社側が圧倒的に強く、その権力行使を受ける側にさしたる抵抗の手段はなかった(労働組合がきちんと機能していれば話は若干違うが)。
ま、もちろんこの人は退職に応じているので、その意味で会社と揉める要素はないだろうが、しかしリストラのドキュメントがリアルタイムでアップされるというのはやはり前代未聞のことである。

Webの発達は、それ以前の社会の常識や固定観念を覆し、ぶち壊しているわけだが、その影響力は労使関係のありよう、力関係もまた変えつつあるということを、この大化けしたブログは教えてくれているように思う。

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