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2010/03/28

きわめて私事の話

このブログでかつて書いたこともあるが、私の本職はとある媒体の広告営業である。
といってもキャリアは8年ほど。したがって、さほどキャリアがあるわけではない。
しかし、この8年というのは広告業界が劇的に変化した時期と軌を一にしており、その意味ではいい時代から厳しい時代へ、ビフォー・アフターを営業現場でリアルに体験することができた貴重な時でもあった。

すでに多くの方がご存じのごとく、既存メディアは生き残りを賭けた厳しい戦いに突入している。
そういう状況になると、どんな経営者でもまずやることは経費削減である。ま、これについては多くの既存メディアというのはずぶ濡れタオルのようなもので、絞れば相当な水が出る。かつての日産自動車がそうであったように、合理化余力は見方を変えれば含み資産でもあるわけだ。
しかし、一方でこれまたよく知られている通り、賃金には下方硬直性がある。
となると、、、
次に経営者が考えるのは退職者を募ることである。
ということで、私の所属する会社にもその波がやって来た。そして当然のごとく50歳を目前にした営業職の私はその対象者であった。

さてどうしたものか、、、

と悩んだ時間は実はそれほど長くはなく、意外に簡単に「辞める」という結論を導き出した。
といって次の就職先のアテは何もない。同じように対象者となった同僚からは、「次のアテはあるんですか?」と聞かれるが、私は胸を張って「な~んもないっ!」と答えている(爆笑)。

現在、私にあるのは広告営業の経験と、それ以前にやっていた仕事の経験、さらにそれに伴う少しばかりの人的ネットワークだけだ。
ということで、しばらくは私の知り得る限りの人たちに会いに行ってみようと思っている。
が、一方で、カネはほとんどないが時間はいくらでもできるので、なけなしの退職金のなかから、このブログをもう少し発展させるための機器を購入してみようとも思っている。
折しもついに鳩山由紀夫が記者会見をフリーランスにも開放した。
といっても、これにもいろいろと条件があるわけで、どこのゴロツキだかわからない人間がそうそう簡単に入ることはできないだろう。
だったら、どうやったら入れるのか、入れないのか。一応、チャレンジしてみて、その結果を当ブログで書いてみるのも面白いかもしれないと思っている。

また、今はまだ書けないが、フリーになったら書けるかもしれないことも少しならある。
実は頭の中には「こんなことをやってみたい」という具体的なイメージはあるのだが、果たしてそれがどれほどまでに実現可能性があるのか、あるいは実現したとしてもマネタイズすることができるのかはさっぱりわからない。
しかしまあ、そのすべてを自虐ネタのようにさらけ出すのも悪くはない。
半年後には野垂れ死にしているかもしれないし、どこかのコンビニか何かでとりあえず一時しのぎのアルバイトをしているかもしれない。
世は大不況の真っただ中、素っ裸で会社から放り出されたオッサンがどうなるのか? 興味があったら時々、当ブログをのぞいてみていただきたいと思う。

告白してしまえば、私は大変な怖がりである。
とくに怖いのが「死」なわけで、これについては子供の頃から相当に恐れおののいてきた(最初にその恐怖を刷り込んだのは、遠藤周作の「ぐうたら」シリーズの一編だったように思う)。
ところが、最近、「久米宏 ラジオなんですけど」のゲストコーナーに出演した女性の本を読んで、少しだけ気が楽になったのである(彼女以外にも、この番組に登場するさまざまなゲストの話を聴いていると、人間、意外になんとかなるものかもしれないと思ったりする)。
それはノンフィクション作家の中村安希さんの本で、その中にこう書かれていた(久米宏も紹介していた部分)。ちなみにこの本は、中村さんが26歳の時に日本を旅立ち、ユーラシアとアフリカの47カ国を2年間に渡って旅したドキュメントである。ちょっと長いが引用してみる。

******
 その言葉を聞いたのは、旅を始めて間もないモンゴルにいたときで、同じ宿には、カナダ国籍の世界中を旅した経験を持つ初老の男性が一緒だった。彼は私にこう言った。
「昔、ヒマラヤを通ったときにね、断崖絶壁の岩肌を切り崩してつくった、とても細い山道をバスで抜けたことがあった。ガードレールもなくて、バスのタイヤは道の端ぎりぎりにどうにか乗っかっている、いや引っかかっているような状態だった。そこへ対向車がやってきてね、信じられるかい? 僕の乗ったバスは後方へ向かって走り始めたんだ。車体はぐらぐら揺れてね、窓からは真下に向かって深い谷底が見えていたよ。同じ道はもう二度と通りたくないと思ったね」
 私は後に、それとよく似た道を最低でも三回は通過する予定になっていたが、だからといって、死ぬのなんてごめんだと思っていた。
「そのような難所を無事に抜けていくために、私は何をすべきでしょうか?」
 危険を回避し、死を逃れるための具体的な方策を、私は男性から聞き出そうとした。あらゆる情報の詳細を、戦略ノートのど真ん中に赤い太字のマーカーで箇条書きにして保管したい--そのような心境で言葉を待った。男性は首を横に振り、それから短く答えた。
「自分の中にフェイス(信念)を持つこと。自分は絶対に死なない、と、信じることぐらいかな」
 そのような抽象的な対策が、どれほどの助けになるかは不明だった。死なないと信じてみたところで、あるいはペンダントを首から下げても、バスは谷底へ転落し、心臓は動きを止めるかもしれない。この世界の物理的な法則に、フェイスが介入する余地はないのだ。
 しかし裏を返せば、科学的根拠を持った現象の、その圧倒的な正確さに対して、その経験を受け入れる人間の存在はあまりにも不正確な出来栄えと言えた。そしてその不整合を埋められるものがあるとしたら、フェイスを除いて他に思い当たらない。それは何かにすがることでも、救いを求めることでもなかった。ただ、現実と私の間に横たわる理不尽な溝に、小さなペンダントをあてがうことで、死へ向かおうとする思考の流れを食い止めておくことに成功したのだ。
 それでもバスが谷底へ落ちたら? 死んだだろう。しかしそれは生きることしか考えないまま、ある時ポロリと命を落っことす、そのような出来事となったはずだ。少なくとも、死ぬことばかり考えながら生き延びているのとは、遠く離れた対極の場所で。
******

twitterで私が「会社の早期退職に応募なう」とつぶやいたあと、何人かの方、それもまったく面識のない方から励ましやアドバイスのツイートやDMをいただきました。この場を借りて、そのみなさまに御礼申し上げます。
Googleが登場し、Appleが飛躍し、You Tubeが脚光を浴び、そしていままたtwitterやUSTREAMがどんどん世の中を変えていく中で自分が何をできるのか? とりあえず命を落っことす最後まで生きることを考えてみましょう。

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2010/03/26

新聞の記事訂正とは、どういうことを意味するの?

ここのところブログの更新が滞っていた。
これには若干の私的理由があるのだが、それについては近々、別のエントリーで書くことにしたい。

今日もしかし取り急ぎ、、、

もうすっかりメディアは過去のことにしてしまっているが、小沢一郎の秘書だった石川知裕衆議院議員の逮捕の際、手帳問題というのがあった(それについてのエントリーはこちら)。
しかしこれは誤報で、読売と日経は「記事と見出しの当該部分を取り消します」との訂正をひっそりとだが、翌日の新聞に掲載せざるを得なかった。

さて、新聞には縮刷版というのがある。ひと月分の新聞を縮小して一冊の冊子にまとめたものだが、その本年1月分を見ることができたので早速、どうなっているか確認してみた。
しかし、、、
縮刷版では何も訂正されていないし、取り消されていない。
ちなみにそれが↓。

Photo

まあ新聞社の慣例では、縮刷版の訂正というのはしないものなのかもしれないが、だったらいったい記事と見出しの取り消しというのはいつ、どういう形で行われるのか、是非教えていただきたいものである。

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2010/03/12

マスメディアこそが虚業だった

リクルート事件が発覚した当時、朝日新聞をはじめとするメディアはさかんに「濡れ手に粟」という言葉を使った。値上がりが確実な未公開株というのは、上場後に売れば確実に利益が出る。そういう株を場合によってはリクルートファイナンスの融資つきで配るということは必ず裏に何かある。具体的に言えば政治家や官僚にこの株を配った理由は、リクルートという新興企業がより有利に事業を展開できるように規制を緩和してもらうためだったのではないか、、、というわけだ。
そして、この「濡れ手に粟」という言葉とともに、メディアはリクルートに対して「虚業」、江副浩正に対して「虚業家」のイメージを植えつけることに力を注いでいた。
ま、たしかに広告業というのは虚業ではある。が、そういうなかでもリクルートというのは営業力でのし上がってきた会社で、むしろ実業に近かったと私は思う。それはこの会社が実業界に多くの人材を輩出してきたことが証明している。

そしてむしろ、、、
虚業だったのはマスメディアの方なのだと私は最近、思うようになった。
いまマスメディアはどこもかしこも苦境に陥っている。その最大の原因は、よく知られている通り広告収入が激しく落ち込んでいることにある。
では、マスメディアにとって広告収入とは何だったのか。
たとえば新聞。少し前まで、朝日新聞に15段(一面)の純広告を出すのなら3,000万円ぐらいはかかっただろう。もちろん原稿製作も広告主側の負担である。つまり新聞社側は広告主が持ち込んだ原稿を印刷するだけで莫大な広告収入を手にすることができた。これはもうアホのよーにボロい商売で、それを長年続けてきたわけだ。
もちろん広告主にしても、それだけの投資をするわけだからレスポンスがないと困るが、日本経済が右肩上がりの時代はそれで十分に元が取れただろうし、広告媒体も4マスを中心にきわめて選択肢が少なかった。したがって広告料金は媒体社側主導で、いま考えると非常に高く設定することができた。そしてこのとんでもなく利益率の高い広告収入がマスメディアの高コスト体質(=高賃金)の源泉となっていた。

ところがweb広告の登場によってこの構造が根本的に崩れてしまった。
競争原理のほとんど働かない寡占市場のなかで高止まりしていた4マスの広告料金は、突如、調整局面に入ってしまい、しかも需要と供給のバランス、いわゆる神の見えざる手によって、この右肩下がりのトレンドがどこまで導かれていくのか見当もつかない。
それもそのはずで、なにしろwebは広告の効果を広告主にはっりきと見せてくれる上に、消費者がどんな行動をとるのか、どういう層なのか、、、などなどを細かくトラッキングしたデータまで出てくる。一方、もちろん既存メディアの広告ではそんなデータを出すことはできない。
つまり、webの登場によって広告ビジネスは虚業から実業へと質的変化を遂げてしまったのであって、言葉を変えれば「マスメディア広告」という虚業の化けの皮が剥がれてしまったのである。
なんのことはない。リクルートに虚業というレッテルを貼りつけたマスメディアこそがとびきりの虚業だったことが明らかになってしまったのだ。
ま、こんなことを書けば、「ふざけるな。われわれは権力を監視するジャーナリズムとして世の中になくてはならない存在だ」と激怒する記者がたくさんいるだろう。だが、実際には彼らは記者クラブという談合組織の中で権力と癒着する発表ジャーナリズムに堕し、この部分でも読者や視聴者に対して大ウソを撒き散らかしてきた。しかしそのウソもブログやツイッターの普及によって暴かれはじめている。
要するにマスメディアという虚業モデルは、もはやあらゆる面で信用が崩壊してしまっているのであって、となればその行きつく先は消滅しかない。それは必然的帰結である。

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2010/03/06

「検察の真相」~田原総一朗・高野孟

以下は「田原総一朗のタブにーに挑戦」へのリンク。
高野孟と郵便不正事件について語っています。

・検察の真相

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2010/03/05

あえて記者クラブ存続論

iPhoneでもっとも使用頻度の高いBylineというアプリ(Google Readerと同期し、地下鉄内で3Gが切れた時にもキャッシュで読み込んだ部分は閲覧できる)が、数日前、アップデートしてからほぼ使用不能になった。とにか頻繁に落ちるのである。現在、修正版はAppに申請中らしいが、iPhoneで登録ブログを読むというのが移動する電車内での習慣になってしまったので、これは痛い。
そこで別のアプリを探してみたところRSS flash gというアプリがあった。無料版と有料版があるが、後者を選択。Bylineに慣れてしまったのでビミョーな使い勝手に違和感があるが悪くない。フォントが大きいし(老眼にとって、ココ重要)、何より面白かったブログをこのアプリからtwitterに流したりはてぶに登録したりすることができるのが便利だ。

さて、、、
そうやってブログを読んでいると、ますますもってマスメディアに流れる情報とネットで流れる情報の乖離が大きくなっていることを実感する。
その一つが郵便不正事件という名の捏造事件
これはtwitterを見ていると、公判を傍聴している竹中ナミ氏(@nami_takenaka)や江川紹子(@amneris84)のつぶやきがどんどん流れてくる。しかもその内容が「検察側主張総崩れ」。
ところが、小沢一郎の秘書についてはあれだけ大々的に報道していたマスメディアは、終始、「書かないわけにはいかないが、できるだけひっそりと」という態度を貫いている。
昨日はこの「事件」で「疑惑」の対象とされた民主党の石井一が弁護側証人として出廷して証言をしたが、ここでも検察は見るも無惨な醜態を晒している。私の感覚では「これぞニュース!」だが、マスメディアは相変わらず「ひっそり」と流すだけ。
一方、ネットでは竹中、江川のつぶやきをまとめた↓のようなエントリーが早速、アップされている。

・トニー四角の穴を掘って叫ブログ
郵政不正事件裁判で大阪地検が大阪らしい大ボケをかます

ところがこれを産経が報じると↓のようになる(^_^;)。

【郵便不正】詳報 石井議員、口利き「全くない」意表突かれる場面も

もう笑うしかないが、さらに江川紹子はこんなつぶやきも。

要するに検察とメディアが一緒になってブクブク沈没しているわけで、こうなってくると私はもう元凶と言われる記者クラブのオープン化問題なんてどうでもいいんじゃないかと思い始めた。むしろ、記者クラブを放置して晒しておいた方が問題点が浮き彫りになっていいのではないか、と。なのでtwitterでもこんなことをつぶやいた

ところがところが、、、
なんと金融庁では記者クラブの方がギブアップしてしまったという。
金融庁では亀井静香がフリーの記者のための第二会見を開いている。それについては私も以前にこんなエントリーを書いたが、この第二会見での亀井の発言が面白く、しかも「これはあんたたちにだけ話すんだけどね」とやるためニュースバリューが出てきてしまった。これには記者クラブ側がたまらなくなって「一緒に会見をやってほしい」と申し入れたのだそうだ(爆笑)。

・田中龍作ジャーナル
記者クラブついにギブアップ! 亀井大臣の「アンタたちだけに話す」戦術

このエントリーを読むと亀井静香は大した策士だが、上記のブログ主は「筆者は今のまま別々に記者会見してくれた方がいいと思っている」と書いている。
そして同様の意見はこちらにも↓。

・憂き世の日々に埋もれて、たまには温泉へ
亀井静香金融担当大臣の会見が16日から甘えの構造の記者クラブのクズ記者どもとフリー記者合同の会見になるらしい、残念なことだ

私も合同会見は非常に残念なことだと思いますね。なにせ「うまくいっているものはいじらない」というのは組織の鉄則である。なのによりによって全体のレベルを下げる連中を入れる必要はない。むしろ、既存のマスゴミは記者クラブに隔離しておいて、すべての省庁が多少手間でも金融庁と同様に第二会見をやればいい。
もちろん、なかには「司法クラブ加盟の記者以外とは絶対に会見しない」などと駄々をこねるところもあるだろうが、そういう組織は所詮、記者クラブと一緒に沈んでいくだけのことである。

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2010/03/02

正論

気になる文章があったので、それを入力して保存したまま忘れていたファイルがあった(年齢を重ねるとこーゆーことはよくあるのです)。
で、まあこの引用文をもとにどのように書こうとしていたのかも忘れてしまったので(爆笑)、クイズということでまずは下記の文章をお読みください。

******
 結果的には起訴猶予でも確実な根拠があって捜査の対象になったり、本人は無傷でも直接関係者が起訴されたりした場合には、一定の責任を問われることはありうる。不法とはいえないが明白に不当な行為が証拠によって指摘された場合も、これに準ずるかもしれない。
 しかし最大限ここまでである。疑いをかけられただけでも不徳のいたすところだという人も、指導者としての責任をとる人もいるだろうが、それは本人が決めることであって、他から強制すべきではない。ましてなんの具体的な証拠もないのに、憶測や予断や偏見や政治的打算に基づいて、政治的、道義的責任を問うという美名のもとに個人攻撃を加えるのは、明らかな政治的リンチであって、法が支配する社会で許される行為ではない。
******

いかがだろうか。ちなみに私はなんとも真っ当な認識だと思った(だから入力しておいた)。
そこで問題。この文章を書いた人は誰でしょう?

(しばしの行間)


答え 俵孝太郎。

実はこの文章は「リクルート事件・江副浩正の真実」のなかで引用されているもので、以下はこう続く。

******
 リクルート事件の捜査終結が迫るにつれて、“巨悪”を逃すなとか、検察は弱腰だとか、こんどは政治責任の追及だとかいう声が出ている。言語道断である。検察と言う専門家集団が半年かけて調べたうえで、法と証拠に基づいてクロの疑いをかけ得なかったものを政治宣伝でクロにもっていこうというのは、黒髪をハゲと呼ぶような暴挙である。汚職や腐敗と同等の法秩序の破壊行為である。
******

ということで、これはリクルート事件真っ盛りの最中の平成元年五月二四日に読売新聞の「論点」に掲載されたものだそうだ。

念のため、俵孝太郎についてはこちらをどうぞ。

私は俵孝太郎というこの産経系言論人は一貫して嫌いで、むしろ最近、巷でその壊れぶりが話題になっている「知の巨人」の書くものを好んで読むタイプだったのだが、今改めて思うのは(これは蓮池透氏の時と同様なのだが)、自分の思い込みで事前にレッテル貼りをしたり予断を持ったりするのではなく、冷静に一つ一つの文章を読む力をつけていかなければいけないナということだ。

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マスメディア最後の砦、テレビの終わりとUSTREAMワンダーランド

私は地上波のテレビというのはスポーツ中継以外あまり見ない。とはいってもオリンピックにもそれほど興味があるわけではないので、今回のバンクーバー大会にしても真剣に見たのは女子のフィギュアだけであった(これはさすがに面白かった)。
そんななか、2月の終わりは金曜日の晩、そして日曜日の昼、夜とUSTREAMに釘付けになってしまった。

その最初は2月26日に文京区民センターで行われた「『小沢vs.検察』に見る検察と報道のあり方」というシンポジウムの生中継。出席者は元大阪高検公安部長の三井環、鈴木宗男、安田好弘という不当逮捕経験者の濃ゆい3人に加えて上杉隆、青木理、元木昌彦といったジャーナリストの面々(鈴木宗男は途中退席)。
司会の篠田博之(「創」編集長)の仕切りがイマイチだったが、三井環による「検察は裏金作りを表沙汰にしないために後藤田正晴を通じて時の小泉内閣に泣きついて借りを作ってしまった。これが最近の国策捜査の原点である」という指摘(三井はこれを「けもの道」と呼んでいる)、そして安田好弘による「事件を捏造する特捜部は解体すべきだ」との指摘はマスメディアではほとんど取り上げられない主張なだけに重みがあった。
しかも視聴者はtwitterでこの議論に参加することができ、タイムラインは相当なスピードで流れていた。

その次は28日の日曜日。
東京マラソンに出場する友人が、iPhoneで位置情報を知らせたりtwitterでつぶやいたりすると予告していたので、朝からタイムラインを眺めていたら、USTREAMで走りながらiPhoneを使って実況をしている外人さんがいるというtweetが流れてきた。そこで早速、この中継を見てみると、これがまあ面白いのである。
基本的にはジョセフさんというランナーの顔が映っているのだが、時々、周りの景色が映ることもある。ジョセフさんは英語と日本語で喋りながら走る。

走りながらUstream配信 東京マラソンに“実況ランナー”

iPhoneでの中継だから画質がいいわけではない。しかもフレームは走っているからカクカクと動く。ところが沿道の声援などとも相まって妙に臨場感がある。GPSによって走っている位置がリアルタイムにマップ上に示されるのも興味深い。
で、このジョセフさん、頭にうさぎの耳をつけ走っており、突然「うさぎパワー」と叫んだりする。するとtwitterに「うさぎパワー(w」というようなコメントがどどーっと流れるのである。
ものは試しにジョセフさんが沿道の人の声援に応えたり、一緒に走っている人と話したり、自分に叱咤激励している映像と日本テレビの東京マラソン中継の映像をパソコン上で並べてみた。すると日テレの映像はもちろんキレイで女子アナが走っていたりするのだが、その内容たるや面白くもなんともない、、、というか、なんともやらせくさい。
一方、ジョセフさんの方は前述のように一貫してカクカク映像だが、太陽の塔の着ぐるみランナーが走っているのがチラチラ映ったりすると、もう気になってしようがない。当然、タイムラインは「なんだあの着ぐるみは?」と盛り上がる。
そうこうしているうちにゴールが近づき、結局、私はこの中継を最後まで見てしまった。もともと東京マラソンなんてほとんど興味なんてなかったのに、、、(ちなみに友人は15キロでタイムオーバーになるという体たらく)。

さらにこの日の夜は、以前に書いたケツダンポトフのそらのさん企画による「第一回 朝までダダ漏れ討論会」(略して『朝ダダ』)の生中継があり、私はこの第1部も見てしまった。
コンセプトは「共有から、参加へ」、討論テーマは「どうなるこれからのジャーナリズム!」。
討論内容自体は、出場者の発言がそれぞれ予想の範囲内であったため全体に目新しさはなかったが、しかしやはりtwitterで視聴者がどんどん感想を言えること、そして編集という作為がまったく入らないライブ中継で、途中にCMが入るわけでもないので見応えは十分にあった。

と以上、3つのUSTREAMの生中継を見てつくづく思ったのは、いまテレビ局や家電メーカーが必死になってやっている画質などの向上をいくら進めても、コンテンツ自体に魅力がなければ話にならないということだ。
逆にいえば、視聴者としては自分の興味あるコンテンツを見られるのであれば、少なからず画質が悪かろうが音声が途切れようがさしたる問題ではない。
そうして、そのぐらいのレベルのライブ中継であれば、もはや誰もが極めてローコストで行うことができるのであって、つまり参入障壁は事実上ない。しかも画質や音声等のクオリティは、機材や通信インフラの品質向上とともに今後、飛躍的に進歩するだろう(現在のiPhoneより、もう少しクオリティの高いライブ中継用カメラの登場を私は待ち望んでいるが、それは遠からず製品化されると思う)。
となると、ありとあらゆるコンテンツがライブ中継の対象となる。自分の子どものサッカーや野球の試合からピアノの発表会、あるいはお年寄りのゲートボールだってなんだって生中継ができる。
もちろん突き詰めれば、さまざまな権利問題が発生するだろうが、いまその議論を脇に置けば、たとえ数十人、いや数人でも見たい人がいるコンテンツを中継することは可能である。つまりネットによるライブ中継は、既存メディアによる視聴率至上主義とは真逆の、少数だが膨大な(それこそ天文学的な)数の視聴ニーズ(=ロングテール需要)を掘り起こすことを可能にしたわけだ。
それがうまくマネタイズできるかどうかはわからない。しかし、孫正義はUSTREAMへの投資の理由に広告モデルの可能性をあげている。そして、ここ最近の広告のトレンドを見れば、その可能性は十分すぎるほどある。
また、たとえ少数のニーズしかないコンテンツであっても、それを見たい人が「少々のカネなら出してもいい」と思えば有料課金できるケースも出てくるだろう。
と、こうして見ると、webによるライブ中継はまさに宝の山の出現である。
だが、視聴率を最重視することで莫大な広告収入を得、それによって高コスト体質を克服するというモデルを構築してしまったマスメディアは、この宝の山に手を出すことはできない(NHKの場合は受信料収入であるが、これも動画の視聴形態が変わっていけば、減ることはあっても増えることはないだろう)。
一方、視聴者はこれまでテレビ以外に選択肢がなかったからこれを視聴していたに過ぎず、個々の興味を満たすコンテンツがweb上に登場すれば、どんどんそちらへ流れていくだろう。
もちろん現状ではUSTREAMを視聴している人の数は、マスメディアから見ればおよそコンペチターと呼ぶにはふさわしくないほど少数だ。しかし、これはほんの十年ほど前、インターネットに接する人が現在と比べればごく少数であったのと同様で、短期間に爆発的に増える可能性がある。
しかもライブ中継というのは、マスメディアの常套手段である編集による情報操作(VTR放送)と真っ向から対立するものなので、そのギャップを感じ取った視聴者のメディアリテラシーを上げる可能性が高い。すると、ますますテレビ離れが起きるはずで、そうなると視聴率=広告収入という図式は完全に崩壊する。
ま、そんなことはYou Tubeが登場した時にも(あるいはそれ以前からも)言われていたことではあるが、USTREAMがブレークすることで、そのスピードがさらに加速するのではないかと思った週末だった。

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