« 2010年1月 | トップページ | 2010年3月 »

2010/02/23

鳩山政権 ~ ヨタヨタなのか?したたかなのか?

長崎県知事選と町田市長選で与党候補が負けたことで旧与党の連中やメディアが騒いでいる。
鳩山由紀夫と小沢一郎の政治資金問題、いわゆる「政治とカネ」の問題に国民はウンザリしているのであって、自民党時代と何も変わらない古い体質の小沢一郎が幹事長を辞めないと夏の参議院選挙で与党は負けるのだそうだ、、、

昨年3月の西松事件における大久保秘書逮捕以降の狂ったような小沢バッシングも、さすがに政権交代が実現したら終わるのかと思っていたらさにあらず。引き続き政治資金規正法の虚偽記載騒動が勃発。しかしこれも石川議員の不当逮捕までで終了。あれだけ大騒ぎしたにもかかわらず(検察用語では「風を吹かす」というそうだ)小沢を起訴することはできなかった。さすがにここまでくれば少しはマスゴミも静かになるのかと思っていたら、「まだ検察審査会がある」などと騒いだ挙句、怪しげな世論調査をやっては小沢や鳩山政権に対して凄まじいバッシングを繰り返している。結果、長崎と町田で与党候補が負けたというわけだ。
これに喜んだ自民とメディアは、これから参議院選挙までの間、やれ「政治とカネ」だ、「小沢の進退問題だ」とますますもって騒ぎに騒ぎ、煽りに煽るだろう。なにしろ衆議院でどんなに議席を持っていても、参議院が逆転していたら政権運営がうまくいかないのは自民政権末期が証明しているのだから。
その光景は今以上に異様なものになるだろうが、しかし一方で鳩山政権が青息吐息のヨタヨタ状態に見えるのも事実である。実際、政権を支持する側の人たちからも「もう少しなんとかならないのか」「いい加減、ズバッと反撃してほしい」といった声は少なからずある。

しかし、こんな状況になったからこそ見えてきた事実もある。
その最たるものが「最強の捜査機関」といわれた検察組織の「最狂」ぶりだと思う。
実は私は10代から20代前半にかけて立花隆の書いたものをわりと熱心に読んでいたため、東京地検特捜部というのは腐敗した政界に切り込んで正義を実現する唯一の機関だと思い込んでいた。今となっては恥ずかしいことだが、リクルート事件が起きた時も「やっぱり検察はやる時はやるナ」なんて思ったものである。
ところがこれがとてつもない大間違いだった。
大久保秘書や石川議員への不当捜査と逮捕、時を同じくして検察のデタラメぶりが法廷で次々と明らかになるという驚愕の展開を見せている厚生省のいわゆる「郵便不正事件」、さかのぼれば福島県の佐藤栄佐久元知事の事件や鈴木宗男、佐藤優の事件、そしてリクルート事件、、、これらの事件に共通するのは、「捜査」の過程で検察が都合のいいストーリーを捏造し、それに沿って被疑者や関係者の人権などをまったく無視した取り調べをして調書を取ろうとしていたことだ。
「関係者に自殺者が出る事件は筋がいい」と放言し、呆れるほどのデタラメ捜査とでっち上げストーリーで狙った人物を社会的に抹殺しようとする検察の思想と行動は、まさに霞ヶ関という独裁体制内の特務機関そのものである。そしてこの特務機関の活動を正当化するためのプロパガンダという重要な役割を担っているのがメディア=マスゴミだ。
と、そう考えれば、特捜部OBの連中がメディアに露出して、ひたすら検察擁護を繰り返すのも(中には「自分は証拠を見たわけではないが、小沢は99.9%有罪」とのたまったヤメ検もいたという)、新聞やテレビの記者が検察の見立てを垂れ流すのもすべて理解できる。
そしてこの構図は政権交代がなければ、ここまで白日の下に晒されることはなかったはずだ。したがって、私はこれだけでも十分に政権交代をした甲斐があったと思う。

作家の小林信彦は先週発売の週刊文春のコラムの中でこんなことを書いている(一部抜粋)。

******
 そして、マスコミやら<評論家>は、小沢不支持が七十パーセントもある、とはしゃいでいますが、短期間に、あれほどの<検察からの一方的リーク情報>を流されたら、どんな人だって(福山雅治氏だって)人気がガタ落ちします。
 かりにA氏としますが、A氏について悪意のある情報を連日たれ流し、その上でA氏を支持するか、と大衆に訊けば、「支持しない」と答えるに決っている。その結果をいかにも嬉しそうに発表するテレビや新聞は、いったい、なにをやって、誰の味方でしょうか?

 まあ権力(霞が関とも表現されますが)とマスメディアが密着して、世論調査を実行すれば、こうなるに決まってます。彼らはそれほど、A氏がこわいのです。
 では、民主党はどうか?
 ここは官房長官がアホみたいですし、JAL問題その他で愚行をつづける前原国交相がいたりして、失敗つづきですが、二月八日のテレビ朝日の番組で、なかにし礼さん(一九三八年生れの引揚者)が言ったように<やわらかく見守る>より仕方がないでしょう。五五年体制で、文字通り五十余年にわたって日本の国をムチャクチャにしてきた自民党の暴挙を百日で片づけろというのは無理です。なかにし礼さんは自民党の行動をじっと見てきたはずだから、こういう言葉を冷静に吐ける。つまり、<戦争をくぐり抜けてきた世代の少年>なのです。
 この世代をバカにしない方がいい。
 外見は柔らかいことをやっているように見えても、権利意九社の動きには、とても敏感ですから。なぜなら、そういうふうに<風向き>を感じとっていないと、生きてこられなかったからです。
******

私もこのコラム同様、民主党政権は当面、「やわらかく見守る」しかないと思う。
ただ、官房長官や国交相がアホなのは事実だが、鳩山・小沢コンビは案外したたかなのではないだろうか。
オセロというゲームは中盤でどれだけ有利を築いても、最後にペチョンと石を置かれるとゴロッと色が引っ繰り返ってしまうことがある。これは囲碁にしても同様だろう。
その囲碁の高段者である小沢一郎と、「偏微分を駆使した微分方程式で政局を見ている」(佐藤優)という鳩山由紀夫は、ヨタヨタしているふりをして相手の攻撃を受けながらも、どこかで現在の状況を一挙に引っ繰り返す一手を繰り出すタイミングを計っているのではないかと私はひそかに期待しているのだが、これは希望的観測に過ぎるだろうか。


| | コメント (4) | トラックバック (30)

2010/02/18

「インビクタス/負けざる者たち」を見て、サッカー日本代表のことを考えた

先日の日曜日に息子と一緒に近所のシネコンで「インビクタス/負けざる者たち」を観た。
私は一応ラグビーファンなので、1995年のラグビーワールドカップ南アフリカ大会での日本代表の試合はテレビ観戦していたし、この映画のハイライトとなる決勝の南アフリカ(スプリングボクス)対ニュージーランド(オールブラックス)戦も観ていた。
といっても単純に観戦していたに過ぎず、ネルソン・マンデラについても今日まで上辺の知識しかなかった。
したがって、27年間にわたって政治犯として投獄され、1994年に南ア史上初の黒人大統領に就任したマンデラが、翌年開催されるラグビーワールドカップを白人と黒人の融和のまたとないチャンスとみて、これに賭けていたことは知らなかった。
それにしてもこの映画で描かれているマンデラの胆力、眼力、そして自分を迫害した続けた白人を赦す奥深い人間性(そんな言葉でも足りないが)を見ていると、一国の指導者、あるいはトップが持つべき資質とは何かを考えずにはいられなかった。
そして、エンドロールで実際のマンデラがスプリングボクスのジャージを着て競技場で大観衆に向かって笑いながら手を振っている当時の写真が映ると、このシーンをリアルタイムで見ていたことを思い出して胸が熱くなった。

さて、同じ日の晩はサッカーの東アジア選手権の日韓戦があった。結果はご存じの通りで日本惨敗。
私はかねてより日本代表監督は代えた方がいいと思っていたのだが、この試合を見てますますその思いは強まった。
何しろゴールへの道筋が見えない。もちろん選手たちはオフ明けにも関わらず一生懸命に体を動かしているのだろうが、何か漫然とやっているように見える。しかも一方では狭いところでのパス交換という戦術(?)に拘泥している。
こんな様子を見ていたら、私は1995年のラグビー日本代表を思い出した。

「インビクタス」の中で本筋とは別の部分で私には印象的なシーンがあった。それはマンデラがロムー(当時の世界最高選手)を擁するオールブラックスがいかに強いかをクルマの中で聞いているシーンだ。この大会のオールブラックスの予選の戦績を聞くマンデラ。
「アイルランド戦は43-19、ウェールズ戦は34-9、日本戦は145-17、、、」
するとマンデラはビックリして「145点?」と聞き返す。
そう、この試合こそが日本のラグビー関係者やファンを長く悩ますトラウマとなった大惨敗試合なのである。
もちろん私もテレビで観ていたし、今でもこの試合を録画したビデオは所持している(再生したことはないが)。
今、思い出してみると、この試合をなんと形容すればいいのだろうか、、、とにかく正視に堪えられなかった。
ワールドカップという最高の舞台、全力で来る世界一の相手に対し、すでに予選敗退が決まった日本は何もできず80分間、ほとんど攻められ続けた。
当時はまだインターネットではなくパソコン通信の時代だったが、ラグビー関連の会議室(掲示板のようなもの)で、「恥ずかしい」と書き込んだ人がいて、それがきっかけとなってずいぶんと議論になった記憶がある。
その後、何人かのラグビージャーナリストがこの大会について書いた文章が発表されたが、それによってチーム内部に深刻な対立があったことや士気の低い選手が少なからずいたこと、そして何よりもまったく無能だった監督の存在が明らかになった(実は監督の無能さはそれ以前からわかっていたのだが、ここまでひどいとは思っていなかった)。
つまりこの145失点は単に絶望的な実力差の結果だったのではなく、多分に“人災”の要素が含まれていたのである。
私は大変に弱いラグビーチームを応援しているからよくわかるのだが、いくら強い相手と試合をしても145点も取られるというのは、それはそれで大変である。たとえば大学の1部のトップチームと2部リーグの弱いチームが戦っても100点差はつくだろうが、それ以上の差はなかなかつくものではない。
ところがそれだけの得点差が国同士のテストマッチで、ましてワールドカップという舞台でついてしまったのである。

サッカーに話を戻すと、私は今の日本代表を見ていると、南アフリカの地で行われるワールドカップにおいて、歴史的惨敗という悲劇が再び起きるのでははないかと不安になる。
岡田監督はワールドカップにおいてベスト4を目指すという。個人的にはなんとも荒唐無稽な目標だと思うが、監督自身がそういう目標設定をすることは悪いことではない。
しかし、いったん口にした限りは、それを少なくとも選手に信じ込ませなければならない。そのためには単なる戦術立案や選手起用にとどまらず、ミーティングなどでの言葉の力が必要だろう。どんなに難しい目標であっても、選手が「この人についていけば、実現するかもしれない」と思えば組織は変わる。
ところがいまの日本代表には、選手が監督の言っていることを信じているフシが感じられない。しかも監督は監督で選手に対して「そんなことではベスト4にはなれないぞっ!」などとやっているらしい。そんなことでは、とてもではないがいい結果は出るとは思えない。

ラグビー日本代表が145失点した試合は、実はオールブラックスはレギュラーメンバーではなかった。したがってロムーも出場していない。予選突破を決めていたオールブラックスは、控え選手を中心のメンバーを組んだのだが、彼らは決勝トーナメントでの試合出場を目指してアピールをするために非常に士気が高かったという。一方の日本は予選敗退が決まっており、何の目標もないなかで世界一の強豪を相手にし、しかもレギュラーの何人かは出場をしなかった。監督は「大惨敗しなければいい」ぐらいのことしか考えていなかったという。

日本のサッカー関係者やファンは、今こそラグビー日本代表がなぜ南アで大惨敗したかを研究した方がいいと思う。


| | コメント (4) | トラックバック (1)

2010/02/17

西松事件の訴因変更こそ大事件ではないのか?

ここのところ真っ当にブログを更新していない。
ま、風邪をひいてしまったこともあるのだが、自分のRSSリーダーに登録してあるブログを読んでいると、自分が書きたいことはすでに多くのみなさんが先に書かれていて、それ以上に付け足すことなど何もないのである。
基本的に怠惰な私はこのスピードになかなかついていけない、、、

なので、これもすでに多くの方が書かれているし、当ブログでも2月1日のエントリーで触れたことではあるのだが、どうしても気になるので、もう一度書いておく。
それは西松事件における大久保秘書の訴訟の行方だ。
ネット上ではすでに有名な話だが、この裁判では今年1月13日に行われた第2回公判で検察側の証人として出廷した西松建設の元取締役が検察側の描いた構図を覆す証言をした。そのため公判の成り行き、具体的に言えば大久保秘書は無罪の可能性があるのではないかと注目されていた。そしてこの裁判の第3回目の公判は来週26日に行われて、ここで結審する予定だった。
ところが、東京地検は石川知裕議員を逮捕した際に大久保秘書も再び逮捕し、それとともに西松公判については訴因変更を請求するという報道が流れた。これが認められれば26日の公判は行われないわけで、裁判は長期化する。つまり窮地に陥った東京地検がこの裁判の方向性を無理やり変えて、裁判の引き伸ばしを謀ったわけだ。
これは私の感覚ではとてつもない大ニュース、出来事だと思う。
なにしろ、この西松事件のおかげで次期総理大臣が確実視されていた小沢一郎は、民主党代表の座を降りなければならなかった。
当時、メディアはこぞって小沢一郎の代表辞任論を煽りに煽り、小沢関連の記事を書くときには必ずその名前の前に「西松建設の違法献金事件(あるいは巨額献金事件)に関わった」などというフレーズを付け足した。そして大手新聞社の編集委員などと称する連中は「小沢一郎の政治的、同義的責任」を自民党の連中と一緒になってまくしたてる一方で、自社でせっせと行った「世論調査」とやらの結果を振りかざして「小沢の代表辞任は世論だ」とわめきたわけである。
その「西松建設の違法献金事件」に無罪(=特捜部のでっち上げ)の可能性があるのだとしたら、まず何よりもしなければいけないことは、当時の東京地検特捜部の捜査とメディアの報道に関する徹底検証だろう。
はっきりいって、いま大騒ぎをしている石川議員の問題など二の次、ましてまたぞろ検察が持ち出してきた北海道の民主党衆議院議員の問題など三の次以下の話でしかない。
にもかかわらず、このことにはまったく触れないで、その二の次、三の次以下の話で大騒ぎするメディアというのは壊れているとしかいいようがない、、、と思うのだが、そういう意見が極めて少数である現実を見ると、ひょっとして常識が壊れているのは自分の方なのかもしれないと思う今日この頃なのである。

| | コメント (3) | トラックバック (2)

2010/02/16

田中良紹~「世論調査を信ずるバカ」

昨日の夕方、テレビのある場所の前を通ったら、岸井某が世論調査の結果を示しながら、「このまま鳩山内閣の不支持率が増えれば危険水域」というようなことを得々と語っていたが、、、

・田中良紹の「国会探検」
******
 本物の世論調査会社が存在する国では新聞とテレビもいい加減な調査は出来ない。しかしこの国ではいい加減な調査を発表しても誰もとがめる者がない。それをいい事に「もどき」が蔓延する。昨年、私が「『世論が大事』というデタラメ」を書いた後で、日本記者クラブが「世論調査」をテーマに研究会を行なった。新聞社の世論調査担当者が「新聞社の世論調査で分かるのはトレンドだけ」と言った。世論調査に正確な世論は反映されないと認識している。

 昔は新聞社もテレビ局も1回に1500万円程度の予算をかけて調査をしたが、今では150万円程度の予算で下請けにやらせていると言う。十分な予算があれば年齢、性別、職業別、地域別など対象に偏りがない調査を行なう事は可能である。しかし現在の方法はRDDと言って、コンピューターで電話番号を抽出させるやり方である。これだと固定電話にしかかけられない。固定電話に出てくる対象が果たして偏りのない国民と言えるのか、はなはだ疑問である。
******

詳細は↓
世論調査を信ずるバカ

| | コメント (1) | トラックバック (2)

2010/02/12

田中良紹 ~ 「政治家の面の皮」

まずは昨日のtwitter上での岩上安身のつぶやき

******
@iwakamiyasumi: TBSの夕方のニュース、視聴率が最低レベルを記録中ですが、今たまたま見ていたら、岸井さんがめちゃくちゃなコメント。政治資金規制法違反は形式犯じゃない、ものすごく悪質だ、何かを隠している、議員辞職は当然だとか。呆れる。推定無罪という言葉は、TBSでは死んだという理解でよろしいか?。
******

自分に対する批判はすべて完全スルーして、ひたすらデタラメを撒き散らかすデマゴーグである岸井成格についてはもはや何も言うことはないが、以下の田中良紹の指摘は政治家のみならず、御用ジャーナリストにも向けられたものだと思う。

・田中良紹の「国会探検」
******
 陰謀と謀略に満ちた国際政治に立ち向かう政治家の面の皮は厚く出来ていないと困るのだが、今回の東京地検による目茶苦茶な現職議員逮捕を批判するどころか、「政治資金規正法違反は重大だ」とか「政治的道義的責任を厳しく問え」とか発言している政治家を見ると、別の意味で面の皮の厚さに驚かされる。

 今回のような捜査が許されるなら、政治資金規正法違反、公職選挙法違反、所得税法違反に問われない政治家はいない。問われないのは検察のターゲットになっていないだけの話である。検察がその気になればいつでも摘発できる。日本の法律はそのように出来ている。だから面の皮の厚い政治家は自分が摘発されないように、民主主義の原理に背を向けて検察権力の側に立つ。こういう政治家が民主主義を破壊する。

 前にも書いたが、「立法者になるためにはまず法を破らなければならない」のが「永田町の真実」である。公職選挙法を厳守したら選挙に当選できない。それほどに公職選挙法は不自由に出来ている。だから「厳守」する者はいない。「概ね」守っているにすぎない。しかし警察がその気になって徹底的に叩けばどこかにホコリは出る。目を付けられたら逃げられない。それを起訴するかどうかの「裁量」は検察が握っている。だから検察にゴマをする政治家が出てくる。

 政治資金規正法も改正に次ぐ改正で厳守するのは難しい。「○○議員が政治資金収支報告書を訂正した」というニュースを時々目にするが、それは誰かに違反の事実を指摘されたのである。悪意ではなく政治資金規正法を犯している政治家はいくらでもいる。しかしそれを事件にするかどうかを決めるのも検察の「裁量」である。同じ事が「セーフ」になったり「アウト」になったりする。だから政治家は検察に刃向かえない。
******
つづきはこちら↓
政治家の面の皮

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2010/02/07

壁は崩れ始めた(2)

それにしても今朝(2月7日)のTBS「サンデーモーニング」の世論誘導はひどいものであった(といっても途中まで見ただけだが)。あわせてtwitterのTLを見ていたら、フジテレビもひどいものだったらしい。
TBSでは相変わらず岸井某が何食わぬ顔で「各社が一斉に世論調査をやっているが、小沢に非常に厳しい」などと喋っている。自分たちでさんざんデタラメを煽っておいて、「ほらっ、こんな世論調査が出ています」と言うのだから、そのタチの悪さは尋常ではない。しかし、メディアによってはまったく違う結果も出るのである(これは後述)。

さて、そこで昨日の続きを書く(少しだけのつもりが長くなってしまった)。

twitterとともに、今回もう一つ印象的だったのはUSTREAMである。
佐藤優や魚住昭らによって行われた「『新撰組』化する警察&検察&官僚がニッポンを滅ぼす!」と題されたシンポジウム、あるいは2月4日の夕方に行われた郷原信郎による記者会見の生中継は、twitterと組み合わせることにより新しいメディアとしての可能性をいかんなく発揮した。
もはや動画による生中継はテレビ局の独占でもなければ専売特許でもない、誰もがきわめてローコストで行うことができる。つまりWebの力によって参入障壁がなくなってしまった。
しかも生中継というのは編集が入る余地がない。すると、これまでいかにメディアが編集によって情報操作をしてきたかが誰の目にもわかるようになった。

話はそれてしまうが、私はラグビーが好きである。なかでも大学ラグビーを追いかけているのだが、メジャーな大学ではないので、少し前までは生観戦をする以外にその結果をすぐに知ることは難しかった。
ところが、そのうちネット上で知り合った仲間が、試合結果を携帯で知らせてくれるようになった。さらにはネット上の掲示板などでスコアが動くごとに知らせてくれる人が現れ始める。
また試合終了後に観戦レポートを書いて、ついでにデジカメで撮影した画像を送ってくれる人まで出てきた(自分も観戦すれば同じようなことをする)。さらにさらに動画を撮影してくれる人も出てきて、そのファイルを送ってくれたり、あるいはYouTubeにアップロードしてくれる人まで現れた。
ところがUSTRAMは生中継をすることができる。私が見たいラグビーなんぞは世の中のほとんどの人が見たいとは思わないものだが、しかし数十人、あるいは数百人の単位なら見たい人がいるかもしれない。いわゆるロングテールのニーズなわけだが、そこへ向けてコンテンツを提供することが可能になったわけである。
十年ぐらい前(もっと前?)だろうか、これからのテレビは多チャンネル化へと向かい、また双方向になるといった話をよく聞いたものだった。確かにBSやCSの登場によって多チャンネル化は進み、また双方向性も備え始めた。だが、USTREAMとtwitterの組み合わせは、莫大な設備投資をすることなしに、いとも簡単に多チャンネルと双方向を実現してしまった。
とるなると、これは既存メディアの巨人であるテレビ放送のビジネスモデルをぶち壊す可能性が高い。
自社の決算発表会をUSTREAMとtwitterで中継したソフトバンクはの孫正義は、その席でUSTREAMへの出資も合わせて発表したが、おそらく孫はそこまで見据えているのだろう。

話を戻すと、今回の一連の小沢騒動の中で興味深かったのは、元から反民主、反小沢的な人とは別に、「こんな人までが作られた“空気”をそのまま代弁するのか」という人物が少なからずいたことだ。そういう人の言動をよくよく見てみると、どうやらニュースソースは新聞とテレビしかないようである。
で、これはあくまでも推測だが、なまじ知識人と言われるような人は、もちろん読売や産経に書いてあることは鵜呑みにしなくても、朝日や毎日に書いてあることはわりと単純に信じてしまうのなのではないだろうか。
一方で週刊文春にコラムを書いている作家の小林信彦は、テレビも新聞もほとんど見ないそうで、情報源は主にラジオだという。その小林信彦は、私の意見では今回の小沢騒動を非常に真っ当な視点で見ている。

そこで最後にラジオについて触れておきたい。
私は当ブログでかねてからラジオは真っ当なメディアであるということを書いてきた。もちろん、ラジオとておかしな番組はたくさんある。しかし、一方で他の媒体に比べるとまともな内容の番組も多い。
今日の朝日新聞では世論調査の結果を大々的に報じているらしい。そこでネットでこれを見てみると内閣の不支持が初めて支持を上回り、小沢は辞任すべきだという意見が68%に達しているという。
ところが先週金曜日のTBSラジオ「アクセス」ではまったく違う結果が出ている。

Access

つまりここでは回答者の66%が小沢続投を支持しているのである。もちろん、「二木啓孝と麻木久仁子のコンビ(私はこの二人は必ずしも好きではないが)によるリードがあるからだ」という意見はあるだろう。しかし、それを言うならば新聞やテレビも同様だ。
そして私はこの結果にラジオのリスナーの質の高さを感じるのである。


さて、、、
この1年あまりの小沢一郎という政治家をめぐっておきた出来事をどう総括すればいいのか(もちろん現在進行形でまだ続いているのだが)。
今朝のサンデーモーニングでは幸田真音が「不毛なこと」と言っていたが、私は必ずしもそうだとは思わない。むしろ、起こるべくして起きたと思う。
野党時代のみならず与党の幹事長になっても小沢一郎が検察から狙われたということは、政権交代が起きてもなお鳩山政権が真の権力を掌中にしていなかったことの証明である。では真の権力者とは誰だったのか。言わずと知れた霞が関の官僚だ。
ところが、折しも自民党の呆れるほどの堕落が原因で政権交代が起き、一方で既存メディアの存在意義や利権をぶち壊す革命がWeb上で進行したため、霞が関を取り巻く自民党とメディアという二つの権力維持装置が機能しなくなってしまった。その結果、これまで巧みに姿を隠してきた真の権力者がついにその正体を現し、民主的手続きを経て政権を獲得した勢力に闘いを挑み、そして敗れた。
であれば、これは真の意味での政権交代が実現する過程で必然だったと私は思うのである。
もちろん、まだまだ安心はできない。霞が関はあらゆる手段を使って巻き返しをはかろうとするはずだ。けれども、これまで完璧を誇った日本的独裁の壁に穴があき崩れ始めたのは間違いない。

・田中良紹の「国会探検」
国民の敵

・ビデオニュース・ドットコム
「小沢氏は検察に決して報復してはならない」

・IT屋もりたの今時パソコン日記
ネットユーザー/非ネットユーザー間で広がる世論の乖離

| | コメント (6) | トラックバック (3)

2010/02/06

壁は崩れ始めた(1)

小沢一郎不起訴についてはすでに多くのブログで言及され、twitter上でも議論されている。
私が愛読しているブログのみなさんの意見はどれも首肯できるものばかりで、さらに付け加えることはないのだが、少しだけこの件に関する感想を書いておこうと思う。

私は1月の中旬に↓のエントリーを書いた。

・日本版ベルリンの壁崩壊?

・続・日本版ベルリンの壁崩壊?

ここで言いたかったことは、この国を長らく支配してきた霞が関独裁の急所である高度な情報コントロール(=国民コントロール)システムが、その機能を急速に失いつつあるということだ。
そのシステムとは、官僚と合体したメディアが作り出す“空気”による印象操作である。
今回の例でいえば、小沢一郎は田中角栄、金丸信という金権政治家の直系であり“古い自民党的体質”を引きずった政治家であり、いかがわしいカネをもらっているに違いない、、、という空気を醸成することで、それによって権力(霞が関)は小沢一郎という、自分の目の前に現れた手強い相手の政治生命を殺そうとした。
おそらく――。
これが10年前であれば、いや5年前であっても、権力(霞が関)はその目的を達成することができただろう。
しかし今回はできなかった。つまり国民をコントロールすることができなかった。
これまでどんなにデタラメをやっても、およそ他の国なら大暴動が起きるであろう不正をやっても、おとなしくお上の言うことを聞いていた国民が、このたびはコントロールできなかったのである。

その一つの象徴が、地検による週刊朝日編集長の出頭要請とその撤回だと思う。
これはテレビ、新聞、雑誌という媒体の中で、ほとんど唯一、反検察の論陣を張ってスクープを飛ばした(その後、追随する雑誌もあったが)週刊朝日の編集長に、検察が「捜査妨害だ」と言いがかりをつけて出頭要請をしたものだ。
ところがこの話は上杉隆のつぶやきによってtwitter上であっという間に広まる。そして「#syutto」というハッシュタグもすぐにつくられ大賑わいとなってしまった。結果、検察に対して抗議が殺到し、編集長の出頭要請を取り下げざるを得なくなってしまった。

・低気温のエクスタシーbyはなゆー
〔日本〕ツイッターが「国会の法務委員会」を動かしたらしい

東京地検特捜部が「週刊朝日」編集長への出頭要求を取り下げていた

もちろん、これだけに限らない。さまざまなニュース番組や新聞記事についてtwitter上で議論が巻き起こり、それがあっという間に口コミで伝わっていく。

今回の小沢騒動は、昨年3月の大久保秘書逮捕に端を発している。この時からネット上では多くのブロガーがこの捜査に疑問を呈していた。結果として小沢は民主党代表を辞任したが、選挙担当の代表代行として衆議院選挙の勝利をもたらし政権交代を実現した。そして今回の石川議員らの逮捕と起訴。
この間、権力による小沢潰しの意志は一貫していたわけだが、昨年3月と今回との違いはtwitterの力の有無であるように思う。
もちろん昨年3月時点でtwitterはすでに存在していたし私もアカウントを持っていた。実は私はわりと早い段階でtwitterのアカウントはつくっていたのだが、140文字以内でつぶやくことのどこが面白いのかさっぱりわからず放置していた。そのtwitterを少しだけ使ったのが衆議院選挙での有田芳生さんの選挙応援時だ。折しも購入したiPhoneを持ちながら選挙の手伝いをした。
そして個人的印象では、昨年の夏場以降からtwitterは大ブレークしたわけだが、これによって情報の伝達度が圧倒的に早くなった。
昨日、twitterを見ていたら「twitterに比べるとブログは遅いメディアだ」とつぶやいていた人がいたが、まさにその通りである。しかも誰でもがつぶやけるわけで、既存メディアがおかしな報道をすれば、その内容はあっという間に伝わる。
そうしてしばらくすると(といっても数時間以内というレベルだが)、twitterで流れたニュースや議論を分析して解説してくれるエントリーがいろいろなブログにアップされる。
その結果どういうことが起きたか。
今回の小沢不起訴において、多くの既存メディアが「意外だった」というニュアンスの記事や識者のコメントを掲載した。しかし私は前掲したエントリーの中で「今回の強制国策捜査は失敗するのではないかと私は思う。」と書き、その通りになった。
別に自慢をしているわけではない。ネット上に流れている情報を追いかけていれば、大久保秘書逮捕も、石川議員逮捕も無理筋であって、まして小沢起訴などは暴挙であることは誰にでもわかることだったのだ。

私が見ているブログやtwitterの書き手には、もちろん優秀なフリーのジャーナリストもいる。が、そういう人ばかりではもちろんない。ほとんどの人はメディア関係者ではないわけで、つまり既存メディア所属の“ジャーナリスト”のように日々取材活動をすることを職業としている人ではない。
今回、検察によるリーク批判が高まった時、多くの新聞社がそれを否定し、地道な取材活動を続けた結果が記事であるという主張をした。ところが、そうした取材活動の結果として書かれた記事よりも、公に流れる情報だけを頼りに状況を分析している一般の人々の方がはるかに正し結論を導き出している。
こうなるとメディアによる取材活動とはいったい何なんだろうか?と思わずにはいられない。

(つづく)

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2010/02/02

小沢関連 ~ 辞任すべきは前原誠司の方だ!

枝野幸男、野田佳彦、そして前原誠司という、私に言わせれば民主党内のいつものロクでもない面々が、小沢一郎の進退問題に言及し始めたという。

・世に噛む日々
後ろから鉄砲を構える人々

・植草一秀の『知られざる真実』
民主党内転覆分子によるクーデターを許すな

昨年の大久保秘書逮捕の時に小沢辞任を騒ぎ立てたのも同じ顔ぶれだったが、大久保公判の成り行きを見れば、この連中が政権交代の意義とはまったくかけ離れた低次元の個利個略で発言していることは明らかだ。したがって相手にするのもバカバカしいのだが、一つだけはっきりといっておかなければならない。
それは、辞任が必要なのは小沢一郎ではなく、前原誠司の方だということだ。
その理由は↓を見ればわかる。

・新党日本
売国「JAL法的整理」を許すな

| | コメント (7) | トラックバック (2)

2010/02/01

メディアの意図は「報じない」ことから見えてくる

昨日のエントリーと重複する内容になってしまうが、、、

東京新聞社会部長の佐藤敦なる人物が書いた『リーク批判』に答えてという文章を読んだ。
すでにネット上では、これに対するエントリーが出ているが、私も少し感想を述べておきたい。

といってもこの文章は、メディアが検察リーク報道批判に反論する際のほぼワンパターンの論法なので、細々とは突っ込まない。ただ私が一番、引っかかったのは以下の部分である。

******
 私たちは、検察捜査に誤りがないとは思っていません。足利事件の菅家利和さんの冤罪(えんざい)では、捜査情報に依拠して菅家さんを犯人と決め付けてきた報道を率直に反省し、その繰り返しはしまいと肝に銘じています。

 しかし、小沢氏の資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐる疑惑は、日本の最高実力者となった人物の周辺で起きたことです。断片的な捜査情報を積み重ね、多くの関係者に当たり、資料を収集し、そこから導き出される事実を正確に速く伝えることは、報道機関としての使命にほかなりません。一本の原稿は、こうした調査報道の手法を用いた取材と、捜査情報を重ね合わせながら作られます。そのために各地に派遣した記者たちが、この現在も取材を続けています。
******

ここでは自分たちの反省の弁を述べるにあたり、足利事件における菅谷さんの冤罪を持ち出している。確かにこの事件は大々的に報道されており、われわれ一般人のよく知るところであるし、このようなことは二度とあってはならない。だが、今回の件で菅谷さんの冤罪事件だけを持ち出すのはいかがなものなのか。
この文章は次に「しかし、小沢氏の資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐる疑惑は、、、」とつながっていき、
「日本の最高実力者となった人物の周辺で起きたこと」を「正確に速く伝えることは、報道機関としての使命」だという。
しかし、ではそもそも昨年、次期総理大臣は確実と思われた小沢一郎民主党代表(当時)が辞任するきっかけとなった大久保秘書の逮捕の公判が、検察側の描いた構図通りに進んでいない事実をメディアはどれだけ「正確に速く」伝えたのか? もちろんアリバイ程度には書いているが、しかし記事の量自体は少なく、したがってそのことを知っている人も少ない。
あるいは、前エントリーで書いた町村信孝の政治資金団体による不動産購入。これについては今もって報じられていない(その他の議員についても同様)。
あるいは、元福島県知事の佐藤栄佐久の「汚職事件」。この裁判は二審で検察が主張した賄賂性を否定された判決が出て実質的に無罪とまで言われている。しかも、この捜査をしたのが現東京地検特捜部長の佐久間達哉である。つまり検察は無謬ではないことを体現しているような人物が現在、小沢の捜査を指揮しているわけだが、しかしそのことを知っている国民もまた少数派である。

さらに、検察の裏金作りを告発しようとして国策逮捕され、先日やっと出所した三井環について。この三井についてはネット上や週刊誌では名前を見かけるが、テレビ、新聞という既存メディアではほとんど取り上げられていない。

こうして見ていくと、検察のリークによる報道操縦もさることながら、報じられていないことのあまりの多さに驚く。
ちなみにネット上ではこんなことは常識として知られており、だからこそ検察の捜査に疑問の声が上がっている。
つまりメディアが書かないことの多くは、検察が世間一般にあまり知られたくない、つまりは書いて欲しくないことなのだ。その意味で、私はむしろ「検察に都合が悪いことはなぜ書かないのか?」をこそ問いたい(先回りして個人的な見解を言えば、要するにそれを書くと検察から情報をもらえなくなるということだろう)。

しかもこれは小沢問題に限ったことではない。
たとえば、アメリカの国防総省のモレル報道官は会見で、「日米関係は危機的状況でない」と強調した。

日米関係は危機的状況ではない

鳩山政権になって日米同盟の危機を煽るだけ煽ったメディアは、しかしこのニュースをどれほど大きく扱ったか? 少なくとも私の印象では、このニュースもまたアリバイ程度にしか報じていない。
アメリカの駐米大使呼び出し「事件」にしても同様だ。アメリカ側は「呼び出していない」と言っている。にもかかわらず、それを報じるメディアはない。
そして、このようにメディアが枕を並べて報じないニュースとリーク情報を重ね合わせることによって見えるのは、鳩山政権潰しの構図である。

| | コメント (3) | トラックバック (2)

« 2010年1月 | トップページ | 2010年3月 »