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2009/12/07

複眼的思考~右でも左でもなく

先週、書店に立ち寄った時、蓮池透、大田昌国の共著による「拉致対論」という本が目に止まった。オビに書かれた「北朝鮮制裁策に代えて、対話をすすめよ」「なぜ、前・家族会事務局長が強硬派から変身したのか」「かつて対極の立場にいた二人が、政府・救う会・家族会・メディア・革新派の閉塞を解き明かし、新しい知恵と方策について率直に語り合う画期的な対論」という文言が気になり目次を見る。さらに本文をざっと見て、あとがきを読んで、この本を購入することにした。以下はその感想である。

私は北朝鮮の国家体制については1980年代の後半あたりから興味を持っており、わりとさまざまな本を読んでいた。したがって拉致問題についても比較的早い段階からことの成り行きを知っていたのだが、しかしこの問題については終始一貫、引き気味に見ていた。それは被害者周辺に登場する、いわゆる「救う会」の顔ぶれがあまりにも偏っていたからだ。そして「家族会」の事務局長だった蓮池透についても、その発言内容から「救う会と同じライン上にいる超ライトな人物だナ」と思っていた。
今年7月、衆議院選挙を目前に控えて行われた有田芳生さんの集会のゲストスピーカーとして彼が登場した時も、実は内心「どうして蓮池なんだろう」と思ったものである(ただしその時の話の内容は興味深かった)。
しかし、本書を読み始めた瞬間からそういう蓮池に対するイメージがまったく誤ったものであったことに気づかされる。と同時に拉致問題には、現在、日本が抱えているさまざまな問題が凝縮されていることもわかった。
出発は純粋に拉致被害者の家族が集まり、なんとか肉親を取り戻そうと必死に運動していた家族会、そこへ救う会が登場することで運動体が政治性を帯び始める。それに便乗し、利用する安倍や中川といった政治家、一方で北朝鮮と親交を結んでいた旧社会党を中心とする左派勢力の無力、そして交渉力のなさ、無能ぶりをさらけ出す外務省。事態の本質を見抜くことなく一貫して扇情的な報道しかしないメディア。そうしたなかで、最初は強硬派だった蓮池透は徐々に考え方を変え始める。曰く、

私は最近、変節者だとか、立場を変えたとか言われます。変わったということを大きくクローズアップされるのは私としては嬉しくありません。突然変化したというわけではなくて、徐々に、時間が経つにつれていろいろなことを深く考えながら現在にいたっており、結果として、周りから見ると変わっている。

それまでは一方的に北朝鮮による拉致を非難していたが、しかし考えれば考えるほど、拉致問題というのは実は過去の日本の朝鮮半島に対する植民地支配を抜きには語れない。そうして蓮池は、もともとは自分は歴史に無知だったということを告白しつつこう述べる。

私はいつも思うんですが、昔日本が何をやったのか、強制連行や従軍慰安婦、そういう話題になるとすぐイデオロギーの問題が入ってきてしまうんです。私はそれが非常に苦手です。右寄りの人は「そんな事実はなかった」と言う。左よりの人は「絶対にあったんだ」と言う。そういう不毛な議論を繰り返していてもダメです。これは政府が曖昧にしているのではないかと思っています。責任逃れなのか何なのか分かりませんが、日本政府はそれを長い間、現在に至るまで曖昧にしてきました。
これは自虐史観を植え付けるとか、そういう問題ではないと思います。それぞれの国益に沿った歴史になるのは仕方がないとしても、やはりあったものはあったと、客観的な歴史を教えるべきです。
日本がかつてやったことを日本人が知っていれば、一方的に北朝鮮を責めることはできないと思います。戦争という有事の枠の中で行なわれたことと平静時に行なわれた拉致は違うとはいえ、やはり北朝鮮、韓国の人たちがどういう感情を日本に対して持っているか、それをきちんと把握しなければなりません。今も「ミサイルが飛んできた。北朝鮮はけしからん。制裁だ!」と、感情的になる人が多くて、讀賣新聞の世論調査では八割近くが制裁肯定だとありましたが、それは過去の問題がすっぽり抜けてしまっている人がほとんどだと私は今思っています。

私は本を読んでいて気になる箇所があるとページを折っておくクセがある。これはもちろん、あとからその部分を見返す時に便利だからなわけだが、この本は折り目だらけになってしまった。それほど私としては重要な部分が多く、ここではとても引用しきれない。
したがって最後に蓮池透がなぜ北朝鮮強硬派からここまで変わったのか、その原因となった弟、蓮池薫について兄が語っている部分を引用する。

弟は、自分の頭の中に何があるのかということは公にしないと断言しています。「これは弟の対北対策だ」と言うんです。「胸の内を北朝鮮に見せたら、俺たちの価値がなくなる」と。情報を公にしないというのも同じことです。情報を公にしたら、その情報はまったく価値がなくなってしまう、と。そうは言うものの、弟と話をしていると、彼が日本と北朝鮮の両方をよく知っていることが分かります。ものすごいバランス感覚を持っていて、ものごとを複眼的に見ることができる稀有な存在だと思います。そして、常に論理的に思考する人間です。ああいう生活をしてきたせいかもしれませんが、常に事態を先回りして考えて、頭の中で想定問答をやって、その結果を口に出すということをしているようです。昔はそんな男ではなかったんですけどね。

蓮池透はこの複眼的思考を持つ弟と時に対峙ししながら、しかし一方で彼自身も複眼的な思考を持つにいたったということだろう。私はこの本を読みながら、不謹慎な言い方だが、蓮池薫にも猛烈な興味を持った。
なぜ日本においては右も左もダメだったのか。それは両陣営がお互いに自分の思想、思考に短絡的に固執してきたからであろう。その点において右も左も大した違いはない、というか同じである。そして実は同質である右と左が一見対立しつつ予定調和のごとく協調していたのが1955年体制というものだろう。であるならば、ポスト55年体制は右でも左でもない、複眼的思考の持ち主こそが求められるではないかと思う。
蓮池薫が日朝交渉の表舞台に出てくることはないのだろう。が、今日の政治状況を見ていると、こういう人物がたくさん出てきて日朝、あるいは日米の交渉をしていかない限り、事態は打開できないのではないかと思う。
蓮池透はあとがきの締めくくりでこう書いている。

「 『制裁よりも交渉を』
 いかなる民族であれ、コミュニケーション、ネゴシエーションなくして、和解はありません。」

私はかねてよりメディアによるバッシングや安易なレッテル張りに批判的であったが、自分もまた蓮池透という人に対して安易なレッテル張りをしていたことに本書を読んで気づいた。その意味で本書は戒めの書でもあった。

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コメント

>右寄りの人は「そんな事実はなかった」と言う。左よりの人は「絶対にあったんだ」と言う。そういう不毛な議論を繰り返していてもダメです。

これが何故不毛なのかわかりません。
ただ他国が「やっただろう」と言われたことに検証もせずあやまって、反省している善人を気取ることが正しいのでしょうか。
自称被害者が真に被害者とは限りません。
被害者であっても証言が全て真実とは限りません。
検証されない証言は裁判では証拠として認められません。
あなたの言っている事はただの思考停止に見えます。


>客観的な歴史を教えるべきです。

事実が不確かなまま客観的な歴史が求められるのでしょうか。


>日本がかつてやったことを日本人が知っていれば、一方的に北朝鮮を責めることはできないと思います。

あなたは不毛とか客観的といいながら、左翼側の歴史観で話しているように思えます。
あなたは半島にから引き揚げてくる日本人に朝鮮人が何をしたか知っていますか。

日本と韓国・朝鮮間の終戦までの問題は「日韓基本条約」ですべて解決済みとなっていることをご存知ですか。この問題を語るなら知っていて当たり前のことなのですが・・・
(あなたは朝鮮が植民地でないこともご存じないようですが。)

台湾は植民地で朝鮮より待遇が悪かったのに何故親日的なのか知っていますか。

投稿: アラディア | 2009/12/08 20:04

衆院選前の「有田塾」に参加してたので、やはり蓮池透氏の”制裁より、あらゆる可能性を探して交渉を!”という拉致被害家族としてのタイムリミットある解決(取戻し)を希求する切実さの声は、それまでの僕の制裁の方に傾いていた思いを修正してくれました。
そして拉致問題を考える時、<過去の日本の朝鮮半島に対する植民地支配を抜きには語れない。> 確かに、そうです。

ただ、「日本の植民地支配」の問題は、北だけでなく南もそうだし、中国及びその他フィリッピン等東南アジアに対する”蛮行”そのもので、だからといって「拉致」を正当化できないし、その独善的・偽善的スターリン主義者による大衆”隷属”の支配政治にNO!!を言う必要があると思っています。(60年代の初め頃までは、何と北朝鮮「主体思想」が賛美され、僕が居た総評・自治労分会などでも「日朝青年学生友好の船」とかの訪問団募集のポスターが張り巡らされていたのを想い出します。)

余談ですが、今日、アンジェイ・ワイダ監督の『カチンの森』を観て来て、僕には20世紀の最大の悲劇は、どうしても”ヒットラーとスターリン”この2人の握手に象徴された、彼らに踊らされた国民大衆のファナチックにあったと思えてならないのです。

投稿: 田村 秋生 | 2009/12/08 17:04

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