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2009/09/16

政権交代とメディア

いよいよ本日は鳩山連立政権が誕生するわけだが、昨日のうちにアップしようと思っていたエントリーを書き上げることができず、本日にずれ込んだ。
以下、手直ししつつ、、、

昨日(9月15日)の日経朝刊には「次官会見の廃止は短慮だ」という社説が掲載されている。
「民主党の岡田克也幹事長が各省の事務次官による記者会見の廃止を検討することを証明した。」ことに対して「記者会見だけではないが、それを含む多様な取材を重ねて真実に迫り、伝えるメディアの機能に対する認識を書く提案である。撤回を求める。」としている。
官僚から下げ渡された情報を、その意のままに書いてきた連中が今さら何を言っているのか。
「権力を持つ側は、常に記者会見を嫌い、減らそうとする。」と言うが、記者クラブという枠組みを作り、加盟社以外のフリーランスや雑誌媒体などを締め出してきたのはいったい誰なのか? その部分は無視を決め込んで、たかが事務次官の会見がなくなったことを「知る権利」上問題があると書きたてるのは噴飯ものである。
会見がないというのならば自分たちで取材すればいい。まさに報道における日経が大好きな「自由競争」の到来である。民主党は記者クラブも廃止する意向だと言われている(昨日からの流れだとちょっと微妙になってきたようだが)。その時、記者連中にどれだけの取材力があるのか、是非ともお手並みを拝見したいものだ。
もっとも、この社説にはすでに伏線が張ってあって、「『政治主導だから官僚は発言するな』が趣旨ならば、官僚たちは記者会見だけでなく非公式取材にも応じなくなる。政治主導が究極的に官邸主導だとすれば『官房長官が発表するから各閣僚は発言するな』と拡大解釈される危険もある。」と書いている。だから官僚に取材できなくなるのは自分たちの責任ではないというわけだが、私はむしろこれからしばらくの間、政治主導に抵抗する官僚が自分たちの身内である記者を使って徹底的に鳩山連立政権に対して情報戦を仕掛けてくる可能性が高いと思う。
おそらく、「小沢支配=二重権力」という報道もその一環だろう。「最終調整も『小沢氏主導』」(9/15朝刊)、「国会運営、小沢氏が主導権」(9/16朝刊)、、、と日経でも「小沢支配」の印象操作に余念がないが、繰り返しになるが幹事長が権力を握るのは当たり前のことである。

で、まあそんななか、しかし日経にも「おやっ?」という記事が出始めている。
もとよりすべての記事を読んでいるわけではないのだが、以下、ここ最近、印象に残った2つの記事を紹介する。

9月13日 朝刊「中外時評」
タイトル:健全な市場経済の構築へ 日本発のメッセージを
筆者:論説委員 末村篤
*****
 今週、首相に就任する予定の鳩山由紀夫氏が、雑誌「Voice」に発表した論文(「私の政治哲学」)の抄訳が外国のメディアに転載され、物議を醸している。
 自由を至上価値とする資本主義の放縦が社会的不平等を生み、共産主義や国家社会主義を生んだという歴史観。米国的な自由市場経済が普遍的で理想的な経済秩序で、諸国はそれに合わせて経済構造を改革すべきという思潮への反論。衰退した「公」の復興で経済外的価値に目を向け、国民経済の破壊に歯止めをかける決意--。
「米国発市場原理主義」批判だ。
 誇張された海外の反響は、米国の風下で従ってきた日本の指導者が発した批判ゆえの驚きだろう。反米、ポピュリズム(人気取り)の批判は当たらない。世界の共通認識であり、オバマ米大統領が就任演説で国民に呼びかけた社会再生の変革に通じる主張である。
「市場原理」を平たく言えば、経済の合理性、整合性だろう。市場無視の経済運営を続ければ、体制を問わず国も企業も破綻する。土地本位制と株式持ち合いの旧日本システムしかり。しかし、市場の尊重は、かつて経済を律して社会の質を高めることに貢献したが、昨今は経済をゆがめて社会を劣化させる働きをしているように見える。
 逆説は、効率を求めるあまり、自由と規律の均衡を欠き、公正を省みない、市場の乱用で生じた。教育、医療、労働などの領域への市場の拡張。企業を金融商品と同列視する極端な株主主権の横行……。サッチャー・レーガン革命以来、米国金融の憲法、グラス・スティーガル法(銀行証券分離)の廃止に至る自由化で、産業資本主義は金融資本主義に変質した。金融経済危機は新自由主義と行き過ぎた市場主義の帰結だ。「市場の失敗は市場主義の不徹底が原因」という抗弁は国民経済を人質にした詭弁(きべん)である。
(以下略)
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9月14日 朝刊「核心」
タイトル:「官主」から「民主」へ
筆者:本社主幹 岡部直明
*****
「308」。総選挙での民主党の獲得議席数をみて、戦後の国際通貨史を思い浮かべた。1971年8月のニクソン・ショック(金ドル交換停止)を受けた同年12月のスミソニアン合意での円レートである。戦後の1ドル=360円時代から1ドル=308円への円切り上げに経済界に緊張が走った。それは73年の変動相場制移行への分岐点になった。
 この歴史的な議席を背景に、鳩山由紀夫政権は戦後日本の政治経済システムを転換させる大きな使命を帯びている。スミソニアン体制が固定相場制から変動相場制への転換点になったように、この政権交代を「官主」政治から「民主」政治への足がかりにしなければならない。
(中略)
 政治主導への転換には、ポピュリズム(迎合主義)に乗った官僚たたきではなく、官僚を使いこなす能力と度量が求められる。民間の専門家や有為な官僚の政治任用制も確立する必要もある。その予備軍としてシンクタンクの機能を活用することだ。少なくとも主要閣僚は最大限、長く務め、G20などで一目置かれる存在になってほしい。
 政治家と官僚の本分はおのずと違う。マックス・ウエーバーは『職業としての政治』で官僚は「怒りも偏見もなく」職務を遂行すべきだとし、政治家の資質としては情熱、責任感、判断力の3つをあげている。
 いま日本では2つの政権交代が進行中だ。ひとつは自民党から民主党へ。もうひとつは官主から民主へである。歴史的にみれば、明治以来の官僚政治を転換するという点で「もうとひつの政権交代」の意味が重い。日本は成熟した民主国家になれるかどうかの分岐点にさしかかっている。
*****

政権交代はメディア内部の力関係にも微妙な影響を与えるはずだ。具体的に言えば、これまで与党担当だった記者が野党担当に、野党担当だった記者が与党担当になるわけで、おそらくこれまでの野党担当というのは、あまり既得権益にまみれてはいないだろう。
上記の記事を書いた人物がそうなのかどうかは定かではないが、長らく自民党を担当して自らも与党ボケしてしまった数多の記者が主流から外れていけば、少しだけマスゴミの寿命も延びるのかもしれない。

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