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2009/06/27

麻生と東国原~二人の小心者

私は東国原英夫という人物の芸人時代をほとんど見ていない。が、少なくとも大した芸人ではなかった。
そうこうしているうちにスキャンダルに見舞われて、そのままでは先行きはほとんどなくなっていたといっていいだろう。
そうしたなか、この男が「賢いナ」と思うのは、ここから政治家という道に打って出たことである。おそらく彼は必死になって自分の先行きを考えて、政治家を演じる芸人としてこの先食べていくことを考えたのだろう。その際には過去のタレント知事や政治家の行動も十分に分析したものと思われる。

この賭けは見事に成功し、宮崎県知事の座を射止めた。しかも県民には圧倒的な人気がある。しかし、田中良紹が言うように知事の仕事は「具体的でやりがいもあるが失政を追及される確率も高い」。そうして現実問題として東国原はテレビには露出をしているが、知事としてはほとんど何もしていない。
つまりここまで、芸人としては予想以上にいい営業ができているが、この先、知事として居座るとなると一転してこの旨みがなくなる可能性がある。そこに自民党から衆議院への鞍替え要請がきた。沈没寸前のこの政権政党は、よりによって政治家としてはなんの実績もない芸人に「助けて欲しい」と言ってきたのである。宮崎にいてはチト先行きが怪しくなってきたところへ、いま以上の営業ネタが舞い込んだのだからたまらない。そこで自分のギャラが今以上に高くなるように立ち回っているのが現在の東国原なのだと思う。

それを証明するのがこの記事だ。
私がこの記事でとくに呆れたのは「国を変えようという大きな目標に対し、知事の権限は微々たるものだった。自分はその限界を超えようということだ」という部分である。

バ カ を 言 っ て は い け な い 。

知事の権限は非常に大きいのである。改革をしようと思えばいくらでもできる。知事に就任したその日からだってできる。それは田中康夫知事時代の長野県を見れば明らかである。
私は田中知事時代の長野県政をずっとウォッチしていたが、「たとえ県政であっても、知事が代わるだけでこれだけだけ社会は変わるのか」といつも思っていた。その既得権益に切り込む胆力、徹底して県民の奉仕者に徹する姿勢は停滞する国政とは真逆の新鮮さに満ちていた。
これに対して既得権益死守勢力は最大限の抵抗をして、ついには県政を取り戻した
真の改革を実践しようとすれば、これだけの軋轢が生まれるものなのである(ここらへんは民主党政権もよく田中県政の事例を研究して欲しい)。
ところが東国原は自ら「知事の権限は微々たるものだった」と、県政では何もできなかったことを告白してしまっている。「何もできなっかた=知事の権限が小さかった」から「国政へ行きど真ん中から変える」という。
言うほうも言うほうだが、その話を聞いてただ書くほうも書くほうですね。
東国原の本心は「知事の権限は自分が思っているようりも大きく、しかし何もできなかった」から「化けの皮がはがれる前に国政へ行き、野党になる、つまりど真ん中からはずれる自民党のなかでうまく立ち回って政治家・芸人の寿命を延ばす」というだけのことである。
つまり東国原は小心者なのだ。

それにしても自民党がこんな人物に振り回されてしまうのも、もう一人の小心者、麻生のおかげである。
今日の日経朝刊には解散の時期について「26日は議員立法で提案した改正日本政策投資銀行法など2009年度補正予算関連法が成立。来年度予算の概算要求基準(シーリング)も、閣議了解を7月1日前倒しする。首相が昨年9月の就任以来最も重視し、解散をためらわせてきた景気対策の『足かせ』からようやく解放されるメドがついた。」などと書いている。

バ カ を 言 っ て は い け な い 。

麻生が解散できなかったのは、選挙区の情勢調査を見たら敗北という結果が出ていたからである。これにビビッたにすぎない。その後も、この男は口先とは裏腹の小心者ぶりを見せまくっている。日本郵政問題における鳩山邦夫更迭では小泉の恫喝にビビッた。
そして衆議院の解散。いよいよ来週あたり解散しそうであるが、これも「口先では地方選と国政選挙はぜんぜん関係ない」などと強がっているが、ようは静岡知事選や都議選の結果次第で予想される麻生おろしにビビりまくっているにすぎないからだ。「だったらその前に解散しちまえ」という破れかぶれ+追い込まれ解散というほかはない。

自民党はいまや麻生と東国原という2人の小心者に振り回されている。
こんなことでは沈没するのもやむを得ない。

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2009/06/26

閑話休題

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田中良紹-「舐められているのは自民党なのか」

田中良紹の「国会探検」

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 そもそも東国原氏が県知事選挙に出馬した理由は県知事になりたかったからではない。次の参議院選挙に出馬するための顔見世であった。それが思いもよらずに注目を浴び、知事に当選してしまった。宮崎県民の過度の政治不信が既存の政治から最も遠いところにいたお笑い芸人を知事にした。本人が一番面食らったのではないか。

 誤解を恐れずに言えば地方首長に比べて国会議員の仕事は抽象的で国民の目には分かりにくい。多少の弁舌が出来、国会と地元を往復して中央の情報と人脈を地元に紹介すれば仕事をしているように見える。しかし地方の首長の仕事は具体的である。やりがいもあるが失政を追及される確率も高い。就任以来の東国原知事の言動を見ると、気持は県知事よりも国政にあると私には見えた。なるべく知事の仕事の実績を問われる前に国政の場に移りたい。従って自民党からの出馬要請は願ってもない話であった。

 であるが故に、周囲に絶対そう受け取られてはならない。従って自民党に対して高いハードルを設定する必要があった。自民党総裁候補になるという条件も、全国知事会のマニフェストを自民党の選挙公約にするという条件も、一見高いハードルのように見える。自民党の要請を拒否するためと解説してもらえる可能性がある。しかしこれらは自民党にとって受け入れられないハードルではない。かつて社会党の村山富市委員長を総理に担いで復権を果たした自民党である。それに比べればどうと言う事ではない。
*****

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 この戦術は、あの郵政選挙と同様にそれに乗せられて大騒ぎするメディアの存在を前提にしている。成功するかどうか、すべてはメディアの姿勢次第である。恐らく仕掛ける側には、東国原知事のテレビ出演を喜んで受け入れるテレビ局の視聴率主義が頭にある。なにせ東国原氏が出演すると宮崎県産の物品を広告料もとらずに宣伝してきたテレビである。そのレベルが変わらなければ成功は間違いない。舐められているのは自民党ではない。舐められているのはこの国のメディアとその視聴率を支えている国民なのである。
*****

詳細は↓
舐められているのは自民党なのか

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2009/06/24

大架空記事でズッコケた週刊新潮が繰り出した鳩山叩きネタの中身

ということで週刊新潮の「鳩山スキャンダル」のタイトルは『次期総理の椅子に最も近い 「民主党代表」は清廉な「白い鳩」か?』であった。リードは『次期総理の椅子に最も近いと言われる鳩山由紀夫・民主党代表(62)。前任者と違い清廉なイメージで売るが、本当に彼は「白い鳩」なのか--。その政治資金収支報告書は「故人献金」だけでなく、「献金者捏造」に「架空住所記載」と、どす黒く穢れているのだった』となっている。

本文は明日発売の雑誌を見ていただくしかないが、、、
個人的な印象では朝日新聞襲撃ネタでの大失態を鴻池ネタをもらうことで救ってもらった自民党のために一生懸命やっているという感じ。活版1折のトップを飾ってはいるが、見開き起こしの3Pというボリュームに、「上からやれと言われたけれど、このネタはこれが限界」という現場の雰囲気が垣間見える。
もちろん政治資金の記載に問題があるのは事実なのだろうが、額が少ない分、小ネタを必死こいて煽るだけ煽っている印象が強い(これは週刊新潮のいつもの手法だが)。
ま、鳩山としては試練には違いないが、「朝日新聞襲撃犯ネタ」という大架空、捏造記事で大ズッコケしたメディアからこれぐらいのネタで叩かれてグラついていては困るし、そのようなことはないと信じたい。

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嗚呼、自民党、、、

宮崎県の東国原知事は自民党からの立候補要請について、意欲を示したそうだ。
「自民党の総裁候補にしろ」という要求は体のいい断りのセリフかと思ったら、「総裁候補の一人として衆議院選の顔になる」と真剣に言っているらしい。
私はてっきり断ったものと勘違いしていたから「東国原も麻生ほどのバカではないんだナ」なんて思ってしまったのだが、もし真剣だというのならばこれはアホー以上のアホ確定ですね。
私は東国原の宮崎県知事としての手腕についてはよくわからない。地元では非常に人気があるそうで、しかもテレビによく出演しているのは知っているが、しかし少なくとも宮崎県の職員や県議会が、田中康夫知事時代の長野県のように反発しているという報道はまったくないことから推測すると、既得権益死守勢力には都合のいい知事なのだろう。タレント知事を差別するつもりはまったくないが、しかし政治家としてなんらの実績もなく、ただ御用マスゴミに出演することで人気を維持することだけを考えてきた、そういう人物に自民党が真剣に救いの手を求めているのだとしたら、これはもう呆れるよりもなによりも情けない。
私は自民党というのは心の底から嫌いだが、しかし曲がりなりにもこの国を半世紀にわたって支配してきたのだから、いくら耐用年数が切れて潰れてしまうにしても、せめて最後の矜持を見せて欲しいと思うのだが、残念ながらそれすらもないものねだりである。

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週刊新潮に鳩山のスキャンダル?

明日発売の週刊新潮に鳩山由紀夫のスキャンダルが掲載されるらしい。

今夜にも民主党・鳩山代表に「大スキャンダル」が浮上との噂

現状ではその内容がどんなものかはわからない。
メディア各社は今日の午後には届くだろうから、夕方からこのニュースが流れるだろう。

この件についての文化放送での上杉隆の発言は私も偶然聴いていた。
内容は見てみないとわからない。
しかし、東国原に出馬要請などをしているようなトンチンカンな連中とは別に、必死になって民主党に対する工作をしている連中がいることもまた確かなはずで、そういった面々がそれこそ死に物狂いで仕掛けてくることは予想の範囲内である。
その意味で、今回のメディアがあの「週刊新潮」であるところが興味深い。私はこのリンクのエントリーのなかで、

*****
ただし、このネタをもらう代わりに、これから衆議院選挙までの間、ことあるごとに民主党叩きをすることが条件としてついているはずだ。
もし、この推測が当たっていれば、週刊新潮はこれからも「オヤッ?」というネタ(つまり権力から流される意外なネタ)を使って民主党叩きを続けるだろう。
*****

と書いた。
今回の仕掛けはおそらく麻生周辺ではなく、この国の真の権力者から出たネタだろう(彼らはとっくに麻生など見放している)。

田中良紹によれば、アメリカが大統領選挙を予備選も含めてあれだけ長い期間やる理由は、その間に出てくる候補者のさまざまな試練をどうやって乗り切るかを有権者が見極めるからだという。
鳩山が今回の記事をどう乗り切るか。
試練ではあるが、これを乗り越えないことには本当の意味での改革はできない。

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2009/06/23

小沢関連~郷原信郎「西松裁判 検察冒頭陳述に強い違和感」

ビデオニュース・ドットコム

西松裁判 検察冒頭陳述に強い違和感
郷原信郎(元検事・名城大学教授)インタビュー

映像はこちら

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2009/06/22

今さらながら党首討論について

ここのところAMラジオについて書く機会が少なくないが、私はなにしろラジオ派である。
ラジオのいいところはパーソナリティのトークをじっくりと聴けるところ。久米宏や伊集院光のトークはとにかく絶品だ。

が、テレビ(あるいは動画)で見た方がいいコンテンツももちろんある。
そもそもテレビというのはムダな情報が多く含まれているメディアだ。
たとえば街頭でインタビューをしている時、その内容とは関係なく背後をいろいろな人が歩き、クルマが通り過ぎる。ラジオではわからないが、テレビだとその様子がすべて画面に映り込む。すると本来やっているインタビューとは無関係な背景にもどうしても目がいってしまう。これは本来、ノイズである。
しかし、たとえば冷戦構造が崩れた一つの原因は、東側の指導者がどんなに自分たちの正しさを主張しても、テレビに映っている西側の様子、つまり走っているクルマや人々のファッションを見た国民が「あちら側の方がいいクルマや服を着てい豊かじゃないか、自国の指導者やメディアの言っていることはウソじゃないか」と疑問を持ったことにあるという話を聞いたことがある。
つまり、結果的にノイズが彼我の差を際立たせる情報となってしまったわけだ。

そこで党首討論である。
麻生と鳩山の二回目の討論は、音声を聴くだけでも十分に鳩山圧勝ではあった。
映像を見てみると、両者の討論内容とは別に麻生の隣に座っている与謝野馨や背後にいる野田聖子、舛添要一などの態度、表情もまた現在の与党の苦境を表していたように思う。
たとえば与謝野は常に不安そうに麻生を見ているが、時々、悲しそうな顔になる。舛添は憮然としており、野田聖子はというと、身を乗り出して麻生の話を聞いているのだが、時折複雑な表情を見せる。ま、それはそうだろう。もともと前回の衆議院選挙で郵政民営化反対を主張した結果、離党までする羽目になったのに、節を曲げてやっとこさ自民党に復党して大臣になったと思ったら、時代は「郵政民営化は間違いだった」という空気になりつつある。しかし、もはや「やっぱり私の主張は正しかった」とは言えないだろう。それでも彼女の場合は選挙には当選するかもしれないが、自民党は野党になっている可能性が高い。
思うに次の総選挙が終わったあとの自民党は今以上に世襲の比率が高くなり、実質的にハマコーの息子が言うような「世襲党」になっているのではないだろうか。となれば、自民党の没落にますます拍車がかかることになる。

党首討論に話を戻すと、麻生自身はいつも通りで、つまりどうしようもなかった。が、一方の鳩山由紀夫は党首になる前となった後、ビフォーアフターで画面から受ける印象が大きく異なっていた。これまでのどことなくひ弱な感じがなく、発する言葉の一つ一つに自分が総理大臣になった時の覚悟のほどが見て取れたし、それが立ち居振る舞いにもあらわれていたように思う。実際、ネット上でも「鳩山を見直した」という声は多かったし、私の周りでも同様のことを言う人がいた。
私はそれまで「やっぱり総理大臣は小沢になって欲しかったナ」と思っていたが、この党首討論を見て「総理大臣は鳩山でいい。それを小沢が後支えるのがベスト」と思うようになった。
今後、与党はますますあらゆる手を使って民主党攻撃を仕掛けてくるはずだが、この鳩山由紀夫を見る限り大丈夫だろう。そのことを確信したのが今回の党首討論だったわけだが、これは音声のみでなく映像で見るものである。

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2009/06/19

祝・北朝鮮ワールドカップ出場

相当前に読んだ本に書かれていたのだが、、、
ハンス・オフト元・サッカー日本代表監督が、Jリーグのある選手に「なんでお前は日本代表に入らないんだ?」質問したことがあるそうだ(ジュビロの監督時代の話だったかもしれない)。するとその選手は、「自分は在日3世(か4世だったと思う)なので日本国籍ではない。だから日本代表にはなれない」と答えたという。するとオフトは「3世や4世でも日本国籍にならないのか」といって驚いたそうだ。

サッカーのワールドカップ、アジア最終予選B組で、北朝鮮が韓国に続いて2位に入り、見事にワールドカップ本大会出場を決めた。44年ぶりのことだという。
今回の最終予選は、日本が入ったA組に比べるとB組は非常に厳しいグループであった。組み合わせが決まった時点で日本のワールドカップ出場は決まったも同然とはいわないが、相当にラクな組に入ったことは間違いない。一方、B組はすべてのチームにワールドカップ出場経験があり、どこが勝ち抜いてもおかしくなく、そのなかでも北朝鮮が2位に入る可能性はそれほど高いとは思われていなかった。
もし現監督に率いられた日本代表がこの組に入っていたとしたら、相当にハラハラした展開になっていただろう(もっともそれが予選の醍醐味であって、あまりにラクに勝ち抜くのはつまらなかったりもする)。
そういうグループのなかで北朝鮮がワールドカップ出場を決めたことを祝福したい。

現在、この北朝鮮代表には在日コリアンで川崎フロンターレの鄭大世やかつてアルビレックス新潟、名古屋グランパスに所属し、いまは韓国のKリーグでプレーする安英学も含まれている。
彼らが北朝鮮という地で他の代表選手となじむまでには相当な苦労があったようだ。が、前回のワールドカップの予選以降は海外リーグで活躍する選手も出てきたそうである。
そういう選手たちが代表入りすることで、他の選手、ひいては北朝鮮全体に少なからぬ化学反応が起きることを期待したいし、反対に北朝鮮の本当の姿を伝える役目も担って欲しいと思う。
とくに日本の場合は北朝鮮に対する報道というと、とかく画一的かつ批判的になりがちだが、当たり前の話だが政治体制には問題はあるが、国民にその責任があるわけではない。
折しも北朝鮮ではその体制に変化がありそうな気配がある。一方で国際的に孤立しているこの時期に世界最大のスポーツイベントに出場することで、北朝鮮としてもさまざまな面で変化せざるを得ないだろうし、そのいいきっかけとなるチャンスが来たと思う。
日本のマスゴミはまたぞろ「美人応援団」などをアホのように追いかけたりするのだろうが、おそらく他の国々は「いい時期にワールドカップ出場を決めてくれたな」と思っているのではないだろうか。

とまあグダグダ書いてしまったが、しかし何よりも興味があるのが北朝鮮がどんなサッカーをするのかということ。
そして鄭大世や安英学がどんなプレーをするのか。さらに日本の他のJリーガーでも、たとえばすでに代表経験のあるベガルタ仙台の梁勇基が残り1年でメンバー入りする可能性だってあるだろう。
自分の応援するチームに、たとえ北朝鮮代表だろうとワールドカップに出場する選手がいれば、ファンは単純に嬉しいものである。
したがってフロンターレのファンは中村憲剛を応援するのと同じく鄭大世も応援するだろうし、私のようにフロンターレファンではなくても北朝鮮の試合を興味津津、かつ楽しみに見る人は少なくないと思う。
まして北朝鮮は前回の初出場時にはベスト8まで進出したわけで、日本の方が出場回数は多いものの十分にリスペクトしなければならないチームである。
それがサッカーなのであって、この際、国際情勢云々は関係ない。

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2009/06/17

民主党は9勝6敗を目指せ

故・色川武大に『うらおもて人生録』という著書がある。
およそゴマンと出ている人生論の99%はくだらないものだが、この本は違う。
もともとは毎日新聞の日曜日に和田誠のイラストとともに連載されたと記憶しているが、この本は若い人、それも劣等生向け(と著者は書いている)に書かれたもので、自分の幼少時代やギャンブルでの経験を軸にやさしい視線で人生を説く名著である。

そのなかでも私がいまでも印象に残っているのは「9勝6敗を目指せ」という話だ。
色川の経験では、本当にギャンブルが強い人というのは決して大勝ちはしないという。むしろ勝ちと負けを繰り返す。が、結果的には勝ち越している、このぐらいが本当に強いギャンブラーで、8勝7敗でまあまあ、できれば9勝6敗を目指せというのである。一方、勝っているときに調子に乗って勝ちまくるのはむしろ素人、大勝ちする人というのは同じ分だけ負ける可能性もあるという。

なぜこんなことを書いているかというと、、、
ここ最近の千葉市長選の結果や各種世論調査を見ると、次の総選挙では前回の郵政選挙と真逆の結果になる、つまり民主党の地滑り的な勝利となるのではないかと思うからである。

以前にも書いたが、私は自公政権は麻生太郎を総理大臣に選んだ時点で敗着の一手を指したと思っている。
したがって次の総選挙に関してはわりと楽観視しており、政権交代は必ず起きると思う。
小沢一郎秘書の逮捕という謀略も結局は空振り、いままた民主党の議員にまで届くのではないかという疑惑や、朝日新聞が掘り起こした鳩山由紀夫の「故人献金」などの問題が出ているが、これとて与党大逆転を起こすほどのパワーはない。つまり、マスゴミを含めた既得権益死守勢力がどんなに頑張っても、圧倒的にアホな麻生の前ではどんな努力もムダなのである。
しかもこの男は気が小さい犬ほどキャンキャン吠えるのと同様で、威勢のいい言葉を吐けば吐くほど気の小ささと底の浅さを露呈する。
といって今さら麻生を下しても仕方がない。自分たちで「選挙に有利」と麻生を選んでおいてダメとわかると引きずり下すというのはでは、与党は政権担当能力もへったくれもない、権益願望勢力でしかないことを満天下にさらすことになる(ま、そんなことは以前からわかっていたことだが)。
つまり政権交代へのドライブは止めようがないわけで、国民の間に溜まった与党への不満というマグマは想像以上に大きい。
しかも日本人というのはもともと極端に振れる傾向が強い(これはメディアの責任大であるが)。となると民主党の地滑り的勝利の可能性は十分にある。
もちろん大勝すれば政権基盤は安定するし悪いことではないのかもしれない。
が、考えてみると郵政選挙で与党が300議席を獲得したのも、わずかに4年前のことである。
あの頃には次の総選挙で自民党が壊滅的な敗北をするなどと予測した人はほとんどいないだろう。にもかかわらずこのような状況になったのは、その間に与党によって行われた政治があまりにもデタラメだったからであるが、もう一つ、あまりにも勝ちすぎたということも原因なのではないか、色川武大がいうように大勝と大敗は「うらおもて」なのではないかと思うのである。

だから、、、
民主党は社民党、国民新党、新党日本で安定多数をとるぐらいがちょうどいい。
あまりに勝ちすぎてその反動が来るよりも、そこそこの勝利を続けながら政権交代の意義をじっくりと浸透させていくべきなのではないだろうか。

田中良紹の「国会探検」 漂流総理の漂流国家

BS11「にっぽんサイコー!」第64回2009/06/13(土)放送

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2009/06/16

匿名性の問題~「THE JOURNAL」への疑問Ⅱ

「THE JOURNAL」のコメント欄には以下のようなお願いが冒頭に書き込まれている。

*****
■コメント投稿について編集部からのお願い

いつも《THE JOURNAL》にご参加いただき、ありがとうございます。
他のサイトでは見られない質の高い真剣なコメントに、ブロガーや編集部はもちろん、ジャーナリストを含む多くの方が参考にしているとの声が寄せられています。

今後もこの意義ある場を維持してゆくため、コメント投稿者の方々には、以下のことを厳守いただくようお願いいたします。
投稿は原則として本名で行ってください。本名での投稿が難しい場合は、名前として不自然でない名称でお願いします。これは、理由のない安易な偽名・匿名の乱用は、《THE JOURNAL》のコメンテーターと読者が本当の意味で責任ある議論の場を育てていくことにマイナスであるとの高野孟の信念に基づく考え方です。

(中略)

投稿者: 《THE JOURNAL》編集部
*****

「原則として本名で」と書き込んでいる当事者が「 《THE JOURNAL》編集部 」という匿名なのには笑ってしまうが、そもそも「理由のない安易な偽名・匿名の乱用は、《THE JOURNAL》のコメンテーターと読者が本当の意味で責任ある議論の場を育てていくことにマイナス」なのだろうか?

私はこれまでパソコン通信の時代も含めると15年ぐらいネットワークというものに接してきた。
この間、幾度となくさまざまな議論を見てきたけれども、偽名や匿名であっても質の高い議論というのはたくさんあったし、そこに本名で参入してきたプロのライターが大ズッコしたのも見たことがある。要は妙ちくりんな名前を使おうがなんだろうが立派な論旨展開をする人はいくらでもいるわけで、もちろんその逆もある。

「ぽんぽこたぬきさんのおっしゃることも一理ありますが、私はこう思います」
「いやいやそれは違うと思いますよ、すってんころりんさん」

などという展開をずっと見てきた私としては、名前はどうあれその人の主張が問題なのであって匿名、偽名は問題ではない。そうして本名であろうが匿名であろうが、ネットの書き込みというのは荒れるときには荒れる。

しかし私が何よりも「高野孟の信念」とやらで疑問に感じるのは、ジャーナリズムを生業とはしていない一般の人たちが本名で書き込むことのリスクだ。ここは議論の分かれるところだろうが、これだけ個人情報の管理が難しくなっている時代に、普通の人間がネット上で本名を出すのは相当にリスキーな行為だと私は思う。名前といっても人さまざまで、よくある名前の人もいれば珍しい名前の人もいる。とくに後者の場合、この名前を検索エンジンにかければなにがしかのヒットをする可能性は決して低くはない。そしてその結果を追いかけていけば相当な個人情報を特定できるだろう。とすれば本名か匿名かはあくまで本人の判断に依拠するべきだと私は思う。

そもそも現状、「THE JOURNAL」では「コメンテーターと読者が本当の意味で責任ある議論」をしているわけではない。これは前回のエントリーでも書いたが、コメンテーターは一方的に原稿を書くだけで、あとは読者のコメントにまかせているだけ。読者からのコメンテーターに対する疑問や要請に対しては一切答えていない。
うがった見方だがこれは「相手が本名ではない」という理由で避けているのかナ?とも思う。
なぜそんなふうに見てしまうかというと、そうやって微妙に参入障壁を設けておけば、コメンテーターとしてはラクだから。
私は岸井成格はこの原稿に寄せられた読者からの疑義に対する反論を書くべきだと今でも思っている。が、もし岸井がそれを書いたとしてもおそらくは「燃料投下」にしかならないだろう。結果、大炎上することは目に見えている。だから書かないだけなのだと思う。

小沢一郎秘書逮捕騒動の際、私がもっもと感銘を受けた文章の一つは白川勝彦の永田町徒然草に平成海援隊のBBSから転載された「政権交代への正念場です~民主党内の、腰の据わらぬ諸氏へ~」であった。これを書いたのは「どなんとぅ」さんという方で、いったいぜんたいどういう方なのかはわからない。しかしこの文章は少なからぬブログに転載され、大きな反響と議論を呼んだと記憶している。
つまり「責任ある議論」に本名も匿名もないのであって、要は書かれた内容がすべてなのである。

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2009/06/10

冤罪事件には政権交代の必要性が凝縮されている

死刑廃止論を語っている時の亀井静香というのはなかなかいい。
もう相当に前のことだが、サンデープロジェクトで死刑の存廃がテーマになったことがあった。
大谷昭宏が「死刑は存続すべきである」と口角泡を飛ばして主張するのに対して、亀井静香が「自分も警察にいたからよくわかるが、権力の側だって間違えることがある。それをなくすことはできないのだから死刑は廃止すべきである」と淡々と語っていたのが印象に残っている。
ちなみに私は終身刑論者であるが、しかし故・住井すゑさんが「80歳になったらどんな刑の人でも釈放すべきである」とおっしゃっていたのにも一理あると思っている。

さて、、、

ここ最近、ネットでは素早く流れるニュースが既存メディアではあまり大きく扱われない、あるいはまったく俎上にものぼらないというケースが多い。
無実の罪で無期懲役が確定していた菅家利和さんが釈放された。このニュースはもちろん数多くのメディアが報道したが、一方でこの菅家さんとまったく同じ検査法でDNA鑑定が行われ、その結果が唯一の証拠となって死刑が確定した飯塚事件については、報道はされているものの、少なくとも私の印象では大きく取り上げられてはいない。
何よりも問題なのは、この事件で死刑が確定した久間三千年さんに対して刑が執行されているという事実だ。
恐るべき話である。
しかもこの刑の執行に捺印をしたのは現職の法務大臣である森英介だ。ところがこの森という男は飯塚事件を再検討するかを問われて「個別事件のことは控える」とだけ答え、また取り調べの可視化については「全面的に義務付ければ被疑者に供述をためらわせて取り調べ機能を損ない、真相解明に支障をきたす。現段階では全面的に容認する方向での検討は難しい」と述べたという。
この対応からはっきりわかることは、森という男が官僚の振り付け通りに動くしか能がないということで、そこには官僚がやっているおかしなことを政治がチェックしようという気概は一切ない。ま、それも当然で、この男は麻生派所属の世襲、それも三世議員なのである。
そもそも麻生政権というのは田中良紹が「現在の難局を乗り切るために自民党の隅々にまで目を配り、日本の課題に正面から立ち向かおうとする意欲が見えない。自民党という大組織の中で傍流に居続けた人物に突然光が当たったため、これまでの鬱憤を晴らすかのようにひたすら我流を貫いた。そんな感じを抱かせる。これまであまり見た事のない人事」で、「全く理解不能である。目に付くのは親しい文教族が能力とは無関係に大臣ポストにばら撒かれ、さらには政界のボスにゴマをすったとしか思えない配置があちこちに見られる」と評したような内閣なわけで、まさに森もその一員ということなのだろう。この無能な男が官僚の言われるがままに、誤った死刑の執行に捺印してしまうのだからこれほど恐ろしいことはない。

菅家さんの釈放に関連してはまた保坂展人のブログに以下のようなエントリーがあった。

足利事件の菅家さんの訴えと免田栄さんの未受給問題

驚いたことに冤罪事件に巻き込まれた免田栄さんは無実の罪で死刑が確定し拘置されていたために、年金が未納で(そんなの当たり前だ!)、ゆえに無年金者なのだそうだ。しかも歴代の法務大臣は「お気の毒だが難しいケース。なんとか研究したい」と言うばかりで長らくこの状況を放置してきたという。
「お気の毒だが難しいケース」とは言いも言ったり、とことん呆れた言いぐさである。こういうセリフを官僚の指図のまま口にする(口にできる)大臣というのはそもそも政治家としての資質を問われるべきだろう。
しかし、なによりも足利事件、飯塚事件、そしてこの免田さんの年金未受給問題を見れば、霞ヶ関独裁というこの国のシステムが根本的な部分で壊れていること、システムの支配者である官僚が狂っていることは一目瞭然である。
したがって一刻も早く新しいシステム作りに取りかからなければならない。そのための手段が政権交代なのである。

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2009/06/05

「THE JOURNAL」への疑問

男性にはあまり知られていないが、女性、とくに主婦層から圧倒的な支持を得ているクックパッドという料理レシピのサイトがある。多くの女性が自分のレシピを投稿する一方で、実際にそれをつくってみた人がコメントをする。するとさらにレシピ投稿者がコメントを返すことができる。
なにしろ投稿しているのが主婦なので、素早く作る、手抜きをしたいけど美味しく作りたい、あともう一品を軽く作りたい、、、などといった日々の生活のなかで彼女たちが考えるレシピが多々あり、それを素早く検索することができるのが特徴だ。
いまやこのクックパッドは巨大サイトに成長したわけだが、その中身は従来のメディアで展開された料理番組や記事とはまったく違う。そもそもここには権威のある料理研究家や料理人といった人たちはまっくた登場しない。そのすべてがこのサイトの一般ユーザー(女性が9割とのこと)で占められている。つまり既存メディアにおける権威や価値とはまったく無関係なのである。
私の妻もこのサイトをよく利用しているが、夕方になるとアクセスが集中してつながりにくくなるので、なるべく空いている時間に検索をするようにしているという。それでも夕飯を作っている最中に私がパソコンを使っていると、「ちょっとどいて」といってクックパッドで検索をしている。その結果、これまではそれなりに料理の本や番組、あるいは女性誌の記事を参考にして料理をしていた彼女は、もはや既存の媒体にはほとんと接触しなくなってしまった。
そうしてこのクックパッドを見ていると「Webにおけるインタラクティブ、フラットというのは、こういうことをいうんだろうナ」と思うのである。

このクックパッドとはおよそ真逆なサイトが「THE JOURNAL」だ。
私もこのサイトは時々見るが、執筆者は玉石混交である。田中良紹のような玉もいれば岸井成格のような石も転がっている(私の場合、基本的には田中良紹の「国会探検」だけをRSSで購読している)。ただ、執筆者はすべて「プロ」と称する人々である。
私がこのサイトに疑問を持ったのは、岸井成格の小沢秘書逮捕と見るに堪えない政局という見るに堪えない原稿に多くの人の批判的なコメントがつき始めた頃からである。この原稿がアップロードされたのは4月1日であるが、それから2ヶ月以上たった現在も、この原稿は放置されたままで岸井本人も、そしてサイトの創設者である高野孟からもなんのリアクションもない。

そこでこのサイトを改めて見てみると、高野によって書かれた「《THE JOURNAL》宣言」なる一文があった。
これを読んでみて、私の疑問はますます膨らんだ。
この宣言は冒頭で以下のように宣言している。

その名も《THE JOURNAL》、「これがジャーナリズムだ!」という心意気で、インフォメーションの量の多さではなくインテリジェンスの質の高さを追求する、まったく新しいブログ・サイトを創設します。ネット上では、マスメディアの報道を借りて細切れにして並べただけのニュース・サイト、アマチュアが自由にニュースを論じる掲示板やSNS、市民記者や読者が参加する双方向性を活かした新聞、個々の記者や専門家による個人的発信など、様々な試みが展開されています。しかし、多数のプロフェッショナルなジャーナリストをはじめ各分野の知の達人たちが協働して1つの情報解放空間を共有し、「これでいいのか、日本!」と論じ合っていくクオリティ高いメディアは、まだどこにも存在していません。この国ではまだほとんど誰も踏み込んでいない独立不羈のブログ・ジャーナリズムの歴史が、ここから始まります。

このサイトというのは「プロフェッショナル」と称する「ジャーナリスト」が「協働して」「論じ合っていく」「クオリティの高いメディア」を目指しているとのことで、「独立不羈のブログ・ジャーナリズムの歴史が、ここから始ま」るというのだが、私の印象ではすでにネット上には相当にすぐれたブログ・ジャーナリズムが存在していると思う。
その中にはプロの書き手もいるが、一方でプロでない書き手も相当数存在する。後者はプロではない、つまりジャーナリズムを生業としているわけではないが、しかしその分析、評論の力量、クオリティは「プロと称するジャーナリスト」をはるかに上回っているケースもしばしばある。そのレベルと比較すると、はっきりいって「THE JOURNAL」の執筆人の力量は大したことはない。(もちろん田中良紹のような例外もある)。

ま、それは当然で、そもそもこの執筆陣のなかには「?」の人物も少なくない。前述の岸井しかり、高野孟にしても、小沢秘書問題では一見、まともなことを書いているように見えるが、「小沢一郎は飛びぬけた金権体質で、そんなことは誰でも知っている」といとも簡単に書く。それに対する根拠をコメントで求められても無視を決め込んでいる。田原総一朗については言わずもがなだし、二木啓孝にしても飯島勲を前にすればご意見拝聴に徹することしかできないレベルだ。
週刊朝日編集長の山口一臣は昨年の秋葉原の連続殺傷事件の際に『「若者」に気をつけろ!』というタイトルをつけ、あるいは握手している麻生太郎と島耕作を表紙にした人物である。今年になって「朝日ジャーナル」を「怒りの復活」したそうだが、私は目次を見てそのあまりの旧態依然ぶりにすぐに手に取った雑誌を元に戻した。

「THE JOURNAL」に話を戻すと、私がこのサイトに感じる違和感のもとは、結局のところ「《THE JOURNAL》宣言」に象徴される権威主義の匂いにある。
既存メディアを批判するのは結構だが、そもそもそれをつくってきたのはまさにこの人たち自身だ。それをいまになって日本のマスメディアは瀕死の状態だから自分たちは「独立不羈のブログ・ジャーナリズムの歴史」をここから始めるという。それでいてやっていることはというと、相変わらずの一方通行で、原稿を書いてはみたものの批判が出ると無視を決め込む。そこにはWebの最大の特徴であるインタラクティブでフラットな空間はない。
せいぜいが「読者はコメントをつけられますよ」という程度のものでしかないのである。いったいこのどこが「独立不羈のブログ・ジャーナリズム」なのだろうか。
むしろ参入障壁という規制に守られた既存メディアの枠には入れなかった無名の人々の独自の視点、疑問、批評の方がはるかに新鮮であり、それらが互いにトラックバックされることで議論が深まっていくことこそが「独立不羈のブログ・ジャーナリズム」なのではないのか、そうしてこの場合、権威などというものはさしたる意味はないのではないか、と私は思うのである。

私は少なくとも「THE JOURNAL」は「独立不羈のブログ・ジャーナリズム」にはなり得ないと思う。もちろん、Webに活動の場を移しても光り輝くプロのジャーナリストはいるだろうが、プロなら誰もがWebで通用するわけではない。むしろ誰でも参入できるブログ・ジャーナリズム市場のなかで多くの人の目にさらされた中から頭角を現してきた素人の書き手の方が、名前だけのプロよりもはるかに優秀である可能性は高い。
つまり、「既存メディアでプロだった」という経歴は、ブログ・ジャーナリズムの時代にはあまり意味がないのである。
おそらく「THE JOURNAL」は既存メディアの限界を素早く感じ取った「嗅覚」の鋭い人々が選んだ次なる舞台だったのだろうが、残念ながらそこではかつての「権威」は通用しない。

※私でもできたクックバッドのパスタ・レシピ
あたしんちの♪ミートソース(息子が「クソうまい」といった)
牛乳・全卵で☆濃厚カルボナーラ☆

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2009/06/03

緊急フォーラムのお知らせ

この拙いブログをご覧くださった方より、緊急フォーラムのお知らせをいただいた。

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残念ながら私は行けないのだが、鈴木宗男、平野貞夫、両氏の話を聞けるのは貴重な機会だと思うので本ブログでもご案内します。

詳細は↓
http://sov.jimdo.com/

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「友愛」について考える

ここ最近、聴いたラジオのなかで印象的だった放送の一つに「久米宏ラジオなんですけど」に出演した写真家・野町和嘉氏の話がある。
野町氏は日本よりもむしろ海外で有名な写真家ということで、現に私は知らなかったのだが(そもそもこの番組にゲスト出演する人の半分ぐらいを私は事前に知らない。が、そういう人の話が抜群に面白い)、宗教をテーマにした写真を中心に撮影しているという。
その野町氏によると、たとえばイスラム圏のイランは人々が穏やかに暮らしていて非常にいい国なのだそうだ。
アメリカと断交しているためグローバリゼーションの波に呑まれていないということもあるが、イスラム教が安全装置として機能しており、信仰というプライドがあれば乞食をすることも恥ずかしいことではない。また家族のネットワークが非常に濃密で核となっている。そのため社会的に安定していて、治安もヨーロッパよりもはるかにいいという。
日本ではイランと言えば自爆テロがニュースになり「危ない国」というイメージがあるが、実際には社会のセキュリティがしっかりとしており自殺など思いもつかない。むしろイランから見れば、毎日100人もが自殺をする日本の方がはるかに危な社会だというのである。

これまで日本は官僚が独裁的な権力を握り、さらに政治と経済がこの権力と一体となって徹底的な経済至上主義、コスト優先主義でやってきた。それでも高度成長の時代には、その分け前が一般の国民にも大きな不満が出ない程度には配られていた(もちろん国民が感じていた豊かさというのは実は幻想ではあったが)。が、バブルが崩壊して日本経済が行き詰まっていくなか、自分たちの保身のためになりふりかまってはいられなくなった権力は、小泉政権を誕生させることで、社会を安定させるための最低限のコストを削り始めた。
これは原発推進の御用学者が「過剰な安全装置はコスト増大になるだけで不要」と言うのと同じである(実際には日本の原発が破局的な事故を起こしていないのは運以外のなにものでもない)。コストを優先し、カネを儲けることしか頭にない連中にとって、安全のための支出というのは余計なコスト以外の何ものでもない。そうして自分の身は自分で守るべきであるという自己責任論を振りかざしたのが新自由主義なのだと思う。
それでもすべての人のスタートライン、つまり競争条件が同じであればまだいい。が、実際には政界にも官界にも、そして経済界にも世襲がはびこり、要はそういった連中の既得権益や資産だけがますます増大する(もっとも世の中には、スタートラインが大きく違っても同じ市場のなかで競争するわけだから、その競争の結果はスタートラインの差とは関係ないという論文もあるそうで、しかもその論文はノーベル経済学賞を受賞しているらしいが、、、)。

そこで「友愛」である。

かつて中曽根康弘が鳩山由紀夫に対して「民主党なんてソフトクリームみたいなもので、甘いけれどもすぐとける」というようなことを言ったことがある。私は中曽根というのは基本的に大嫌いだが、しかしそのときには「うまいことを言うもんだナ」と思った。確かに当時の鳩山由紀夫が言う「友愛」というのはいま一つわかりにくかったし、そもそも「友愛」という言葉自体に気恥ずかしい雰囲気があったように思う。
しかし、社会の安全装置がことごとく壊れ、1日100人から、年間で3万人以上が自殺をする国になってしまったいま、鳩山のいう「友愛の精神」というのは非常に重要なのではないかと思い始めた。
日本の場合、イスラム教圏やキリスト教圏のように宗教が社会の安全装置として機能する余地は少ない。そうしたなかで年金制度は崩壊し老後の生活は不安だらけである。老老介護に陥ってしまったために最後は介護に疲れて親を殺してしまったというニュースが流れると「またか、でも明日は我が身だナ、、、」と思ってしまう。
こういう世の中を見れば、若い人たちが子どもつくろうという意欲など持てるはずがない。いまやこの国では子どもがいること自体が経済的なリスク要因になり、しかもその子どもたちが将来、安心して暮らしていける保障もない。結果、凄まじい勢いで少子化が進行している。
そうしたなかで起きたこのたびの大不況。しかし、史上空前と言われる補正予算は呆れるほどに既得権益者を最優先に組まれたものだった。経団連会長は自分たちの要望がほぼ取り入れられたと評価しているらしいが、政治献金とそれに対する見返りという関係がこれほどまでにあからさまであるにもかかわらず、批判的に報道するメディアはほぼない。
とはいえ、いま長年この国を支配してきた独裁権力は間違いなく行き詰っており、紆余曲折はあるにしても、おそらく次の衆議院選挙で政権交代は起きるだろう。だが、民主党を中心とする連立政権ができた時点で、すでに国内はボロボロの状況であり、これを立て直すのは容易ならざることである。
もちろんそのためには一つ一つの政策が重要なわけだが、しかしそれらを貫く理念が必要で、それは「友愛」でいいのではないだろうか。
では友愛社会とは何なのか? 鳩山由紀夫のHPにはこう書かれている。これは私なりの解釈では、個人的な悩みとは別に経済的な面からの自殺者が限りなくゼロに近い社会、貧富の差、階級があってもかまわないが、しかしすべての人が穏やかに安定して暮らすために助け合う社会ということになる。
鳩山政権がこの友愛社会の実現というミッションを基本に据えてあらゆる政策を実行したら、歴史に残る政権交代になるだろう。

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2009/06/01

なぜ、Motherhouseは成長できるのか?

少し前に「Motherhouseのバッグ」というエントリーを書いた。
そのMotherhouseに関して興味深い記事を見つけたので紹介する。

もう一つのマザーハウスストーリー (株)マザーハウス 副社長 山崎大祐氏インタビュー

私がこの会社が素晴らしいナと思う理由は、金儲け以前に明確なミッションを持っているからだ。
このブログでは時々書いていることだが、企業にとってもちろん金を儲けること、そのための手段を構築することはもちろん大切なことであるが、もう一つ大事なことは、なぜその事業をやるのか?というミッションを確立することである。
ところが案外、これがあやふやな企業は多い。そういう会社も経済が右肩上がりの時代には、拡大するマーケットのおこぼれにあずかることができたが、現在のように世の中が経済的にも社会的にも停滞するようになると、企業としてのミッションを明確に持っているか持っていないかは生き残るための大きな分かれ道になる。
要は金儲けをひたすら追求するだけでは存続は危ういのである。

そしてこれは企業だけでなく、あらゆる組織においても言えることなのだと思う。
たとえば政党であれば「政権をとる」ことは確かに重要だ。が、その前提として「なぜ自分たちは政権をとる必要があるのか? とって何をするのか?」という部分がキチッと確立されていなければならない。
では民主党にはそれがあるか?
私はここへ来て、鳩山由紀夫の言う「友愛」というのは案外いい線をいっているのではないかと思っている。
それについては次回に。

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