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2008/12/31

今年の○と× その2

立川談春の「赤めだか」に○。

その談春の高座は4回ほど聴いたけれども、とくに12月27日よみうりホール「三人集」(柳亭市馬、立川談春、柳家三三)での除夜の雪、棒鱈に○。ついでに柳亭市馬の掛け取りにも○。あっ三三さんも良かったです。

浦和レッズ対柏レイソル(埼玉スタジアム)での柏フランサのゴールに○。

http://jp.youtube.com/watch?v=9t2DUEKBlOw

これは観戦していて目の前で見たのだが、途中出場してほとんど何もしていなかったフランサが試合の最後の一瞬のチャンスをものすごい集中力でものにしてしまった。私や息子、そうして周りにいたレッズファンすべてがその瞬間、静まり返った。

ジェフ千葉をJ1に残留させたミラー監督に○。
毎年、戦力を引き抜かれながら上位に進出した大分のシャムスカ監督に○。
同様に鹿島のオリベイラ監督にも○(チームは好きではないが)。
企業にしてもスポーツにしても、やはりトップの力量がもっとも大切なことを実感。なかでもこの3人はみな言葉の使い方が巧みらしい。これこそが最重要ポイント。
その意味では、社長に復帰したスズキ自動車の鈴木修会長に来年は要注目。先日、日経でインタビューを受けていたのを読んだが、稀代の実力経営者がこの時代をどう乗り切るかは見ものだと思う。
ということで新監督にフォルカー・フィンケを選んだ浦和レッズに○。27日の「久米宏ラジオなんですけど」に電話出演した祖母井秀隆(千葉にオシムを連れてきた人)がフィンケに太鼓判を押していたことに安心。

今年もその「ラジオなんですけど」と田中康夫出演の「アクセス」に○。前者はゲストとのトークが絶品。後者は自分の考えの基本となることを示してくれる。来年はいよいよ選挙がある。田中康夫にさらなる期待を込めて○。民主党が政権をとったとき、おかしな方向にいかないように、是非、政権に入って欲しい。
来年は大変な年になる。そのとき基本となるのは「人間(じんかん)に光あれ=すべてのものに平等に光があたるように」という考え方だと思う。

30年ぶりに釣りにハマッたことに○。とくに太刀魚釣りは面白かった。

さて、こうしてみると少なからぬ○は自分が実際にライブで見たり聴いたり経験したことである。
Webの力や影響力がますます強まるなかで、しかし一方、だからこそライブの価値もまたますます上がるという伊集院光の説は正しい。

最後にもう一つ○を書きたいのだが、その前に今年、本ブログで書きかけて結局アップしなかったものが四つあった(最後まで書ききれなかった)。それは「講談社の月刊現代休刊」「日本テレビとテレビ東京の赤字転落」「本当に景気が悪くなるのは年明けから」、そうして「二人の学習院大OB」であった。最後のテーマは今上天皇と現総理大臣について書こうとしたものだが途中で挫折してしまった。

ということで今年の私の最大の○は、世間の人にはまったく興味もないし知らないことなのだが、、、
本当に長い間(10年以上)低迷を続けてきたあるラグビーチームにようやく復活の兆しが見えたことに◎。
時間があれば↓の2分25秒のタックルを見てみてください。この凄まじいタックルが一つのチームをChangeさせた。

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今年の○と× その1

自動車雑誌「NAVI」の年末恒例企画である「○と×」を真似して、個人的な今年の○と×を思いつくままにあげて、本ブログの本年最後の書き込みとします。

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2008/12/16

「転向」したという中谷巌の品性

今朝の日経に中谷巌の新刊の広告が出ていた。
タイトルは『資本主義はなぜ自壊したのか-「日本再生」への提言』。宣伝文句は、

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これは私の「懺悔の書」である
「構造改革の急先鋒」といわれてきた著者は、なぜグローバル資本主義に疑問を!?
広がる格差、止めどない環境破壊、迫り来る資源不足、そして未曾有の金融危機--すべての元凶は新自由主義にあった。構造改革は日本人を幸福にしたかを検証する。
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となっている。
つまり小泉構造改革の旗振り役だった人物が宗旨替えをしたということらしい。
そこで書店へ行ってパラパラと立ち読みをしてみた。
すると、やはり自分がいわゆる新自由主義、市場原理主義といった小泉構造改革の旗振り役だったことを記した上で、しかしそれが今になって間違いだったことを認めるという内容であった。
中谷の表現ではそれは「転向」であり、宣伝文句にもあるように、だから懺悔の書としてこの本を出版したらしい。

パラパラとながめただけなのでこれ以上、内容については詳しくは書けないのだが、それにしても私の記憶でもこの中谷という人物はワールドビジネスサテライトやニュースステーションなどにも頻繁に出演し、とにかく世論を“小泉改革”支持へと導いた元凶の一人で、その結果が今日の格差社会や雇用不安を生んだことは衆目の一致するところだろう。
つまりこの人物のお陰で非常に多くの人が苦況に陥っているわけで、明らかに現在の状況に対する責任がある。
そういう人物が「転向した」といって本を出版することは、版元(集英社インターナショナル)からすれば「ウリ」となる。つまり本を売る(=金儲け)きっかけになると考えるのは自然な話だが、問題は中谷もその話に乗ったということだ。
ちなみにこの本は四六判ハードカバーで定価1,765円となっている。
世の中の人をさんざん間違えた方向に導いた末に「私は間違っていました。本当に正しいのはこうでした」ということを知らせるにあたって、この大不況のご時世に「内容を知りたければ1,765円いただきます」というのだから呆れた話である。

今の時代、ブログを開設して無料で情報を提供することなど誰にでもできる。
せめて中谷がそうやって「私は間違えていた」ということを多くの人に告白し懺悔するのならば、まだ情状酌量の余地もある。が、さんざんぱら人をだましておいて「本当のことを教えてやるから1,765円払え」というその品性、感性が理解不能である。
おそらくこの本の初版は5,000部ぐらいがいいところだろう。いまどき1,765円を出して本を買うという行為だってそうそう簡単にできるものではない。それほど世の不況感は強い。
にもかかわらず平気でこういうことをやっている中谷というのは、つまり転向しようが何しようが本質的には何もかわっていないということである。

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2008/12/11

彼らの悲願

本日の日経朝刊9面にあった「きしむ雇用」という記事のなかに興味深い部分があった。

「日本自動車工業会によると、日本車メーカーが大規模減産に伴う人員削減に要した時間は、一九九三年の第一次石油危機後は四・九%減らすのに二年、バブル崩壊後は二・四%減らすのに二年。二〇〇〇年前後のITバブル崩壊後は二〇%超減らすのに六年近くかかった。当時は正社員が大半を占め、労働組合との交渉や早期退職の募集に時間を要した。
それに比べると今回の調整速度はずばぬけている。『非正規社員の存在が柔軟な生産調整を可能にしている』(自動車大手幹部)。過去最速の生産調整の結果、各社は過剰な在庫を抱え込まずに済み、需要が戻れば業績が回復しやすい。雇用の流動化が企業の危機対応力を高めたともいえる。」


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2008/12/09

“大津波”より“さざ波”を記事にする日経

昨日の朝刊は朝日、読売、毎日ともアソー内閣の支持率急降下がトップだった。朝日の内閣支持率は22%、与党に高めに出ると言われている読売はなんと朝日より低い20.9%、毎日は21%。
これでは「一気に政権末期状態」(朝日)、「首相の求心力 一層低下」(読売)といった見出しが並ぶのは当然である。
他の各種世論調査も軒並み似たような数字で、「首相にふさわしいのは」という問いでも小沢一郎がトップに立っている。
もはやこの政権が立ち往生していることは素人の目にも明らかで、夕刊紙はこの世論調査の結果、自民党内が大混乱に陥っていることも報じている。
そんな昨日、日経の1面には政治ネタはなかった。そして2面を見ると、「民主内 さざ波」というタイトルの記事が社説横で2面のメインになっている。
「麻生政権打倒に向けて攻勢をかける民主党に、さざ波が生じている」という書き出しで始まるこの記事は、参議院での国会対策や小沢の「超大連立」構想をめぐって「その真意をいぶかる声」があり「執行部は不安の芽を摘み取るのに躍起」で、「混乱回避に腐心」していると続き、結びは「小沢氏の求心力はなお強いが、結束の揺らぎにつながる材料は消えない」とある。
どうやら日経では与党を襲っている“大津波”よりも民主党の“さざ波”の方がニュース価値が高いということらしい。
さすがに本日の朝刊2面には「支持率急落 与党に衝撃」という記事が出ているが、まるで特落ち後の後追い記事のようにひっそりとしている。
確かに日経は先週末は世論調査をしなかったのかもしれない。が、それにしてもこれだけ与党にとってボロボロの結果が出るというのは、それなりの原因が多々あるわけで、すでに大半の国民がこの総理大臣と政権与党を見放している。
与党の議員だってそれはわかってる。もはや彼らにとっては次の総選挙での生き残りだけが唯一のテーマであって、与党内の結束もへったくれもない。ただひたすら自分の選挙に有利になることしか考えていない。
そんな状況のときに、「民主の結束の揺らぎにつながる材料」なんぞを記事にしているのだから、この新聞社の劣化も相当に進んでいる。

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2008/12/02

落合は“吐き捨てた”のか? 小沢は“挑発”したのか?

Webを眺めていたらこんなニュースにお目にかかった。
来季から楽天に移籍する中村紀洋について、「おそらく落合監督ならばこんなコメントをするだろうな」と思っていたその通りのものだったのが嬉しい。
このコメントを見て改めて感じるのは、落合博満という人物がきわめて真っ当な感覚の持ち主であるということだ。
ところが相も変わらずこの監督へのバッシングはことあるごとに行われている。
先日もWBCの日本代表候補に挙げられた中日の全選手が辞退したことについて、さまざまなメディアで落合叩き、中日叩きが行われた。もちろん中日側の反論を掲載していた雑誌もあったが、全体としてメディアは「日本野球界全体が協力しようとしているWBCなのに中日だけ、そして落合だけがわがままをいっている」という“空気”を作ることに傾注し、それは成功した。
これに対する落合の会見の内容はこちら

これを読むと、落合の言っていることはきわめて当然のことだと私は思う。
その一方でこの記事の書きようには非常に引っかかる部分がある。
たとえば「「1回しか話さない」と断った上で独演会が始まった。」とある。落合が会見に応じたのに、わざわざ「独演会」という単語を使うことによって一方的にまくしたてたという印象を与えたいのだろう。が、これはひっくり返して言えば、記者はただご意見を拝聴しているだけに過ぎないということでもある。取材対象との関係が必ずしも良好に構築されていないとしても、相手が会見をしているのならば質問なり反論をすればいい。実際にはしているのだろうが、それをわざわざ「独演会」とネガティブに書くのは恣意的な情報操作である。

あるいは「さらに代表引退を表明した宮本(ヤクルト)や上原(巨人)を引き合いに出し「そういう一部の人間には配慮するのに、こっちはメッタ斬りするのか」と吐き捨てた。」とか、「また昨年12月の北京五輪アジア予選のメンバーから外れた松中(ソフトバンク)にも言及。「けがをしたときにどうなるんですか、と聞いたら外された。(ファンから)首くくって死ねといわれて、誰かがフォローしてやってくれるのか? 負けて被害を受けるのは選手なんだ。二度と味わいたくないと思う人間がいても不思議はないだろ。(代表に)来いといえば全部出てくると思うのは大間違いだ」とまくし立てた。」という部分。落合としてみれば、当たり前の怒りの表明だし、自分たちの選手を守るための発言としか思えない。それをわざわざ「吐き捨てる」「まくし立てる」などと書く。そういうやり方をするから落合自身も記者を相手にする気が失せるのだろうが、実はこれこそが巧妙に空気を作り世論を引っ張るマスコミ一流のテクニックである。

このような事例は日々さまざまなところでお目にかかるのだが、やはり最近引っかかったのが先日の党首討論翌日の記事だ。

「小沢氏は討論冒頭「二年半余り前に民主党代表に就任して、三人の総理に三回目のお祝いを申し上げることになった。近いうちに四回目のお祝いを申し上げる状況になりかねない」と衆院選なしに「安倍-福田-麻生」と続いた首相交代劇を皮肉った。
その上で「選挙の洗礼を受けた首相がリーダーシップを発揮するのが民主主義」と麻生政権の正統性に疑問符を突きつけて挑発。「私の初当選も十二月。年末の選挙は往々にしてよくあった」などと早期解散を迫った。」

これは11月29日の日経朝刊、党首討論に関する記事の一部である。
まず小沢が「皮肉った」という部分。これはTBSラジオのアクセスで武田記者指摘していたが、小泉が総理時代に「自分はずっと総理大臣なのに民主党の代表はコロコロかわる」といったことへの意趣返しである。ま、皮肉といえば皮肉だが、そういう裏がある。
さらに続いて「正統性に疑問符を突きつけて挑発」とあるが、麻生政権の成り立ちに疑問を投げかけるのは至極真っ当、当たり前のこと、少なからぬ国民が「とにかく早く選挙をやってくれ」と思っている。つまりこれは当然の質問で、わざわざ「挑発」などという言葉を使う必要はない。
さらにこの記事では「(小沢が首相の資質に疑問を呈して)討論も終盤で「首相が反論して墓穴を掘ればもうけ物」といった思惑がにじむ指摘だったが」と書いている。が、この記事を書いた記者がいかなる根拠で「小沢の思惑」を感じ取ったのかはわからない。

とこのように、新聞記事、あるいはテレビのニュースは、一見、客観報道をしているようなフリをして、実は文章やコメントの隅々に自分たちが誘導したい方向へと印象づける単語を使う。これを日々、読者や視聴者に刷り込むことで世論を形成していくのである。
だからといってアソーのように新聞を読まないというわけにもいかない。
ではどうするか。個人的には「いま読んでいる記事について、聞いているニュースについて常に真実であるかを疑ってかかる」ことが必要なのだと思う。

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