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2008/10/20

「遅れた者が勝ちになる」

先週末の「久米宏ラジオなんですけど」の特集は「野球場の思い出」だった。
この放送を聴いて初めて知ったのが、新しい広島市民球場についてであった。
もちろん現在の広島市民球場が今年でなくなることは知っていたが、来年オープンとなる新球場がどのようなものなのかは知らなかった。
それがこれである。
内外野ともに天然芝の屋根なし球場は、左右が非対称でファールグラウンドが狭く、より臨場感があるつくりになっているという。
まるで大リーグの球場のようで、「日本にもついにこんな野球場ができるのか!」と思う一方で、これだけの球場でいつでも野球観戦をできる広島ファン、というよりも広島市民全員がうらやましい。

いまアメリカにはドーム球場が3つしかなく、したがって人工芝の球場も3つだけだそうだ。
一方、日本のプロ野球が本拠地としているドーム球場は6。もちろんすべて人工芝で、それ以外の球場でも天然芝なのは甲子園、神戸、そして広島だけである。
アメリカがドーム、人工芝から天然芝のオープンエアへと回帰する一方で、日本では依然としてドーム球場、そして人工芝が主流である。
その理由はドームの方が経済効率がいいから。つまり野球をやらないオフシーズンもドームならばさまざまな使い道があるが、野球専用となると用途が限らるし、さらに天然芝だと維持費もかかる。つまりすべては経済の論理が優先なのである。

ここで思い出すのは、やはり「久米宏ラジオなんですけど」に川渕三郎がゲスト出演した時の話である。
川渕は初めてドイツを訪れた時、サッカーグラウンドの芝の緑と施設の素晴らしさに感銘を受けたという。同じように戦争に負けたのになぜドイツと日本ではこうも違うのか。その理由は、ドイツという国が戦争に負けた時に「これからはスポーツで国を復興させよう」と考えたからだという。つまり天然芝のサッカーグラウンドは社会的なインフラなのである。ここが日本との根本的な違いだと川渕は言っていた。

話は突然脱線してしまうが、私は社会の中に貧富の差があってもいいと思っている。つまり麻生のようなアホみたいな金持ちがいてもいいし、貧しい家庭があるのもやむを得ない。
ただし、水平社宣言に「人間(じんかん=すべてのもの)に光あれ」と書かれているがごとく、すべての人に万遍なく光が当たっていなければならないと思う。そのためにはきちんとしたセーフティネットがなければならないわけだが、ドイツではスポーツ施設もセーフティネットの一つとして組み込まれているということなのだろう。

ここで話はさらに脱線するが、川渕三郎という人物に対するマスコミの評価というのは必ずしも芳しいものではない。ここ最近はむしろ独善的だのワンマンだのというネガティブな報道の方が多いようだ。が、それでも私が川渕という人物を高く評価する理由は、彼が中心になってまとめたJリーグの百年構想、つまりJリーグが本来持っているミッションに「正義」があるからだ。

実はこのミッションというのはあらゆる組織においてとても大事なものだ。
たとえば株式会社はもちろん金儲けが大事であるが、しかしそれ以前に自分たちがどのようなミッションを持つかということはもっと大事なことである。
本田宗一郎さんは確かにクルマを作ることで莫大な富を築いたが、しかし本田さんの心の中には「エンジンは人を幸せにする。だからクルマを作る」という確固たる信念、ミッションがあった。これが世間で言うところの「ホンダイズム」だと私は解釈しているのだが、この本田さんのミッションが正しかったからホンダはここまでの会社になったのだと思う。
逆にこれからの時代、ミッションが明確でない会社、組織はどんどんおかしくなる。

新広島球場からどんどん話がズレてしまった。

プロ野球の世界はいわゆる巨人中心主義=商業主義=経済優先主義が強く、これまで理念のようなものがあまりなかった(地域密着は進みつつあるが)。
そんななかでこれまでの広島球場というのは老朽化が進み、しかも狭い、汚い散々な言われ方をしてきたが、今回の新球場は単なる箱モノとは異なる社会的なインフラになる可能性があるように感じる。
「遅れた者が勝ちになる」というのは井上ひさしのエッセイのタイトルだったが、新球場の概要を見ていたら東京ドームなんぞとは比較にならないその魅力に、このフレーズが頭に浮かんできた。
そうして新広島球場が完成した暁には、俄然、行きたくなってきた。

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