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2008/10/28

ピーコの疑問と世論操作

先週の「久米宏 ラジオなんですけど」のメッセージテーマは「最近のテレビってやつは」であった。
14時からのゲストはおすぎとピーコ。この2人が一緒に久米宏とラジオに出演するのは実に久しぶりなのだそうだ。
ちなみに私がおすぎとピーコを初めて知ったのは林美雄(個人)のパックインミュージックあたりではなかったかと思う。つたない記憶では、この林美雄のラジオでタモリという名前も知ったような気がする。
また、当時、おすぎとピーコがしきりに名前を出していたのは、私はまったく知らなかったが明石家さんまという奇妙な名前の芸人であった、、、
とまあそれはさておき。

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2008/10/26

これはひどい


未曾有の危機が迫るなか、こんな男を担いでいる政権与党は、もはや気が狂っているとかしか思えない。

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2008/10/23

尋常でないほど増えている鉄道の人身事故

電車通勤をしている人ならば同じよう感想を持っている人が少なからずいると思うのだが、、、

ここ最近、とにかく鉄道の人身事故が増えていると感じる。
私は東武東上線と東京メトロ有楽町線を利用して通勤してもう15年以上になる。つまりバブル崩壊後の失われた10年あたりからこの路線を利用しているわけだが、ほんの数年前まで東上線や有楽町線のダイヤが人身事故で乱れてまいったということはほとんどなかった。私なんぞは「東上線で人身事故はほとんど起きないナ」とさえ思っていた。
ところが本当にこの1年ほど、とにかく人身事故でダイヤが乱れることが多い。
もちろん相互乗り入れでダイヤが複雑化たことも原因だろう。いまでは西武池袋線の人身事故の影響が有楽町線、副都心線にダイレクトに影響し、ひいては東上線の接続にも影響する。
しかし、それにしてもこの人身事故の多さは尋常ではないと思う。
最近は改札口やホームの掲示板に各線の運行状況に乱れがあった場合、その文字情報が流れるが、本当に毎日どこかで人身事故が起きている。
数日前にはまったく別の2線で人身事故によるダイヤ乱れが起きていた。

人身事故の統計というのがあるのかどうかはわからない。
マスコミ報道でもダイヤ乱れの情報は流れるが、人身事故が増えているというようなニュースはない。
が、電車通勤をしている営業職の私の皮膚感覚では、この人身事故の多さは尋常ではないと思うのである。

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2008/10/21

ギョッとしたラジオCM

昨日のエントリーで一つ書き忘れたことがあった。
それは「久米宏ラジオなんですけど」の番組中に流れたCM。
PM2時の時報の直前、久米が軽快に喋ってCMに入った次の瞬間、「麻生太郎です」というダミ声が響き渡った。
これにはギョッとした。おそらくラジオを聴いていた少なからぬリスナーも同様に思ったのではないだろうか。
当たり前の話だがテレビと異なりラジオというのは声が主役である。
映像のない中であの声、喋りを聞くとその品性のなさがひしひしと、しかもダイレクトに伝わってくる。
私も一応、広告を生業にしているので言わせていただきますが、あのラジオのCMは明らかなマイナスですよ、自民党さん。

土曜日の午後というのは久米の裏番組がみのもんた、小倉智明である。この2番組でもスポットを流しているのかどうかはわからない。聴取率は久米の番組が一番高いようなので、ここの枠だけ買ったのかもしれない。が、この時間帯にスポット流すのならみのもんたや小倉智明にしておいた方がいい。
いくらなんでも久米宏の絶品のトークの後のあの声はひどい。それにみのもんたの番組と異なり、久米の番組を聴いているリスナーはどちらかというと反自民な人が多いと思う。なにしろみんなテレビ時代とは異なる久米の鋭い政治批評を楽しんでいるのだから。

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2008/10/20

「遅れた者が勝ちになる」

先週末の「久米宏ラジオなんですけど」の特集は「野球場の思い出」だった。
この放送を聴いて初めて知ったのが、新しい広島市民球場についてであった。
もちろん現在の広島市民球場が今年でなくなることは知っていたが、来年オープンとなる新球場がどのようなものなのかは知らなかった。
それがこれである。
内外野ともに天然芝の屋根なし球場は、左右が非対称でファールグラウンドが狭く、より臨場感があるつくりになっているという。
まるで大リーグの球場のようで、「日本にもついにこんな野球場ができるのか!」と思う一方で、これだけの球場でいつでも野球観戦をできる広島ファン、というよりも広島市民全員がうらやましい。

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2008/10/11

三浦和義氏のご冥福をお祈りする

いまwebのニュースを眺めていたら、いわゆる「ロス疑惑」の三浦和義氏が自殺したというニュースを目にした。
この「疑惑」は私が学生だった20年以上前、週刊文春に掲載された「疑惑の銃弾」という「スクープ連載」を発端に、日本中で話題となったもので、当時はすべてのメディアがこの文春記事を追って報道合戦を展開した。

一方で、この「疑惑」はメディアの報道のあり方というものを根本から問われたものでもあった。

なにしろあらゆる媒体が報道合戦を繰り広げた結果、それこそ「赤信号、みんなで渡れば怖くない」とばかりに(そういえばビートたけしが出てきたのもこの頃で、当時の雰囲気をこのフレーズは的確に言い当てている)、ありとあらゆるメディアが三浦氏が「疑惑」とされた事件の犯人であるとの前提のもと、裏づけのないデタラメ記事を書き散らしたり、三浦氏の人権をまったく無視した取材を繰り広げた。
その背景にあったのは「自分たちだけでなく他のメディアもやっている」、「面白ければいい、視聴率が取れればいい」という考え方である。

結局、三浦氏は逮捕されたが、この際はメディアが作った信じられないぐらいの数のカメラの列の間を拘束された三浦氏が素顔のまま引き回されフラッシュを浴びるという「儀式」までが行われたと記憶している。

ところが三浦氏は拘置所の中から一人で裁判を起こしてこれらのメディアとの戦いを始めた。
そしてこの戦いでメディアは負け続けた。
さらに自身の裁判についても本件とされたものについては無罪を勝ち取った。
しかし、メディアの内部ではほとんど反省は見られなかった。
むしろ悪びれもせず、「当時はみんながしていたから自分もした」、「あの時は疑惑を取り上げれば視聴率が取れた、媒体が売れたから当然だった」と思ったはずだ。
そうしてメディアはいくばくかの慰謝料を払いながら、同じような事件があれば「ロス疑惑」と同じようにバカ騒ぎを繰り返した。

このような経過を経て、長い拘留から解放された三浦氏が、またぞろサイパンで今度はアメリカ側に拘留されてロサンジェルスに移送された。まずこのサイパンでの拘留について私は強い違和感を感じた。
一方で、ここまで負け続けたメディアの側は、さすがに当時よりも節度は保ったものの「やっぱりやってたはずだ」という「空気」をしたたかに漂わせることは怠らなかった。

三浦氏の「疑惑」が本当にあったのかどうかは知る由もない。が、少なくともこれだけのメディア(&権力)の総攻撃に対して、支援者はいただろうが基本的に“個人”として戦い、しかも一定の勝利を収めた三浦氏に対して、私は敬意を感じていたし、その気持ちは今でもかわらない。
個人的にはロサンジェルスに行っても頑張って欲しかったし、多分、彼ならそうするのだろうと思っていた。
しかし日本でのあまりにも長い拘留、そこからやっと解放された後にまた今度はアメリカ側からの拘束。そうして日本のメディアの反撃。
さしもの強靭な精神力をもってしても、これ以上、戦うだけの余力はなかったのだろう。
さらには年齢的なものもあったと思う。

この件で私がとても印象に残っているのは、三浦氏が拘留された当時の手記で、彼は自身の置かれた環境をして「日本は本当に民主主義の国なのか?」ということを常に問いかけていた。それは司法、メディアという権力の権化と対峙した人間のまさしく実感であり、しかもタブーだった。
つまり三浦氏は権力にとって鋭くとがった、しかもやっかいな棘だったのだと思う。

今回のサイパンでの拘束は日本とは関係なく、アメリカ側が勝手にやったもので、しかも本当に新証拠があったのかもしれない。
それはわからないが、私は日本の官&メディアという圧倒的な独裁権力を相手に一人で戦った個人として心から敬意を表するし、その死を残念に思う。

三浦和義氏のご冥福をお祈りする。

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2008/10/05

日曜日朝のテレビを見て思ったこと

テレビというのはスポーツ以外あまり見ないのだが、今朝はなんとなく8時ぐらいからザッピングをしていた。
そうして思ったのは、「やっぱりテレビの恣意的な垂れ流しというのは問題があるナ」ということだ。

TBSのサンデーモーニングでは、関口宏が民主党と自民党の政策の一部分を切り取ったフリップを示して「両方とも似ていてどっちがどっちだかわからない」というようなコメントをしていた。
かねがね思っていることだが、事実と真実は異なる。このケースでいえば、たしかにフリップに書かれていたことは事実だろう。しかし民主党は小沢一郎が140年間になろうとする官僚支配を打破するといっているで一方で、自民党は麻生が単に「日本経済は全治3年」というだけで、そのような官僚機構に対する問題意識は皆無である。
この両者のもっとも本質的かつ根本的な差異を示さぬままに政策の断片を捕らえて「似ている、同じようなもの」というレッテル貼りをする。いつもながらの手法だが、これは立派な偏向である。

一方、同時刻の日本テレビでは宮崎県知事から次期衆議院選への転出が取り沙汰されている東国原英夫が出演。さらに東国原は引き続いて次の番組にも出演していた。つまり出ずっぱりである。もちろん、いまもっともニュースな話題の当事者をスタジオに呼ぶというのは番組制作上、間違いではない。が、次期総選挙ともからむ人物であるならば自ずと節度が求められるはずであって、出演時間を限定するなどの配慮がなされるべきだと思うのだが、これでは日本テレビは東国原の広報宣伝番組を流していると言われても仕方がない。
ちなみに日曜日のこの時間帯は広告的にはいわゆるF1層はそれほどいないと思われる。が、この層は広告的には価値が高くても積極的に選挙へ行くような層ではない。むしろこの時間のテレビ視聴者というのは比較的高齢層であるはずで、全体に投票率が高い層である。つまり東国原にとってはジャスト・ターゲットな時間帯ということになる。その時間帯にお金を払うどころかギャラをもらって出演するのだから、この宣伝効果は計り知れない。

そして田原総一朗のサンデープロジェクト。冒頭は田原による中川昭一のベタ褒めから始まっていた。それ以後は見ていないが、あとは推して知るべし。

こうして見ると、パッと日曜日のある時間帯のテレビを見ただけでもその堕落ぷりはひどいものである。
小沢一郎のいう140年の官僚支配の打破とはイコールこのように偏向するメディアも含めた「体制」の打破なわけだが、これはそう生易しいものではないということを民主党以下の野党は肝に銘じるべきだと思う。

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2008/10/03

麻生政権の功績

人間、追い込まれると本性を現す。
かつての自民党とういのは、予定調和ではあったが野党に押し込まれるふりをしつつ気が付つくと押し返しているという懐の深さがあった。
ところが麻生太郎という人物の言動を見ていると、もうただひたすらキャンキャンと吠えまくるだけで、それで自分が相手を押していると思っている。それがあからさまにわかるから、ますます底の浅さが透けて見える。
そうしてひな壇に並んでいるのは世襲、世襲、世襲、また世襲。そこには親や祖父の代から続く利権構造が崩壊の危機に瀕しているという危機感がこれまた露骨に見て取れる。
かつてここまで世襲偽員を閣僚に登用した政権はなかった。つまり自民の中にもなにがしかの良識的な歯止めが存在していたわけだが、もはやこの党からそれを探すのは困難である。

新自由主義を推し進めた元首相は、「親バカを許して欲しい」といって自分の息子を後継者に指名したという。
新自由主義の前提には少なくとも“競争”というものがなければならないはずだ。いま社会的に下流に位置する人々は新自由主義者から見ると「競争に負けたのだから仕方がない」「自助努力が足りない」ということになる。
しかしながら、この元首相の息子は何の競争もなく、さしたる自助努力もないままに衆議院議員の座を手に入れようと算段している。
もちろん彼らは「選挙という競争をしている」と言うだろう。が、曾祖父の代から築き上げた利権ピラミッドがあり、しかも小選挙区という極めて狭い地域の中での優劣を競う場合、徒手空拳の対立候補が出てもまず勝ち目がないことは明らかで、およそ公正な競争とはほど遠い。
つまり元総理は所詮、新自由主義者ですらなく、完全な利権政治家だったのである。

「民主党がやらなかった総裁選(代表選)をやると世論が盛り上がる=選挙が有利」というただそれだけの理由で難問山積の最中にダラダラと総裁選をやったあげく、それでも選挙で大敗するというデータが出ると「いまは総選挙などやっている場合ではない」と言い出す。

もはやこの政権与党は完全に壊れている。
麻生政権の誕生は、その事実を福田政権よりもさらに鮮明にしてくれたという点が最大の功績で、その意味では歴史に残るだろう(ひょっとしたらそのように仕組んだのは福田康夫なのかもしれない)。

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2008/10/02

民主党の組閣名簿に期待すること

麻生太郎の国会での演説を見て(といってもじっくり見たわけではないが)改めて思ったのは、一国の最高責任者である総理大臣がここまで劣化したのかということである。
私は「日本の総理大臣は就任ごとに史上最低を更新する」という原則があると思っているのだが、麻生に至ってはもうマンガという他ない。アベシンゾーと同じレベルかそれ以上に生理的に受け付けませんね。
国会ではこの麻生の背後に河野洋平が座っているのが見えた。麻生は元々河野グループだったわけで、今回の総裁選では息子の太郎も麻生支持だったらしい。「河野親子なんぞは時々まともなことを言うナ」なんてちょっとでも思っていた自分が情けない。所詮は同じ世襲の狢だ。

とはいえ政権交代というのは、ここまで自民が劣化してもそう簡単なことではないとこれまでは思っていたが、田中良紹に「選挙に勝たないための組閣」とまで書かれてしまったこの内閣の顔ぶれを見ていると、案外と民主が地滑り的な勝利をおさめるような気もする。
もっともこーゆー私の予想というのは当たったためしがない(直近では、今回の総裁選で自民は小池百合子を当選させるのかと思っていたし)。

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2008/10/01

“電池の時代“が暴く原子力産業の暗闇

今週の日経ビジネスは第一特集が「東京電力、新日石、トヨタも危うい 電池を制す者 世界を制す」だったので久しぶりに購入してみた。
メインタイトルのリードは以下のようになっていた。

21世紀の産業革命が起きようとしている。 長らく人類にエネルギーを提供してきた石油は、環境問題や枯渇への懸念で、主役の座から降りようとしている。代わって登場するのが、飛躍的な進化を遂げる「電池」だ。 「石油の世紀」から「電池の世紀」へのパラダイムシフトは、現在の業界序列を崩し、産業構造を一変させる可能性を秘める。今日の負け組みが明日の勝ち組となる「下克上」をどう生き抜くか。世界経済がかつてないほど不透明さを増す中で、新たな成長の糧を目指した戦いが始まっている。

この特集、一つ一つの記事は面白かったが、個人的には肝心な視点が欠けていた。それは電池の躍進によって原子力産業も衰退に向かうということなのだが、まあそれは日経の媒体に期待する方がムリな話で仕方がない。が、私はこの特集を読んで、ますます以前に書いた流れが強まっていることを確信した。

いま日本では官僚によるデタラメが次々に明らかになっている。厚生労働省、農水省、国土交通省、、、およそありとあらゆるすべての官庁が呆れるほどのデタラメをやっているわけだが、もちろん原子力行政もその例外ではない。
というよりもデタラメのなかでも特筆すべきデタラメをやってきたのが旧科学技術庁(現・文部科学省)である。
ここ最近の事故米や食品偽装問題の背景には官民一体となった深い闇があるように見えるが、原子力産業が抱える闇というのは、おそらくその比ではないだろう。
原子力発電所という巨大プラントの建設に関わる利権をはじめ、廃棄物処理に至るまで、官民一体となったおよそさまざまな利権が存在する。
一方、定期点検などの際に実際にメンテナンスに入るのは孫請け、ひ孫請けの労働者であり、彼らは被爆労働を余儀なくされているはずだが、この問題が表立って報道されることはほとんどない。
そうして石油資源のない日本では原発が必要、原発は環境にやさしい、などというデタラメが洪水のごとく溢れかえっている。

しかし、すでに十分行き詰まっている原子力発電は、電池の時代、とくに家庭用の燃料電池が普及した時に間違いなくトドメを刺される。
そのときこの産業が抱える途轍もない闇が一挙に明らかになるはずで、それは年金問題をも上回るほどの衝撃を日本中にもたらすだろう。
しかし、それを解決しないことには、後世(それは次の世代とかいうレベルではなく、ことによると数千年、数万年という単位である)に莫大なツケを残すことになる。

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