« 「日曜日の秘密基地」終了 | トップページ | 楽天ファンがうらやましい »

2008/04/02

小泉と福田、そして宮崎県知事

福田康夫というのは衆議院議員になった時点で年齢も高く、元々総理大臣を目指してきた人物ではないだろう。
もちろん父親が総理だったということもあり、チャンスがあればとは心の底で思っていただろうが、その可能性はさほど高いものではなく、したがって野心もなかったものと思われる。
が、アベシンゾーがあのような形で政権を放り投げたことでにわかに自分に向かって風が吹いた。福田はそれに乗ったに過ぎず、総理大臣になった時点で彼の持っていた究極の野心は達成されたのだと思う。
つまり、どんな形でも総理大臣になれれば「ま、オレも極めたナ」と思ってしまうタイプなわけで、したがって総理大臣としてこの難局を乗り切るアイデアなどまるでない。
これに対して小泉は違った。

小泉は世間も自民党内も自分のことを将来の総裁候補などとまったく認識していなかった時から、「いつかは総理大臣に」という野心があった。YKKへの参加も加藤紘一やヤマタクの思惑とはまったく別の次元で捕らえてはずだし、郵政民営化を唱えて最初の総裁選に立候補し、ドン・キホーテ的な扱いを受けたときにも「いつかは」と思っていたはずだ。
したがって小泉(&飯島)は自分(たち)が政権を取った後のことを考えていた。ただし政策を考えていたわけではない。小泉、飯島コンビの政権獲得後の唯一にして最大のテーマは「在任期間を一日でも長くして歴史に名を残すこと」だったのだと思う。
「構造改革」や「郵政民営化」、「自民党をぶっ壊すというスローガン」はすべてそのための手段でしかなく、他にもっといいテーマがあればそちらを選んでいたにすぎない。
このブログで何度か述べたように、小泉、飯島コンビほどこの国の官僚独裁システムに対して肯定的な人間はいないのであり、しかもその根本にあるのは「もはや改革することなど不可能」というニヒリズムである。

いまになって考えてみると、当たり前のことだが郵政民営化にさしたる意味はなかった。が、当時は「改革の本丸は郵政民営化であり、これが実現すればすべてが良くなる」というセリフに国民は熱狂し、メディアもあおりにあおった(ここ数日の論調だと、福田が打ち出した道路特定財源の一般財源化は小泉さえできなかった改革の本丸なのだというのだから笑ってしまう)。
そして衆議院選挙で空前の3分の2の議席を獲得、高い人気を保ったまま小泉は辞めたわけだ。後には格差社会と小泉政権でさらに250兆円増えた借金が残っただけだが、しかし小泉個人の野望は完全に達成された。

さて、ここ最近、この小泉のやり口をもっとも研究し、実践しているのが宮崎県知事だと思う。
この人物が県政を運営するにあたっての最大の関心事は自らの人気を維持することだ。「うまいな」と思うのは最初に宮崎県知事選に打って出たことで、国政の場に出たとしてもペーペーのただのタレント議員でしかないが、知事であればいきなり行政組織の長となることができ、注目度も高く、いかようにもパフォーマンスが可能である。
しかも根が芸人だけに露出の仕方が巧みだし、また過去のタレント知事の失敗もしっかり教訓にしている。
この人物の野心がどこにあるのかはわからない。が、ひょっとして知事の先に国政を見据えているかもしれない。
それはともかく、ここ最近の道路特定財源がらみでの露出の仕方はこの人物にとっては理想的で、それだけにメディアの側からすれば本来は起用に慎重になるべきだし、それがメディア・リテラシーなのだと思う。
もっともそんなことをメディア、とくにテレビ関係者に説いてもムダで、彼らにとってみればニュースといえども「数字が取れるヤツ」を持ってきているという類の話でしかない。

最後は宮崎県知事のことになってしまった。
私はこの男は大した人物ではないと思っている。
が、その露出の仕方に最近、ちょっと“危ないもの”を感じるのである。

|

« 「日曜日の秘密基地」終了 | トップページ | 楽天ファンがうらやましい »