「日本化」と「日本的」
イビチャ・オシムが日本代表監督になった時、なぜ多くの人があれだけ期待したのか。
もちろんベースにあるのはジェフで見せた手腕だったわけだが、もう一つ就任記者会見でオシムが言った「日本化」という言葉が心に刺さったからでもある。
前回のワールドカップでの無惨な負け方を見るにつけ、日本のサッカーがこの先本当に世界に互して戦っていけるのかという疑問を持った人は少なくないだろう。
確かに日本人には他国にない特徴があるとはいわれる。が、絶対的なフィジカルの差を前にするとそれが吹き飛んでしまうこともまた事実である。
これはフィジカルコンタクトがより激しい競技を例にとると顕著で、たとえばバスケットボールで日本代表がアメリカ代表に勝つ日はそう簡単には来ないだろうし、現状では10回試合をしても1回も勝つことはできないだろう。
あるいはバレーボール。どんなにレシーブ力を強化して速攻に磨きをかけても身長差や身体能力の差を埋めることはできない。
あるいはラグビー。この競技ではかつてワールドカップ本大会でオールブラックスに145失点したことがある。私はこの試合をテレビ観戦していたが、キックオフからノーサイドまでのべつまくなしに攻め続けられた日本は身体能力の高い相手に防御が崩壊した。ラグビーがサッカーと異なるのは守備的な戦い方ができないという点で、そんなことをした日には試合は一方的になる。高校、大学レベルで相当に実力差があっても3桁の失点というのはそうはない。
ところが国同士のテストマッチで145失点したのだからそのダメージは大きかった。
そして次の大会。代表監督を率いたのは平尾誠二だった。彼は大会前の最終段階でオールブラックスのキャップ保持者で当時日本でプレーしていた選手を代表に招集するも(この大会までそれが可能だった)ついに1勝もすることはできなかった。
この平尾時代、オールブラックスのプレーヤーが入ってくるまでの日本代表を私は好きだった。もちろんワールドカップで勝利を得られるかというと微妙だったとも思うが、しかしそこにはラグビーにおける「日本化」の芽のようなものがあったと思う。
だが、最終的に平尾は前回の惨敗を繰り返すことを恐れたのだと思う。その結果、大敗はしなかったが日本らしさもまた皆無だった。そうして最後に会見した平尾は「世界との差をどこに感じたか?」と聞かれて「個の力」と答えたのであった。
ラグビーの話が長くなってしまったが、サッカーという競技にも当然ながら存在するその「個の力の差」をオシムは「日本化」で埋めるといったわけである。しかもそれは、これからの日本代表の戦い方のベースとして、たとえ監督が替わったとしても継続性のあるものになるのではないかという予感があった。だからオシムが最後に出すであろう答えの形を見たかったわけである。
しかるにオシムは倒れてしまった。
かわって就任した岡田が先日のバーレーン戦で見せた試合は、私のような素人から見てもオシムが目指していたであろうものとは違った。しかもその内容はこれまでもよく見てきた、きわめて「日本的」な戦い方であり負け方であった。
ま、べつに代表が強くなくても、ワールドカップに出場できなくても、日本のサッカーが廃れるわけではないし、むしろこれからもどんどん盛んになっていくとは思う。
が、オシムが目指したがごとく「日本化」の答えを出してくれる監督を見てみたいとも思うのである。
ただしそれは岡田ではなさそうだ。
