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2007/09/14

民主党はもっと「日本人」を研究するべきだ

自民党総裁選の帰趨は決したようで、福田康夫が次期総理大臣になることは間違いなさそうだ。つまり総裁選の告示日に勝敗は決まってしまったわけである。
にもかかわらず、昨日、自民党は総裁選挙の投票日を17日から23日に延長した。
ということは、これから延々とこの勝負の決まった戦いに関する報道が垂れ流されるということで、つまり麻生が党員投票で巻き返しているなど小ネタを繰り出しつつ、要は自民党という政党にとにもかくにも注目が集まることになる。福田康夫の人となりに関する報道が洪水のように流されることだろう。
そうして世の中がなんとなく福田を歓迎するムードができたとき民主党がどうでるかが問題だ。
前原らのグループはここまで、民主党にとどまったほうが政権に近そうだからおとなしくしていたのだろうが、再び自民に世論が傾いたら小沢一郎のテロ特措法への対応を批判して騒ぎだすだろう。そうして民主が内紛を始めれば、当然、マスコミはこれをまた垂れ流す。
となると、どちらにせよそう遠くない時期にやってくる衆議院選挙の勝敗は民主にとって決して楽観できるものではなくなるはずだ。
困ったことに福田という人物はギラギラと権力欲を表向き表さない分、日本人好みのタイプのようである。父親もあの福田たけ夫だ。この人物は田中角栄と凄まじい権力闘争をしたが、角栄がギラギラしていた分、どこか飄々としており、再選を狙った総裁選で大平に敗れた折りの「天の声にはおかしな声もある」というセリフなどはどちらかといえば好意的に受け止められた印象がある。
今回の総裁選においても福田の「貧乏くじかもしれんよ」というセリフあたりはネガティブには働かないように見える。また父親と同じ年齢で総理の座につくというあたりもどことなく日本人の浪花節的な心情に刺さる部分がある。
そうして「どことなく控えめ、権力欲がなさそう」というイメージが国民の中に刷り込まれていくとき、これまで民主有利に流れていた政局の潮目が変わる可能性があるように思う。
その意味でマスコミには、いまこそメディアリテラシーが求められるわけだが、もとよりそのようなものはないものねだりである。

話は突然かわるが、自動車評論家の徳大寺有恒は、かつて日産がトヨタ負けて経営危機に陥ったとき、その敗因としておおよそ次のように指摘している。
「トヨタが日産よりも技術的に上回り始めたのは昭和60年あたりからで、それまではクルマとしての出来はトヨタよりも日産の方が絶対に上だった。にもかかわらずトヨタが日産に負け続けたのは、日産がひたすらにクルマというハードの研究をしてきたのに対してトヨタは日本人の研究をしてきたからだ。日産は技術的にいいクルマを開発してきたのに対してトヨタは日本人がいいと思うクルマを開発してきたのだ」と。これはどういう意味かというと、どんなにいい技術が入っているクルマをつくっても、それをユーザーが理解できなければ売れないということである。トヨタはそこのところを知っていた。一方、日産は自分たちはトヨタよりもいいクルマをつくっているのだから、売れないのは自分たちのせいじゃないと考えていた。
この徳大寺の指摘は実に興味深い。
そうして思うのだが、民主党が自民党に比べて決定的に足りないのはこの「日本人の研究」という部分なのではないだろうか。
民主党というのも玉石混交ではあるが、しかし中には見るべき人物がおり、政策的にも自民よりははるかにマシであると思われる。にもかかわらず、肝心なところで自民に勝てないのはこの「日本人の研究」という部分で自民党の方がはるかに上回っているからだと思うのである。

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