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2007/04/18

日本の総理大臣をめぐるある原則

 かつて竹下登が首相の座に就いた時、立花隆氏が「これまでの総理大臣で間違いなく最低」「竹下に比べれば(暗愚と呼ばれた)鈴木善幸の方がはるかにまともな顔つきをしている」というようなことを書いていたのを記憶している。確かに当時、私も竹下登という人物は史上最低の総理大臣だナと思ったものだ。
 しかし、いま現職の総理であるアベシンゾーと竹下を比べたなら、これはもう竹下の方がはるかにマシ、比較の対象にすること自体、竹下に気の毒とすら思ってしまう私の感覚は真っ当なのだろうか、、、

 私が思っている原則に「日本の総理大臣は就任ごとに史上最低を更新する」というものがある。
 ためしに竹下以降の首相を逆から振り返って見ると、アベシンゾー→小泉純一郎→森喜朗→小渕恵三→橋本龍太郎→村山富市→羽田孜→細川護煕→宮沢喜一→海部俊樹→宇野宗佑→竹下登となる(ひょっとして誰か落ちているかもしれないが)。
 このうち「竹下よりもマシだナ」と思う人物は、ま、皆無に近い。
 見識のある人物としては宮沢あたりはまともかもしれないが“政治家”としての力量には問題があった。ちなみに私は国民的な人気が高かった細川護煕は極めて危険な人物であると思っていた。宇野、羽田は論外。海部は竹下-小沢一郎が実質的な権力を握っていたといわれており、これも論外だろう。
 村山は社会党をぶっ潰し、自民党を復活させたという点で特筆すべき人物である(ただし「村山談話を出した」という一点のみは評価できると考えている私は多少レフトに甘い。思うに細川内閣にしろ、村山首班時にしろ、社会党が閣外協力に止めていればその後の社会状況は多少、変わったように思うが、その当時の“空気”ではそれは無理だったのだろう。その意味で意図的にある“空気”を作り出すマスコミという“装置”-とくに新聞、テレビ-は危険である)。
 話を戻すと、この村山以降では橋本など今にしてみればマシな方で、小渕恵三のアホさ加減というのはほとんど絶望的ですらあった。そうしてアクシデントによってとはいえ、やっとこさ小渕が退任したら今度は森喜朗である。当時の週刊誌にはこの森を評して「サメの脳みそにオットセイの下半身」「永田町ではシンキロウと呼ばれている」などと書いてある。もうほとんどお笑いの世界だ(もちろん本物のお笑いというのは、きわめて頭のいい人たちによって演じられるものである)。当時、“加藤の乱”なるものが幅広く支持を得たのも橋本→小渕→森と下がり続ける総理のレベルに多くの人が辟易としていたからであろう。
 そうして登場した小泉純一郎は、本質的には前任者とまったく同レベルであったにもかかわらず、アホッぽく見えない、改革者の仮面をかぶっているという点でかえって危険度が高く、史上最低というよりも史上最も危険な首相であった。
 そこでアベシンゾーである。この人物はアホであることがテレビを通してにじみ出てくる。その意味では森系なのだが、その上に小泉系の危険性を備えている。しかもその危険性というのも小泉のものとはまた少し性質が違っている。小泉の場合、根底にあるのは「歴史に名前が残ればなんでもいい」という非常に軽薄な信念でしかなかったが、アベシンゾーの場合、根っこにあるのは岸信介のDNAが組み込まれた非常に筋の悪い、というより最悪の復古主義である。これは見せかけとはいえ存在した戦後民主主義なるものの対極にあるものとして忌み嫌われた一族の怨念が詰まっているだけにタチが悪い。アベシンゾーを見ると不気味さを感じるゆえんである。
 アベシンゾーは間違いなく史上最低の総理大臣である。が、次の総理がアベよりマシである保証はどこにもない。

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