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2007/04/13

「小泉純一郎」に関する私見

 昨日、小泉純一郎について少しだけ書いたが、この人物について私見を少しだけ述べようと思う。

 およそ世の中には小泉論なるものがあふれかえっているが、そのなかで私が「これは当たっているんじゃないか」と感じたのは、確か佐野真一氏が書いていたものだ。これはいま手元にないのできちんと引用はできないのだが、おおよそ佐野氏は以下のように書いていた記憶がある。
「小泉と(秘書である)飯島の両者に共通するのは徹底したニヒリズムである」

 小泉と飯島の両者はよく知られているように出自閲歴がまったく異なる。政治家の家系に生まれた小泉は何不自由なく育ち親の死後、政治家を継いだ。一方飯島は長野県の非常に貧しい環境の中、しかも兄弟姉妹はみな身体的なハンディがあるという過酷な状況のなかで育ったそうである。
 このおよそタイプが異なる両者がコンビを組んだのは小泉が最初の選挙で落選した後だ。以後、今日に至るまで常に二人三脚、小泉は政治家一家の中にありながら常に飯島を秘書官として手元におき、大臣に就任したときにも必ず政務秘書官に任命している(政治家が大臣に就任した場合、自分の秘書ではなく親族を秘書官に任命するケースは少なくない。まして小泉の場合、弟も秘書の一員として名を連ねている)。

 では、この二人に共通するニヒリズムとは何か。
 それは「この国を改革することは100%不可能である」という、長く永田町に身を置いた末の絶対的結論である。
 飯島には「代議士秘書」という著書がある。大変に興味深い本であるが、ここで描かれている政界の内情がもし真実ならば、生半可な理想論や信念を振り回したぐらいで世の中が変わることはあり得ない。
 すべてがすべてにもたれあう徹底した予定調和、一見すると鋭く対立しているはずの自民と社会、共産(いまでいえば自民と民主)、あるいは資本家と労組が実は同根の利益享受者であるという現実を骨の髄まで感じた小泉、飯島コンビが政権を取るときにただ一つだけ考えたのは、「歴史に名を残す」「総理として、あるいは総理秘書官としてレコードホルダーになる」ということのみではなかったかというのが私の想像だ。
 そしてそのための手段としてもっとも有効と判断して選択したのが「痛みを伴う改革なくして成長はない」というフレーズだったのである。

 
 

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