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2007/02/16

東国原知事誕生をもっとも望んだ人びと

 ここのところ連日のごとく東国原宮崎県知事の報道が続いています。それは田中康夫氏が長野県知事に当選した直後の報道に近いものがあるように見えます。その田中康夫氏はラジオで「『誰にやらせても同じならば私にやらせてください』という東国原さんの言葉が有権者に届いたということでしょう」とコメントしておりました。
 おそらく、、、
 この田中氏の指摘は正しいでしょう。
 ではその東国原知事の問いかけに答えた宮崎県民の選択の前提、つまり「誰にやらせても同じ」とは本当なのでしょうか。私は結論から言うと、この前提は間違っていると思います。そして結果的に宮崎県民は「最悪の選択」をした可能性があるとも思います。

 その論拠を述べる前に、では「最高の選択」は何だったのかというと、これは非常に難しい問題です。ずるい言い方になりますが、解答用紙が配られた段階で正解はなかったというしかありません。ただし宮崎県知事選という「問題」には県民自身が解答の選択肢を加えるという手段はあったわけで、それができなかった時点で正解はなくなってしまったわけです。
 とはいえ、これは宮崎県に限った問題ではなく、要するに日本全国で同様の現象が起きており、だからこその政治離れであり、無党派層の増殖だと言えます。

 さて、ではなぜ東国原知事は「最悪の選択」だったのでしょうか。
 それには現在の長野県の状況を見るのがわかりやすいと思います。
 私は田中康夫氏が行っていた長野県政を最大限に評価しています。その行政手腕は卓越したものだったと思いますが、それをもたらしたのはやはり田中康夫という人物の能力、見識が極めて高かったからに他なりません。
 しかして、、、
 その田中康夫氏ですら、最終的には政・官・財・マスコミによる既得権益者集団の反撃に落選の憂き目に会いました。もちろんその過程でいろいろなことがありましたが、結果的にいま長野県は旧来の姿へと一直線に逆戻りし始めています。あの田中康夫ですら改革を全うさせることができなかった、ぶち壊すことができなかった既得権益集団。その力は恐ろしいほどに強力です。
 一方、東国原知事を見る限り、田中康夫氏ほどの能力、見識があるとはどうしても見受けられません。田中氏の場合は一度、県議会で不信任を受けたあとの選挙では圧勝しましたが、東国原知事の場合はそもそも「誰がやっても同じ」、つまり権力の主体が県の官僚にあることにかわりはなくなる可能性が高いと思われ、したがって結果的には青島幸男時代の東京都のように「やっぱり政治なんて変わらないんだナ」という失望だけが残るでしょう。
 既得権益者たちにとってこうなったらしめたものです。あとはこれまで通り、利権の再分配をうまく差配してくれる知事を立てればいいのですから。
 その意味で、今回の東国原知事誕生は格好の「ガス抜き」になったと思われます。案外、既得権益者たちは今回の知事選は捨ててもいいと考えたのではないでしょうか。実質的には官僚がコントロールすることが可能なレベルの人材だし、まして県民に対するいいガス抜きにもなる。そうしておいて次の選挙ではまた完全に主導権を取り戻せばいいし、あの長野県ですらちょっと時間はかかったけれどもそれが可能であることが証明された。であれば、長年の利権漬けで緩んでいたタガをうまく締め直すためにも、そして今後さらに既得権の再分配体制を盤石にするためにも、ここは一敗地にまみれるのがよしという考え方が既得権易者たちの側にはあったと思われます。
 つまり東国原知事というのは、そういった連中にとってのベストの選択肢であったのではないでしょうか?
 

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